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第三章 海底皇国へ
9 空の旅
しおりを挟む「うわ……!」
ユーリとロマンは、ほとんど無意識に声をあげた。
周囲の親善使節の一同も同様だった。
飛行艇が動き出すのとほぼ時を同じくして、周りの景色が一変したのだ。
それまで薄いクリーム色だった壁面が、すうっと目の前から消えたようだった。そうして現れたのは、周囲の景色そのものだった。
「な、なんですか? あの、これは──」
隣に座っていた玻璃の体に思わず体を寄せながらユーリは訊ねた。
「恐れる必要はない。外の景色をそのまま、壁に投影しているだけゆえな」
「えええっ……?」
「ほら、触ってごらんになればよくわかる。壁も床も、ちゃんと触れることができるであろう?」
「あ。……本当ですね」
言われるままに近くの壁に触れてみて、ユーリは目を丸くした。
いったい、どういう技術なのだろう。ユーリばかりでなく、場にいるアルネリオ側の一同も目を白黒させ、しきりにきょろきょろと周囲を見回している。
高原に立っているイラリオンたちの姿がぐんぐん下方へと遠のいていき、やがて森と山々がはるか眼下の遠景へと変わった。
「どうか、しばしの爽快な空の旅を楽しんでいただきたい」
言いながら、玻璃の手がいつのまにか自然とユーリの肩を抱きよせている。
「ああ、ちなみに。一同の中に高所の苦手な方がおられたら、別室でお休みいただこうと思う。遠慮なく申し出られよ」
「は、はい……」
「そなたはどうかな? 高い場所はお嫌いか。気分が悪くなったりはしていないか?」
「い、いえ。私は大丈夫ですが」
耳のそばで聞こえる玻璃の声が、ひどく甘く響いてくすぐったい。ユーリは胸から喉、首から耳へとじわじわと熱がのぼってくるのを覚えた。
最初こそ驚きはしたものの、玻璃の言うとおり、これはなかなか爽快な体験だった。何と言っても、普通ならまずできないはずの経験だ。
外をびゅんびゅん飛びすぎる薄い雲。渡り鳥の群れが眼下へ過ぎ去り、小さな豆粒の集まりのようになる。はるか遠くの草原の上をなにやら白い胡麻粒がうごめいていると思ったら、それは牧童と犬に追い立てられているヤギたちの群れだった。
ユーリはむしろわくわくしている。目を輝かせているうちに、飛行艇はあっという間に雲の層をつきぬけて、濃い藍色をした静かな空へと飛び出ていた。
胸の鼓動が抑えられず、ユーリは上ずった声で叫んだ。
「ほら、見てごらん! すごいな、ロマン! なんて太陽がまぶしいのだろう。雲の上というのは、こんなに静かなものなのだな……って、え?」
何となく隣を見て驚いた。
ロマンが真っ青な顔をして完全に硬直している。
「ロ、ロマン……? 大丈夫か?」
「え? う? だっ……だだだ、大丈夫にっ、ございますっ……?」
いや、絶対に大丈夫ではなかった。
少年の目は泳ぎ、いつもは流暢な言葉は途切れまくり。体じゅうがガクガク震え、びっしょりと冷や汗をかいている。こんなロマンは初めて見た。
「いけません、玻璃どの。申し訳ありませんが、ロマンはどうか別室へ」
「おお。心得た」
「いえっ! いえ、わたくしは大丈夫です……! ゆ、ユーリ様のそばに、いなくては──」
必死にそう言いながらも、ロマンはもう両目をぎゅっとつぶって俯いてしまっている。自分で自分の体を抱きしめ、背中を丸めて震えている。怖くてたまらないらしい。
「無理をするな、ロマン殿。先ほども言ったが、後部にそういう時のための部屋がある。……すぐにお連れせよ」
「は」
と、玻璃の背後に控えていたらしい黒鳶がすうっと姿を現した。
そのままロマンをなだめすかし、後部の扉から外へ連れ出してくれる。ロマンがろくに歩けないので、黒鳶はすぐに彼を横抱きに抱え上げた。
いつものロマンなら金切り声をあげそうな場面だったが、今はそれどころではないらしい。少年は小鳥の雛みたいに震えながら、がっちりと男の首っ玉にかじりつき、首元にぴたりと顔をうずめてしまった。
黒鳶は軽々とした足取りで、そのまま背後の扉へ消えていく。
「大丈夫でしょうか、玻璃どの……」
見送って心細い顔になったユーリに、玻璃は鷹揚な笑顔を向け、「心配いらぬ」と頷いた。
「機内には、こんな場合のためにリラックス・カプセルが準備されている。気持ちの安らぐ香草の香りと、川のせせらぎ、小鳥の声などの音に包まれて、静かに眠っていられる場所だ。高ぶった気持ちも落ち着こう。ロマン殿には到着するまで、少し休んでおいていただこう」
「はい……」
それでも不安な顔をしていたからなのか、玻璃はそっとユーリの髪をその手で撫でた。ひどく優しい手つきだった。
「ご心配召さるな。あの少年がそなたの大切な者であることは、よく存じ上げている。何かあれば、些細なことでもすぐにそなたに知らせるゆえ」
「は……はい。どうかよろしくお願いします」
ロマンには申し訳ないと思いつつ、ユーリはいま、こうして玻璃に触れられていることに胸の高鳴りが抑えられずにいた。
もう少し、強く抱きよせてくれてもいいのに。
もう少し、顔を近くに寄せてくださっても──。
(ああ! だから何を考えてるんだ、私は……!)
思わず頭の隅をかけぬけていった思考を、自分で必死に叱咤する。
だが、ユーリは気づいていなかった。真っ赤になって俯いた自分の横顔を、紫水晶の瞳が面白そうに、じっと眺めていたことに。
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