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第二章 陸の国と海の国
10 黒鳶
しおりを挟むユーリとロマンはほとんど互いに抱き合うみたいにして飛び上がった。
そこには今の今までいなかった、精悍な風貌の武官らしき男が立っていた。
全身、黒ずくめである。玻璃ほどではないが上背があり、頭には黒いターバンのような布を巻いている。顔の下半分を覆った革製らしいマスクもマントも黒い。
マントの下には、こちらとは明らかに形の違う前袷の装束がちらりと見えた。腰には長い得物を差している。剣かなにかであるらしい。その鞘すらも黒かった。
無造作にマスクを引き下げ、男はすぐにその場に片膝をつくと、片方の拳を床へつけ、玻璃へ深々と頭を下げた。短い髪も瞳も、吸い込まれそうな黒である。瞳のほうは、光の加減でやや青みがかって見えた。
玻璃ほど派手な見た目ではないものの、それでも十分に精悍で見栄えのする容姿である。
「驚かせてすまぬな、ユーリ殿。これでも俺は一国の皇太子。まさか単身、他国の王宮に参じるわけには参らなくてな。小狡いこととは知りながら、ちょっとこちらの科学技術を駆使させていただいたのだ。許されよ」
「いや、あの……」
「俺の腹心で、名を『黒鳶』という。以後、見知りおいてくれ」
「ク、クロトビ……どの?」
彼の紹介と共に、黒ずくめの男はこちらに向かって改めて頭を下げた。
「敬称などはご無用に願います。どうか『黒鳶』とお呼び捨てを」
きりりとめりはりのある身のこなしが、いかにも武人らしい。武骨な装束に隠れているとはいえ、それでもその下に走っている無駄のない筋肉が想像できるような体躯だった。
「この者に、父からの親書を持たせてある。どうかそれを、まずはそなたの父王に差し上げて頂きたい。俺のことは、まずは『海底皇国からきた使者』とでもお伝えくだされば十分だろう」
「は、……はあ」
「俺もこれで、なかなか多忙の身なのでな。一旦、故国へ戻らねばならぬ。後日また改めて、お父上と兄上がたへのご挨拶に参上しよう」
「…………」
そうか。この男は帰るのか。
そう思ったら、ふっと冷たい風が胸の中を通り抜けたような気持ちになった。
その理由がなんであるかをユーリがしかとつかみ取る前に、玻璃は慈愛のこもった目でこちらを見下ろして言った。
「次までに、どうか此度の件を考えておかれるよう。よい返事を期待している」
気が付けば、また優しく片手を取られている。と思ったら、あっという間に手の甲に軽く唇を当てられてしまった。
「ひゃっ!?」
思わず飛び上がって手を引っ込める。ロマンがぎょっと目を剥いて、再び男を睨みつけた。が、相手は気分を害した風もなく、にっこり笑い返しただけだった。
「まあ、ご無理はなさらぬようにな。そもそも、そなたから笑顔が消えるような顛末は俺の望むところではないゆえ」
「は、……はあ」
ユーリはもはや困り果て、ひとつ頷くぐらいのことしかできない。
「この者をそなたの護衛としても使ってみて貰いたい。今後、俺の国との関係のことでそなたに害が及ばんとも限らぬゆえな」
「えっ? それは、どういう……」
が、男はそれには答えず、ちらりと黒ずくめの男を目で示した。
「こちらの状況や俺の意思についても、此奴ならば何かと補足できよう。なにか問題があれば、すぐさま連絡を寄越してくれ。よいか?」
「や、あの……連絡と申されましても」
たとえ手紙を書いたとしても、いったいどこへ送ればよいのか。
首をかしげてロマンと顔を見合わせていたら、玻璃がついと近づいてきて、ユーリの手をまた取った。
手のひらに細めの腕輪のようなものを置いて握らされる。
それは一見、全体につるりとした銀色の装飾品のようだった。どうも材質がよくわからない。見た目に反して、触れてもあまりひやりとした感じがしないのだ。
「こ、これは?」
「遠方にいる者と連絡を取り合うための装置だ。使い方は簡単。この部分をちょっと押してから話せば、俺に聞こえるようになっている」
見れば玻璃が太い指で示したところに、小さなサファイヤのような色をした丸い突起がある。
「あまり人前では使わぬことをお勧めするが、危急の場合には気にせず使え。そなたのためならば、俺はいつでも、即座に飛んで参るゆえ」
「…………」
その物言いはもはや、ユーリが我がものとなったかのようにも聞こえた。が、やっぱり不思議と嫌な気分にはならない。そのまま彼に腕をとられ、ぱちりと軽い音をたててそれを左腕にはめられる。
「あ、あの……」
男の手が触れている場所が妙に熱いような気がして、ユーリは顔を上げられなくなった。
「ここを押せばすぐに外れる。このまま入浴しても問題ないゆえ、できれば外さぬほうがよかろうな」
男はそれには気づかぬ風で、淡々と使い方の説明をしてくれた。もちろん横で、「我が主の身になにをするのか」とばかり、ロマンが大いに鼻白んだからというのも大きいのだろう。
「ではな、ユーリ殿下。また近いうちにお逢いしよう」
最後は呆気ないほどに簡単に言って、玻璃はひょいと片手を上げてにこりと笑った。
「あっ……!」
次の瞬間、玻璃の姿はもう、さきほどの黒鳶とちょうど反対のようにして、空気に溶けるように見えなくなった。
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