ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第三章 海底皇国へ

5 瑠璃皇子

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《お集まりのご一同には、はじめてご挨拶を申し上げる。海底皇国『滄海わだつみ』の帝が一子、玻璃と申す。以後、お知りおきを願いたい》

 雄々しくも堂々たる男の声が、朗々と会議の間に流れ出た。
 しばし、場を緊張が支配する。が、遂に皇帝エラストが沈黙を破って口を開いた。

「お顔は見えぬが、余からもご挨拶を申し上げる。この帝国アルネリオの皇帝ツァーリ、エラストである。海底皇国ワダツミのハリ殿とやら。先日は、我が子ユーリの命を救っていただき、心より感謝を申し上げたい。こちらこそ、以後お知りおきを願いますぞ」
《これはこれは。ご丁寧な挨拶、痛み入ります。エラスト陛下》

 玻璃の声はいかにも朗らかで懐深く、ゆったりと低いものだ。ユーリはそれだけで男のあの魅力的な笑顔を思い出す。

(あ。いかんいかん)

 どうやら自分は、思った以上にほっとした顔になっていたらしい。目の端でこちらを観察していたらしい父と兄たちの視線がやや痛いものになったような気がして、ユーリはゆるんでいた頬の筋肉を慌てて引き締めた。
 父はその後、兄セルゲイとイラリオンとを紹介した。臣下の皆々については省略、割愛するとして、早速本題に入る。

 兄たちも臣下の皆も、先ほどと同じ疑問や不安を次々に口にした。だが、最終的に「お互いに王子を親善大使とする」という玻璃の案に否やを言えるほどの理由を見出すことはできなかった。
 最後まで抗弁していた臣のひとりが遂に黙ったとき、ユーリの胸は激しく踊った。

(ついに……!)

 遂に、千年もの間断絶していた大国同士の交流が始まるのだ。
 そして自分は、またあの紫水晶の瞳を見つめ、見つめられることになる。
 それを思えばユーリの鼓動は、いやが上にも高鳴るほかはなかった。





「親善使節ですって? いったい何をお考えなのですか、兄上は!」

 第二皇子、瑠璃るりの怒りはすさまじかった。
 海底皇国、王宮内の玻璃はりの私室である。

「第一、なんでわたくしがわざわざそんな辺鄙へんぴな場所へ参らねばならないのです。そんなもの、臣下のだれぞかにやらせておけばいいではありませぬか!」
「そういうわけにも参らぬのだ、瑠璃」

 玻璃は泰然とそう言って、顔を真っ赤にして憤激している弟にやわらかく笑いかけた。

「あちらは正妃の生んだ三番目の男子を寄越すとおっしゃっている。つまり、先日のユーリ殿下だ。だというのに、こちらが臣下のだれかにするなど、それこそ承服できかねる話になろう」
「でっ……ですが!」
「無理を承知で頼んでいるのだ、瑠璃。この通りだ」

 言って玻璃は、座っていた豪奢な腰かけから立ち上がると、弟の前に深々と頭を垂れた。瑠璃がびっくりして全身を強張らせる。

「あっ、兄上……。そのような」
「ここはどうか、この俺の顔を立ててくれぬか。な?」
「し、しかし」
「こう申してはなんだが、あちらはこちらとは段違いに科学技術が劣っている。黒鳶たちが易々と王宮内部の奥深くに入り込めるほどにはな。身を隠している間諜たちの存在を探知する機器もない。ならばそなたも、思う限りの護衛をそばに置けばいいのだ。ただし、慎重に姿を隠させてな」

 瑠璃はふつりと黙り込み、それでも玻璃を睨みつけながら、形よい唇をきりっと噛んだ。

「……そんなに、その者がお気に召しましたか」
「ん?」

 玻璃が顔を上げる。見れば華奢な体躯の美麗な弟が、両の拳を握りしめ、ふるふると全身を震わせていた。

「だって、来るのはあの『ゆうり』とかいう奴なのでしょう。そんなにその者がお気に召したのかと訊いているのですっ!」
「……ああ、うん。そうだな」

 玻璃はふわっと苦笑した。まったく悪びれる風もない。
 真顔でいれば、むしろ荘厳ささえ漂わせる高貴な顔だが、こうして笑った途端に急に目元が優しくなる。昔から、兄はずっとこうだった。
 誰にも憎むことのできないような、そんな軽さと温かさを含んだ笑み。この笑顔の前でいつまでも抗弁し続けられた者を、瑠璃はいまだかつて見たことがない。

(兄上は、ずるい)

 いつもそうだ。
 いつもいつも、どんな者でも、玻璃兄のこの笑顔には勝てない。
 兄は、弟である瑠璃のほうが父の覚えもめでたいと思い込んでいるらしい。だが、実際は反対だ。父が自分を愛するのは、飽くまでも愛玩対象としてのそれに近いことだ。それはだれより、瑠璃自身がよくわかっている。
 しかし、玻璃はそうではない。この兄は、いずれこの国を背負って立つ人なのだ。そして事実、すでに海底皇国の帝王として君臨するために必要な、ありとあらゆる資質をほぼ身につけている。

 斯様かように豪快かつ鷹揚でありながら、側仕えの人々だけでなく下々の民らに対しても細やかな配慮を欠かさない。
 まさにこういう男を「器が大きい」とか「懐が深い」と評するのだろう。小さき者、目下の者へ細やかに優しい愛情を注ぐことのできるこの兄を、いつまでも憎み続けられる人はそうはいない。
 それはもちろん、自分、瑠璃とて同じだった。

 瑠璃は八つ年上のこの兄に、ずっと憧れながら生きてきた。
 大好きな兄上。憧れの兄上。
 いつかはあんな風になりたいと、武術の稽古や学問だって怠けたことは一度もない。
 それでも、追いかけても追いかけても兄にはなれぬ。どんなに武術を学んで体を鍛えても、兄のように豊かで屈強な体躯を持つことは叶わなかった。
 いつまでたっても自分の体は、なまっちろくて細っこくてみっともないままだった。側仕えの者たちがどんなに「瑠璃様はまことお美しいですね」と褒め言葉を献上しようとも、決して気が晴れたことはない。
 どんな賞賛の言葉を受けても、瑠璃のそういうねてよじれてしまった心はまっすぐになることはなかった。ちょうど、瑠璃のゆらゆらと水にたゆたう長い濃紺の髪のように。

 だが、問題の本質はそこにあるのではなかった。 
 むしろ、こちらのほうが問題だった。
 どんなにこの人を愛しても、自分はこの人の傍らで生きていく存在にはなれない。実のところ、それにはこの国特有のとある問題が大いに関係している。男子同士であることには技術的に問題はなくなっているのだが、それをもってしても解決できない、大きな問題がこの国にはある。
 だからどんなに頑張ったところで、自分はこの人の子を産む存在にはなれない。いわゆる「番」にはなれないのだ。

──その、のほほんとした「ゆうり」とかいうおかの王子とは違って。

 急に暗い目をして黙り込んでしまった弟を、玻璃はしばらく不思議な目の色をして見つめていたようだった。が、やがて再びこうべを垂れて静かに言った。
「どうか、聞き分けてくれ。俺の名代としてかの国へ、親善大使となって参じて欲しい。……頼む、瑠璃」と。

 瑠璃は握っていた拳の力をさらに強めた。爪が手のひらに食い込んで皮を破りそうだった。瞳は蒼い炎をまとって海底火山さながらに燃え上がる。
 だが、遂に最後は黙って首を縦に振った。そうするほかはなかったからだ。

 弟の目の中に浮かんだ深い想いと怒りと悲しみに、兄は遂に最後まで気づいてくれることはなかった。

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