ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第二章 陸の国と海の国

5 変貌

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 ユーリは走った。
 それはもう、生まれてこの方はじめてではないのかというぐらい、必死に足を回転させた。
 大広間の脇にある回廊を風のように駆け抜ける第三王子を、文官、武官、下働きの者や女官などが不思議そうに目で追った。
 後ろからは「ま、まってくださいまし」と死にそうな声で叫びながらロマンが追いすがってくる。

 王子自身がまさか城門のところまで行くわけにもいかず、ユーリはひとまず王宮の最前部、前の宮の、衛兵らの詰め所の置かれている区画を目指した。そこには役人が訪問者と面談するための応接室が置かれている。
 警備兵らに訊ね回って、ユーリはとうとうその部屋へたどり着いた。だが、すっかり息が上がってしまい、はやる気持ちとは裏腹に、部屋の前で膝に手を乗せてしばらく呼吸を整えねばならなかった。
 ロマン少年はその頃になってようやく追いつき、同じように激しく肩を揺らして、必死に酸素を取り込んでいるようだった。

 二人がどうにかこうにか息と乱れた衣服を整えてから、ようやく扉は開かれた。
 皇帝のための応接の間に比べれば、ごく小ぶりな部屋である。内部に大した調度はなく、面接のための簡素な机と椅子が二脚あるばかり。隅には衛兵らがそれぞれ一人ずつ立って、部屋の中央に居る面妖な人物に胡乱な視線を当てていた。

(ああ……!)

 見間違いようがなかった。
 長く緩やかにウェーブした銀の髪。紫水晶を思わせる、力強い瞳の色。日焼けした肌に、不敵な微笑み。
 だが何故か、今回この男の下半身は前回とはまったく違った。
 いや、おかしいかと言われれば別におかしくはない。
 普通の人間としてのそれは、まったくおかしくなどはなかった。

──つまり。

 あるのだ。
 人間としての両足が!
 驚くべきか、前は立派な魚類としての尾鰭だったはずのそこに、普通の人間の男としてのたくましい両足が存在していた。
 前回はほぼ全裸に近かったのだったが、今のこの男はこのあたりの一般の民が普通に着るような上着と下穿きを身に着けている。

(ど、どういうことだ……?)

 半ば開いた口をいつまでもぱくぱくさせていたら、男はにかりと笑みを深くして立ち上がった。

「おい! 貴様、許可なく立つな」

 と、すぐに衛兵らがその行く手を遮る形で前へ出てくる。まさかそのまま、ユーリに接近させるわけには行かないからだ。
 兵らが確認するようにユーリの表情を窺ってくる。

「殿下。こちらの男なのですが……いかがでしょうか」
「お知り合いだというのは、まことのことで?」
「本人が申しますには、何やら以前、殿下のお命を救ったとか、なんとか」
「まさか本当のこととも思いませんでしたが、あまりにこやつが堂々としておるもので」
「殿下に取り次がねば、後々大変なことになるぞとまで申しまして──」

 あまり長いことユーリが絶句していたものだから、兵らの目が次第に険しくなってきている。それと共に、言葉が相当言い訳がましくなってきた。

「いや! いやいや! 違うのだ」
 やっとそれに気づいて、ユーリは慌てて手を振った。
「その男が申しているのは、本当のことだ」
「まことでございまするか、殿下」
 衛兵らの長であるらしき男が、慎重な声で問うてくる。ユーリはさらに慌てて、うんうんうん、と何度も頷き返した。
「先般、私が旅先で大変世話になった男なのだよ。命を助けてもらった。本当だ」

 それら珍奇なやりとりの全体を、男はなにやら面白そうに、腕組みをしてにやにやと見つめている。
 あの時は互いに岩に腰かけている状態だったが、こうして見ると、男はかなり上背があった。ユーリなど、男の肩口ぐらいまでしかない。相当な巨躯といってよい体格だった。
 男は槍を手にした衛兵らに囲まれていてもごく泰然としたもので、もはや鼻歌でも歌いそうなほどに落ち着いている。

「ほらな。殿下はこうおっしゃっている。誤解は解けたか? おのおのがた」
「えっ……」

 ユーリは思わず目を剥いた。
 少し古風な言い回しにも聞こえるが、今の男は間違いなく、この帝国アルネリオの共通語を話していた。あの時はろくに言葉も通じなかったはずなのに。あれはほんの、数日前のことだったというのに。
 なにやら魔物か何かに馬鹿されたような気になって、またぽかんと口をあけ、ユーリは言葉を失ってしまった。

「あ、……あし。あ、し……」
「ん?」
 面白そうに、男がちょっと首をかしげる。
「それに……こ、言葉──」
 あわあわと男の足やら口やらを指さしておろおろしていたら、男がぶはっと吹き出した。
「ははは! 相変わらず、可愛らしい御仁だな」
「こら、貴様! 言うに事欠いて何をいう。殿下の御前であるぞっ!」

 兵の一人が即座に槍を構え直すのを意にも介さず、男はごつい片手でその穂首をひょいと握って自分の顔から遠ざけただけだった。ほとんど赤子の手を捻るに近かった。

「危ないだろう。怪我でもしたらどうするのだ」
「むむっ……?」

 そこから槍がぴくりとも動かなくなり、兵は慌てたようだった。両腕と体重の力で必死に動かそうとするのだが、どうにもこうにも動かない。

「俺は殿下の恩人だと言ったはずだ。わずかな傷でも為そうものなら重罪を食らうは必至。気をつけよ。ん?」

 いいながらその兵士の顔をずいと覗き込み、無造作に槍を放す。
 と、バランスを失って兵はふらふらとよろめいた。他の兵らは顔を見合わせ、少し男から距離を取る。
 確かに男の言う通りなのだ。もしも本当に王族の恩人ならば、かすり傷のひとつも負わせては大ごとになる。下手をすれば死罪を頂戴することになる。

「……殿下。いかがなさいますか」
 護衛兵長がそう訊ねてきて、やっとユーリは言葉を取り戻した。
「あ、ああ……うん。ええっと」
 ばくばくと、さっきから心の臓が鳴りっぱなしだ。
「わ、私の賓客としてもてなしたい。……どうぞ、こちらへ」
 震える声でそう言ったら、男は即座ににかっと笑った。
「ああ。ありがたい。世話になる」

 なんと、堂々としたものか。
 これでは一体、どちらが王族なのやらさっぱりわからぬ。

(……そうだ。そうなのだ)

 この男には、どうやら王者の風格がある。

(いったい、何者なのだ……?)

 様々な疑問を脳内でごちゃまぜにさせつつ、ユーリはその後、ロマンと共に男を宮殿奥へと案内したのだった。

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