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第二章 陸の国と海の国
4 訪問者
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「何をそのようにいきり立っておるのだ」
「何をではございませぬ!」
瑠璃は自分よりも濃い青紫色をした瞳を燃え上がらせて、きっと兄を睨んだ。
自分よりも八年ばかり遅く生まれたこの第二皇子を、父の群青はことのほか可愛がっている。
気はやや荒くて短慮なところもなきにしもあらずだが、それを補って余りあるこの美貌だ。肌の色は透けるように白く、青や紺を基調とした瞳や髪も美しい。胸にさがった真珠の飾りの両側にちらりと見える桜貝色の胸の突起が、時にひどくなまめかしく見えることもある。
腰から下は、やはり藍色のつややかな鱗に覆われた美麗な魚の尾になっていた。
「先日、あの《天井》に赴かれたのみならず……今度はそちらへ、《変貌》してまで参られるというのは本当ですかッ!」
「……だれに聞いた」
声を低めてじろりと睨めつけただけで、弟はびくっと背筋を強張らせた。自分の姿と声にそれだけの迫力があることを、玻璃は十分に弁えている。
周囲に視線を走らせると、奥へさがったはずの手下の文官、武官の数名が、仕切りの玉簾の向こうで肩を竦め、視線を落としたのが目に入った。
(しょうのない奴らめ)
この弟が可愛い顔をして「お願いだ、どうか教えて」と泣きすがれば、大抵の者はすぐに陥落してしまう。海皇の寵愛めでたい皇子であるのもさることながら、この美貌と愛らしさだ。なかなか、その懇願に抗うことは難しかろう。
どうせ、反対してくることは分かり切っていた。わざわざ秘密にしようとまでは思っていなかったが、敢えて知らせなかったのも事実だったというのに。
玻璃は敢えて鷹揚な微笑みをうかべると、穏やかな顔に戻って美しい弟の顔を見つめた。
「……もう決めたことだ。父上の許可も頂いている」
「ま、まさか。そのような……!」
激昂した弟がまたきゃんきゃん吠えだす声を、玻璃はもうまるで聞こえていないかのように右から左へと聞き流した。
そうだ。
もう決めた。
自分はもう一度、あの青年に逢いに行くのだ。
◆
不思議な訪問者がやって来たのは、ユーリがあの危険な長旅から帰還して、ほんの数日後のことだった。
「殿下。その……」
非常に言いにくそうにしながら現れたユーリの部屋付きの警備兵は、かなり困った顔でこう言ったのだ。
「お心当たりがおありでなければ、大変申し訳ないことにございまするが。ええ、その……」
「なんだい? 早く言ってくれ。せっかくの、ロマン自慢の紅茶が冷めてしまうよ。そうなっては可哀想だから」
それはちょうど、午後のお茶の時間だった。ロマンがユーリの大好きな茶菓子を準備し、熱々の紅茶を注いで、いざ味わおうとした矢先のことだった。
ロマン少年は努めて表情を動かさぬように頑張っていたが、それでも十分不快そうに見えた。実はこの少年、紅茶には一家言ある人なのだ。
茶葉の状態、蒸らしの時間、カップそのほか茶器の温度。その日の気温や湿度によっても紅茶の味は変わってしまう。そこを読み切って、常に最高の味のものをユーリに供することがこの少年の至上の喜びらしいのだった。
「あ、申し訳もございませぬ。ええ、その……。先ほど、城門前に奇妙な男が現れまして」
「男……? それが?」
そんなもの、普段ならユーリに話が来る道理のものではない。城内の人間に約束のある者なら承認印の捺された証書や手形を持参しているはずだ。それがない者は門前払いが普通である。
そもそも一国の王子を名指しで訪ねてくるなど、常識では考えられない。
それでもこの話がユーリまで回って来たという時点で、これはかなりの椿事だった。
「どんな男なのだ? 風体は」
「は。それが、その……非常な巨躯の男なのです。なにやらおかしなほど堂々としておりまして。長い銀髪に紫の瞳。肌色はやや黒く──」
「えっ?」
(銀髪に……紫の瞳だと?)
言葉の途中で、もうユーリは椅子から半分腰を浮かしていた。
「ま、まて。ええっと……」
頭が混乱する。口の中が一気に水分を失ったのが如実に分かった。
(まさか。まさか……!?)
「そ、その男……何か申していなかったか? 私に、なにか」
「あ、はい」
警備兵はぴしっと踵をつけて、いつもの言上する姿勢を取った。
「殿下に、る、『【ルサルカ】と伝えてくれればよい』と申しておるそうですっ!」
(……!)
その途端。
椅子がガタンと、派手な音を立てて床に倒れた。もちろんユーリが倒したものだ。
それを振り向くこともせず、もうユーリは駆け出していた。
「あっ! 殿下……!」
ロマン少年の声が、はるか後方から聞こえてきていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさかの、ロマン=杉下右〇説が浮上してみたり……(笑)。
「何をではございませぬ!」
瑠璃は自分よりも濃い青紫色をした瞳を燃え上がらせて、きっと兄を睨んだ。
自分よりも八年ばかり遅く生まれたこの第二皇子を、父の群青はことのほか可愛がっている。
気はやや荒くて短慮なところもなきにしもあらずだが、それを補って余りあるこの美貌だ。肌の色は透けるように白く、青や紺を基調とした瞳や髪も美しい。胸にさがった真珠の飾りの両側にちらりと見える桜貝色の胸の突起が、時にひどくなまめかしく見えることもある。
腰から下は、やはり藍色のつややかな鱗に覆われた美麗な魚の尾になっていた。
「先日、あの《天井》に赴かれたのみならず……今度はそちらへ、《変貌》してまで参られるというのは本当ですかッ!」
「……だれに聞いた」
声を低めてじろりと睨めつけただけで、弟はびくっと背筋を強張らせた。自分の姿と声にそれだけの迫力があることを、玻璃は十分に弁えている。
周囲に視線を走らせると、奥へさがったはずの手下の文官、武官の数名が、仕切りの玉簾の向こうで肩を竦め、視線を落としたのが目に入った。
(しょうのない奴らめ)
この弟が可愛い顔をして「お願いだ、どうか教えて」と泣きすがれば、大抵の者はすぐに陥落してしまう。海皇の寵愛めでたい皇子であるのもさることながら、この美貌と愛らしさだ。なかなか、その懇願に抗うことは難しかろう。
どうせ、反対してくることは分かり切っていた。わざわざ秘密にしようとまでは思っていなかったが、敢えて知らせなかったのも事実だったというのに。
玻璃は敢えて鷹揚な微笑みをうかべると、穏やかな顔に戻って美しい弟の顔を見つめた。
「……もう決めたことだ。父上の許可も頂いている」
「ま、まさか。そのような……!」
激昂した弟がまたきゃんきゃん吠えだす声を、玻璃はもうまるで聞こえていないかのように右から左へと聞き流した。
そうだ。
もう決めた。
自分はもう一度、あの青年に逢いに行くのだ。
◆
不思議な訪問者がやって来たのは、ユーリがあの危険な長旅から帰還して、ほんの数日後のことだった。
「殿下。その……」
非常に言いにくそうにしながら現れたユーリの部屋付きの警備兵は、かなり困った顔でこう言ったのだ。
「お心当たりがおありでなければ、大変申し訳ないことにございまするが。ええ、その……」
「なんだい? 早く言ってくれ。せっかくの、ロマン自慢の紅茶が冷めてしまうよ。そうなっては可哀想だから」
それはちょうど、午後のお茶の時間だった。ロマンがユーリの大好きな茶菓子を準備し、熱々の紅茶を注いで、いざ味わおうとした矢先のことだった。
ロマン少年は努めて表情を動かさぬように頑張っていたが、それでも十分不快そうに見えた。実はこの少年、紅茶には一家言ある人なのだ。
茶葉の状態、蒸らしの時間、カップそのほか茶器の温度。その日の気温や湿度によっても紅茶の味は変わってしまう。そこを読み切って、常に最高の味のものをユーリに供することがこの少年の至上の喜びらしいのだった。
「あ、申し訳もございませぬ。ええ、その……。先ほど、城門前に奇妙な男が現れまして」
「男……? それが?」
そんなもの、普段ならユーリに話が来る道理のものではない。城内の人間に約束のある者なら承認印の捺された証書や手形を持参しているはずだ。それがない者は門前払いが普通である。
そもそも一国の王子を名指しで訪ねてくるなど、常識では考えられない。
それでもこの話がユーリまで回って来たという時点で、これはかなりの椿事だった。
「どんな男なのだ? 風体は」
「は。それが、その……非常な巨躯の男なのです。なにやらおかしなほど堂々としておりまして。長い銀髪に紫の瞳。肌色はやや黒く──」
「えっ?」
(銀髪に……紫の瞳だと?)
言葉の途中で、もうユーリは椅子から半分腰を浮かしていた。
「ま、まて。ええっと……」
頭が混乱する。口の中が一気に水分を失ったのが如実に分かった。
(まさか。まさか……!?)
「そ、その男……何か申していなかったか? 私に、なにか」
「あ、はい」
警備兵はぴしっと踵をつけて、いつもの言上する姿勢を取った。
「殿下に、る、『【ルサルカ】と伝えてくれればよい』と申しておるそうですっ!」
(……!)
その途端。
椅子がガタンと、派手な音を立てて床に倒れた。もちろんユーリが倒したものだ。
それを振り向くこともせず、もうユーリは駆け出していた。
「あっ! 殿下……!」
ロマン少年の声が、はるか後方から聞こえてきていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
まさかの、ロマン=杉下右〇説が浮上してみたり……(笑)。
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