ルサルカ・プリンツ 外伝《瑠璃の玉響》

るなかふぇ

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第二章 秘密の子

11 脅し

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 それから十日ばかりたって、ようやく敵の正体は明らかになった。彼奴きやつは宇宙の果てから謎の宇宙船に乗って太陽系に侵入してきた、正体不明の生き物だったのである。
 奴はこちらよりもさらに科学的に進んだ技術を駆使し、様々に滄海軍を翻弄していた。滄海政府は八方塞がりとなり、ただただ手をこまねいて敵の出方を見ているしかないという体たらくだった。

 しかし。
 その後すぐ、さらに驚くべき顛末になった。敵は悠々とこちらの政府に連絡を入れ、なぜかユーリ殿下の身柄を要求してきたのである。理由はまったく不明だった。

『なぜだ……? なんでまた、あんな奴を』

 そのしらせを受けて、殿下はしばらく放心されたようになった。が、次には猛然と立ち上がり、「出かける!」とひと声叫んで御所へ走られた。
 そこで、泣きはらした目をして青ざめているユーリ殿下の胸倉をほとんど掴まんばかりにして叱咤し、皆の面前でありとあらゆる罵詈雑言をもって脅しつけ、「宇宙へゆけ。今すぐに!」とご命令なさった。
 ひどい話だった。
 今からあんな生き物の元へ行っても、命の保証などなにもない。玻璃殿下がご無事だという証拠もないのだ。だというのに、殿下はさらに「その操を献じてでも」とまでユーリ殿下に言い放たれた。
 ユーリ殿下は血の色の失せたお顔のまま、呆然と瑠璃殿下のお言葉を聞いていた。

(いや、無理だろう……いくらなんでも)

 藍鉄ですらそう思った。
 ご無礼ながら、それまでは藍鉄ですら、素直で純粋なこの殿下にそんな悲壮な決意を固めるようなお心はないように思われていたからである。
 しかし。
 やがてユーリ殿下が凄まじい決意を固めて、敵の言うとおりに宇宙へ行かれることになったのである。

 報せを受けた殿下も、やはり相当に驚かれたご様子だった。
 しかしすぐに見送りの場に赴かれ、こっそりとユーリ殿下にとあるものを渡された。最後の最後、どうしてもつらくて耐えられぬと思ったときのために、小さな毒薬のカプセルを渡して彼のえらに隠させたのである。
 その時点でもう、殿下はユーリ殿下のことをお認めになっていたのやも知れなかった。
 自分の命も、操も心もなにもかも、玻璃殿下のためにであれば捧げられる。ユーリ王子はその時点で、身をもってそのことを証明なさったに等しかったからだ。

 旧式の輸送船で出発したユーリ王子を見送ってから、殿下は周囲の人々の冷たい視線──もっとも厳しい視線をくれたのは、まちがいなくユーリ王子の側近であるロマンという少年だったが──の中をすたすたと歩き去った。まさに傍若無人の様相だった。
 そのまままた離宮へ戻り、殿下は次の連絡が来るまでずっと部屋に籠っておいでだった。

 その頃から、殿下は部屋の中に藍鉄以外の者がいることを拒まれることが多くなった。お召し替えや食事の用意など、どうしても必要な仕事があるとき以外は、側付きの侍従ですら基本的に外にいるようにと命じられる。
 藍鉄がどうしても席を外さねばならない時には、一応ひとことお断り申し上げてからおそばを辞するのが常だったが、殿下は毎度、非常にご不快そうだった。

『すぐに帰ってこいよ。すぐだぞ。いいな』

 そんなことを、しつこいほどに言い含められる。
 そういう時、殿下は捨てられた犬や猫のような、不安でたまらぬ目をしてこちらをきつく睨んでこられた。

 一度など、こんなことさえあった。
 浴室で入浴をなさる時、殿下は他の者の手伝いをいっさい拒まれたのだ。本来であれば、それは湯殿づきの女官たちの仕事である。だというのにあろうことか、殿下は藍鉄に向かってこうおっしゃったのだ。

『そんなの、お前がやればいいだろう』
『……は?』
 我が耳を疑った。
『いえ、しかし』
『背中を流したり着替えさせたり、お前ならいとも簡単なことだろう? 腕力だって、ほかの者よりずっとあるのだし』
『いえ……何をおっしゃいます』
『たとえ私が入浴中に気分が悪くなっても、お前ならすぐに連れて出られるじゃないか。さすがに女官たちにそんな芸当は無理だろう?』

 くすくす笑ってそんなことをおっしゃる。本気か冗談かを測りかねた。
 実は、なんとも軽い口調であられたので、一瞬「左様ですね」とうけがいそうになったのは内緒である。だが、さすがにそればかりは固辞させて頂いた。 
 なぜそこまで、なけなしの自制心を試されねばならないのだろう。殿下はご自身がどんなに美しく、男女を問わず人を惹きつける容姿をなさっているかをご存知ではないのだろうか。
 殿下のような方が自分の目の前であの白磁のような肌を晒すなど。まして体のあちこちを洗わせるなど。いい歳をして、想像するだけで体の一部がおかしなことになりそうだった。十代のガキでもあるまいに、まこと羞恥の極みである。

(一体、自分をなんだと思っておいでなのやら)

 もしや藍鉄を、まともな成人男子だとすら思っておられないのだろうか。そこらの牛馬と同じようなものだとでも? 
 逆にそういうことなら、ある程度納得もいくが。
 まったく意味がわからない。

(一体、どうなさったのだ)

 事情はよく分からなかったが、入浴介助のご命令はともかくも、藍鉄がそれ以外のご命令に否やを申し上げるはずがなかった。

 おかしなことはそればかりではない。
 ほかの者が「もう少しお召し上がりになりませんと」などという小言はちっとも聞く耳を持たないくせに、藍鉄が「あまりお痩せになってはお体に障りますぞ」などとさりげなく助け船を出すと、不承不承ふしょうぶしょうという顔ながらも、もうすこし料理を口に運ばれるようになったのだ。
 侍従や女官たちはほくほく顔だった。

『このごろ、殿下は藍鉄さんの言うことは素直にお聞きになるんですね』
『よい傾向です。どうかこのまま、お食事やご入浴はきちんとしていただくよう、是非お話しください。できますれば、ちょっと厳しめに』
『私たちとしては大助かりです。どうかずっと、殿下のお傍にいらしてくださいね』

 かれらからこそっとそんなことを囁かれるたび、藍鉄は妙な気持ちになった。
 そうしてうっそりとした顔のまま、かれらに半眼を向けるのだった。

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