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第四章 御子誕生
1 喜ばしい報せ
しおりを挟む春が過ぎ、夏が終わった。
季節は秋にさしかかり、あの事件からそろそろ一年が過ぎようとしていた。ちょうどその頃のことである。御所にはひさしぶりの明るい報せが舞い込んだ。
玻璃殿下とユーリ殿下の間に御子がおできになったのである。もちろん、男子であるユーリ殿下がご懐妊あそばされるはずはないので、これは「遺伝情報管理局」による快挙であった。
御子はいま、厳重な警戒態勢のもと、そこで秘密裏に大切に育てられているそうだ。ご誕生は、これから十か月ほど先になる。
おふたりが御子を授かったとの報せはまず、ごく内々の方々にだけ伝えられた。赤子ができてもしばらくは不安定な時期が続くのが普通であるため、公式の発表は数か月先の安定期に入ってからを予定しておくのが通例である。
祖父にあたられる海皇群青陛下はもちろんだったが、瑠璃殿下もそれを知らされたおひとりだった。
「……お、おめでとう存じます、兄上。ユーリ義兄上さまも」
東宮御所で玻璃殿下とユーリ殿下を前にして、瑠璃殿下は真っ青なお顔で必死に微笑みを浮かべようと努力されていた。が、おおかたの目にはそれが大いに失敗していると映ったことだろう。
すぐお傍にいた藍鉄の目には、それは火を見るより明らかだった。衣の下の殿下の指はずっと細かく震えっぱなしだったのだ。
「御子さまが、どうぞお健やかにお育ちになり、ご誕生あそばしますように」
「うん。祝いの言葉、礼をいうぞ。瑠璃」
玻璃殿下はいつものように鷹揚な笑みを浮かべて弟殿下をご覧になり、優しく頷かれた。ユーリ殿下は少し恥ずかしそうなお顔に見えたが、嬉しさは隠せないご様子だった。その瞳にはずっと、瑠璃殿下を気遣われる色が浮かんでいた。
ユーリ殿下は、非常に心優しい方なのだ。瑠璃殿下の兄君に対する気持ちも恐らくご存知でいらっしゃり、だからこそ必死に普通の表情でいようと努力しておられる。ユーリ殿下のお心映えについては、黒鳶からもあれこれと知らされて藍鉄もよく知るところとなっている。
帰り道の瑠璃殿下は、もはやすっかり血の気もひいたお顔の色で、ほとんど幽鬼のようだった。なんとかあの場ではこらえたものの、復路のエア・カーの中で「気持ちが悪い」と仰せになり、激しく嘔吐して、帰着後そのまま寝込まれてしまったのだ。
(無理もない)
殿下も、いつかはこういう日が訪れることは覚悟なさっていただろう。だが、こうして目の前に現実を突きつけられて平然としていられるほど、この御方は図太くできておられない。
御子がお生まれになれば、殿下はさらに見たくないものを見せられることになるだろう。家族として睦まじく暮らす兄君と配殿下、その御子の姿を見せられても、今日のように必死に微笑みを浮かべ続けなくてはならないのだ。兄君を心から慕っているこの方にとって、それはどんな地獄だというのだろうか。
典医の持ってきた薬をお飲みいただき、寝床へ入っていただいてから後は、藍鉄はひたすら寝室の隅で控えているしかなかった。
御帳台の中からはこそりとも音が聞こえず、そのまま夕刻を迎えてしまった。
食事の差配をする女官がそっと扉の外から藍鉄を呼び、殿下に食事の載った脚つき膳を預けていく。こういう時、殿下は他の者が部屋に入ることを好まれないからだ。
殿下のご体調を鑑みて、膳の上には消化のよさそうな粥や汁物が置かれていた。脇に毒見用の小皿と小匙が添えられており、藍鉄はそれで手早く毒見をした。
「殿下。夕餉にございますが」
「いらぬ」
思った以上に明瞭な声が御帳台の中から聞こえて、藍鉄は目を見開いた。とうにお目覚めだったようである。というか、一睡もなさってはおられないのかもしれなかった。
断られるのは予想の範疇だ。藍鉄も常のように食い下がった。
「左様におっしゃらず。少しなりともお召し上がりになりませぬと」
「うるさい。放っておけよ」
「左様なわけには」
殿下の声はくぐもっていて、微妙なニュアンスが伝わってこなかった。この方が「放っておけ」とおっしゃる時、もちろん文字通りの場合もあるが、「そばにいてくれ、離れないでくれ」という真逆の意味を含む場合も多々あるからだ。
藍鉄は膳を手にしたまま、しばし考えていた。
「ご気分が優れぬのでしたら、無理は申しませぬが。胃が空であると、かえってお体に障りますぞ」
「……お前は、本当にうるさいよな。相変わらず」
「は。それが仕事にございますゆえ」
「仕事か……。ふん」
自嘲気味に鼻を鳴らす音がして、衣擦れの音とともに御帳台の陰から殿下の顔がひょいとのぞいた。
「わかった。食べる。……少しだけだぞ」
「は」
藍鉄はすぐに御帳台ににじりよると、一礼して中へ進み、寝具の脇に膳を据えて引き下がろうとした。
「行くな。ここにいろ」
殿下が鋭く言った。
「……は」
命ぜられるまま、御帳台の隅あたりに控える格好になる。昔の御帳台はもっと小ぶりなものだったようだが、現在のそれはかなり大きな設えに変わっている。御典医や女官が侍る場合などに、狭くては困る場合があるからだ。
「……ん」
殿下はご不満そうな顔のまま、ご自身の匙を取ってこちらに突き出した。
無言だが、暗に「食べさせよ」ということのようである。
藍鉄は黙って頭を垂れてから、膝を進めてお褥ににじり寄った。
そのまま藍鉄が器をとりあげ掬った粥を、ひと匙、ふた匙召し上がったところで、殿下はひとつ溜め息をついた。
「……バカだな、私は」
藍鉄は匙を持ったまま殿下の次の言葉を待った。
「いまさら……なにがこうまでショックだというのだろう。バカすぎる。とっくの昔に、お二人は配偶者となられているというのに。睦まじいことは、喜ばしいことなのに」
殿下は片手で額のあたりをおさえている。
「まして皇族。御子のご誕生は、臣下たちも国じゅうも楽しみに待っている慶事だというのに」
殿下の最後の声は震えてゆがみ、お顔は長い紺の髪に隠れて見えなくなった。
「なぜ、私ひとりがいつまでも……このような」
両手で顔を覆ったまま動かなくなった主人の肩に、藍鉄はそっと小袖をお掛けした。そのまま黙って低く一礼し、御帳台の外へ引き下がった。
御帳台の中からは、しばらくのあいだ、抑えた嗚咽が聞こえ続けた。
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