ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第一章 海の皇子と陸の王子

5 ルサルカ

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「殿下! ああっ、殿下ああああっ!」

 まだ少し強い風を縫って、少年の悲痛な声が聞こえてくる。
 間違いない。あれは側付きのロマンの声だ。
 まだ高めの波の上を、水中に潜んだ人魚兵らによって曳かれ、王子は帆船に近づいていく。そうこうするうち、どんどん日は昇っていった。
 途切れはじめた雨雲の間からアポロンアポロの矢が海面に突き刺さってくる。水面がきらきら輝いて、まるで昨夜の嵐の恐ろしさを払拭ふっしょくするかのようだった。

 帆船の船端で、船員や自分付きの護衛騎士らが大声で叫び合い、大騒ぎしているようだ。どうやら船に備え付けの小舟を下ろそうとしているらしい。
 船が水面へおろされると、漕ぎ手の船員と護衛騎士ひとり、それにロマン少年が縄梯子なわばしごをつたっておりてきた。
 王子が皆の手を借りて、おっかなびっくり自国の小舟へ移動すると、たちまちロマン少年がかじりついてきた。

「殿下! よくぞご無事で! ようございました、まことにようございましたあっ……!」

 少年はもう、大泣きになってしゃくりあげている。さぞや心配してくれたのであろう。少年の裏表のない泣き顔を見てはじめて、王子は胸の奥に熱いものを覚えた。

「ロマン。皆も。心配を掛けたな。すまなかった」

 王子は少年の背中を叩いてやり、周囲の騎士らにもねぎらいの言葉を掛けた。
 と、かいを手にした船員が、「あっ」と小さく声を上げた。
 見れば、今まで乗って来た人魚の小舟が、まるで嘘のようにするすると海中へ沈んで消えていくところだった。

「こ、……これは」

 迎えに来た人々が呆然とそれを見つめている中、王子は一人、必死に遠くへと視線をめぐらせていた。

「あ……」

 ああ、見えた。
 遥か遠方の波の上に、陽光を浴びてきらめく銀色の長い髪。
 精悍な相貌、雄々しくも優しげな瞳の色。
 その目で、男はまっすぐに自分を見ていた。
 王子が思わず手を振り、胸に手をあてて感謝の意を表そうとしたその時、男はさきほどの小舟さながら、するっと波間に姿を消した。

 あとにはただ、嵐の余韻を残した波がうねっているばかりである。





「それが、まことに不思議なことで」

 船に引き上げられ、自分の船室に戻った王子は、まずは船医の診察を受けた。その後は寝床で食事や飲み物を出されることになった。その間ずっと、ロマン少年や護衛騎士らがここまでの経緯を説明してくれている。
 ユーリは食事が終わって以降は自分の寝床に身を横たえて、それをつらつらと聞いていた。

「殿下が海へ落下なさってからしばらく、我らは必死に殿下をお探し申し上げておりました。しかし夜のことでもあり、波も荒く……」
「どうしても発見申し上げることが叶わず、周囲をぐるぐると回るばかりで」
「ロマンなど、ひたすら泣いておるばかりにございました」

 護衛騎士らの言い分は、ユーリにはなにやらひどく言い訳がましく聞こえた。

(何を言っているのだ、こやつらは)

 そういう貴様らは、己が命よりも優先してお守りすべき王子を放って、自室で船酔いと戦っていたばかりではないか。それも、半ばの者は仮病のはずである。
 自分も体調の悪い中、必死に王子を探してくれたのは恐らくロマンひとりであろう。

(まあ、こんな私など死んだところで困りはすまいが)

 そういう自覚があるだけに、ユーリも皆を強くは責められない気持ちになる。
 結果として、こうして命は拾ったことだし。幸い怪我や病気のひとつもなく、ひどい飢えや乾きを感じる前に救われたのだし。
 ……つまり、あの人魚の男に。

「それにしても。どうして私がいる場所が分かったのだ?」
「そ、それなのでございますが」

 ロマン少年に目を向けると、すぐに彼は話し始めた。
 あの後、丸一日ばかりは何の手がかりもなく、彼らはあてどもなく海の上をぐるぐる回り、まるで目処めどの立たない捜索活動を続けていた。が、日が落ちるころになってロマン少年の頭の中で不思議な声が響いたのだという。

「本当に面妖な声でございました。最初は、遂にわたくしの頭がおかしゅうなってしまったのかと危惧したものです」
「いえ実際、我々はすっかりロマンの気がふれたものだと心配しました」
 周りの兵士らも口を揃えてそう言った。
「が、やがて我らの頭の中にも同様の声が響くようになりました。船員どもの頭にもです」
「いや、最初は驚きました」
「船員どもは『悪魔の声よ』と怯える者までおりまして」
「ですが、やがてその声が『海に落ちた男は無事である』と」
「『案内するゆえ、言う通りに船を進めよ』と、こう申しまして」
「……なるほどな」

 王子があまりにもあっさりとうなずいたので、皆は一様に驚いたようだった。まあ当たり前である。しかしそれは、王子にとってすでに経験済みのことだった。
 どういう技術によるのかは分からない。しかし、明らかに言語の違う彼らには、それを翻訳して理解し、また相手に伝える技術が存在するらしいのだ。恐らくは、あの男が耳につけていた金色の装置によるのであろう。

(いやしかし……。そんな魔法のようなものが存在するのか?)

 王子は首をかしげてしまう。
 地上に残り少なくなった人類だが、彼らの間にも言語の違いは存在している。大昔は何十、何百と分かれていたそれは、人口が減ったことにより、今では五つ六つほどには減ってしまっているけれども。
 だが今のところ、自分たちには異なる言語を翻訳し、相手の脳へ直接語り掛けることのできる技術などは存在しない。
 いったいあの人魚どもは、どういった存在なのか。

(人魚……。人魚か)

 自分たちの言語では「ルサルカ」と呼ばれる生き物たち。
 昔話に出てくる彼らは、本当に実在したのか?
 それとも彼らは、本当の「人魚ルサルカ」ではないのだろうか。
 謎はいまだに謎まみれで、理解の手がかりすら得られなかった。

(……それにしても)

 堂々たる男ぶりのあの人魚の笑顔を思い出して、王子はふと溜め息をついた。

(もう少し、話をしてみたかったかもしれぬ)

 あの時はそれどころではなく、まさに命を喪う瀬戸際だった。ゆえに落ち着いてかの男と話などできる状況ではなかったのだが。
 いかにも懐の深そうなあの男の表情が脳裏に焼き付いて離れない。
 もう少し自分の気持ちに余裕が持てていたなら、かれらの情報を少なからず聞きだせていたかもしれないのに。そしてそれは、もしかしたら自分たちの王国にとって有益な情報であったかもしれないのに。
 そうすれば、母国へ帰還したときに、あの父への大いなる手土産にできたかも知れないのに。

(はあ。やっぱり私は、無能者だな──)

 心の中と口からと、同時に溜め息を吐き出して、王子はロマンや護衛騎士たちを下がらせると、しおしおと自分の寝床にもぐりこんだ。
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