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第三章 海底皇国へ
6 高原にて
しおりを挟むその日、ユーリはひどく緊張していた。
ここはアルネリオ宮からはるか南西に下った所に位置する、山の中腹である。けっこうな広さのある高原地帯となっており、周囲を森に囲まれた場所だ。今回の件を秘密裡に行うには、ちょうどよい場所だった。
山の麓には、途中まで同行してきた騎馬の一個小隊が待機している。いずれも口の固い武官ばかりを選んで構成されていた。
(玻璃殿……。いったいどこから現れるのだろう)
我が国の礼装である金銀の刺繍のほどこされた軍装を着て、ユーリは周囲をきょろきょろと見回している。
隣には「どうしてもついていく」と聞かなかった次兄、イラリオンがおり、背後にはロマンや黒鳶以下、十数名の使節の皆々と護衛の兵士十名ばかりが従っていた。黒鳶だけは完全に普段どおりの静かな佇まいだが、彼を除く者は皆、ユーリ同様やや不安げな目をして玻璃たちの到着を待っている。
あの奇妙な会議の間での出来事から、すでに十日が過ぎている。
父も兄たちも臣下の面々も、「とても十日では準備できない」と反対しきりだったのだが、あの玻璃皇子に「善は急げと申します。それに、そちらの使節の皆さまにはなんのご負担も掛けませぬ。どうか身一つでいらしてください」と自信たっぷりに言い切られ、黙り込むしかなかったのだ。
要は、完全にあの皇子に押し切られた形だった。
海底皇国への親善大使の人選は、ごく内々のうちに進められた。
皇帝エラストと三人の王子以外でこの事実を知っているのは、あの会議の間にいた重臣たちとこの場にいるわずかな者たちだけである。山の麓に残してきた兵どもには、この道行きの目的は知らされていない。
この後、山をおりていくだろう海底皇国の親善使節を、乗って来た馬車で帝都クラスグレーブまで送り届けるのが彼らの仕事だ。
なにしろ、あまり大っぴらには動けない。エラストが最初から心配していた通り、兄たちも重臣たちも「海底皇国の存在そのものが我が国の臣民の心を無闇に惑わせることになるだろう」と口を揃えて言ったからだ。
当然、親善使節の交換そのものも極秘裏に行わなくてはならない。ユーリに同伴する者たちは、基本的にはさほど身分の高すぎない貴族の子弟から選ばれた。
それも養子に入った者、父母がすでに他界しているもの、家の跡取りではない者らを中心に構成されている。要は、万が一なにか取り返しのつかないことがあっても後腐れの少ない者ということだ。
ロマン少年について言えば、彼は下級貴族の出身であるだけでなく、当主たる父との関係がぎくしゃくしている。そのうえ、実の母はとうに他界しているのだそうだ。あまりはっきりとは教えてくれないのだが、彼には彼の家の事情というものがあるらしい。
つまりロマンは、本人の切なる希望もさることながら、十分にこの親善使節の構成員としての条件を満たしていたわけだ。
ロマン少年は、恐らくユーリのための茶器一式を持ってきているのだろう、大きな革袋にいっぱいに荷物を詰めて小さな体に背負い込んでいた。
「そろそろ、約束の刻限ではないのか? いったい彼奴らはどこから来ようというつもりか──」
そう言って、イラリオンが苛立たしげに腕組みをし、鼻息を吹き出したときだった。
ゴオオ、と聞いたことのない低音が空気を震わせ、不意に頭上に大きな影が現れた。
「あっ!」
「おおおっ?」
場の一同がどよめき、さっと身構える。
兵士らが厳しい表情で親善使節団を取り囲み、得物である槍や弓などを素早く構えた。ユーリとイラリオンは、全員の中心に囲い込まれる形になる。
(あ……あれは)
ユーリも驚きを隠せない。
その物体は、いきなり空気の中から溶け出たようにしか見えなかった。
ゆるりと曲線をえがいた奇妙な菱形で、ちょうど海を悠々と泳ぐエイと呼ばれる生き物に酷似している。だがもちろん、生き物ではない。全体に見たことのない金属で出来ているようで、薄青い銀色の表面が陽光を跳ね返している。
巨大なエイのようなものは、全長が優に二百メートルはありそうだった。それがほとんど音もたてずにこちらに向かって降下してくるのだから、人々は完全に度肝を抜かれた。
「さっ、さがって。お下がりください!」
武官の隊長がそう叫び、皆は一様にじりじりと後退しはじめた。
そもそも最初から、玻璃はあれでここへ来るつもりだったのだろう。だから、ある程度の広さのある場所を指定してきたのだ。
皆がある程度後退したところで、巨大なエイは速度をゆるめながらさらに降下してきた。そうしてやがて、ふわりと草地の上にその腹をつけた。
皆が瞠目して見つめる中、エイの下腹にあたる部分が四角く開いたかと思うと、そこからするすると平たい板状のものが地面に下ろされたのが見えた。
固唾を飲んで見ているうちに、やがてそこに見覚えのある人影が現れた。
「は……玻璃どのっ!」
思わず叫んで、ユーリは走り出した。
長い銀の髪を風になぶらせた勇壮な体躯の男は、あの人に間違いなかった。
今日の玻璃は古の東方の装束でよく見るような、前袷の上品な衣装を身につけている。金属製の留め具などはなく、細やかな織り地の帯や組み紐などであでやかに装っていた。
「なっ……。おい、ユーリ! 危険だぞ。一人で近づくなっ!」
背後からイラリオンの声が追いかけてくる。それと共に、多くの足音が後に続いた。
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