ルサルカ・プリンツ 外伝《瑠璃の玉響》

るなかふぇ

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第二章 秘密の子

9 歓待の宴

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 そうこうするうち、一向は無事にアルネリオ宮へ到着した。
 すぐに皇帝エラストの謁見も叶い、歓迎の宴が催されることになった。
 瑠璃殿下は謁見の場で、皇太子セルゲイ・エラストヴィチ・アレクセイエフと初めて顔を合わされることになった。

 情報によれば、セルゲイは今年で25歳。瑠璃殿下とはまったく様子は違うけれども、肩ほどまでのまっすぐな金髪に、涼やかな蒼い瞳を持つ相当な美男子である。弟たちとはまた違う雰囲気の、艶麗な好青年と見えた。
 彼もまた瑠璃殿下のあまりの美貌を見て驚きを隠せぬ様子だったが、イラリオンほど露骨にアピールをしてくるということはなかった。せいぜい握手を求めてきたぐらいのことで、終始にこやかに歓待してくれる様子だった。
 ただしどれほど心を開いているのかは、その完璧な微笑みからうかがい知ることはできない。さもありなんと藍鉄は思った。相手は痩せても枯れてもこの国の皇太子なのである。第一、この男にもすでに何人もの妻子や愛人がいるのだ。あのイラリオンが異常なのである。

 当のイラリオンはといえば、とにかく何かといえば「ルリ殿、ルリ殿」と金魚の糞のごとくに殿下につきまとい、あわよくば手を握ろう、肩を抱こう、外へ連れ出そう、さらにあわよくば二人きりになろう……などとしてくるため、護衛の身としてはかなり神経を使わされた。
 もっとも瑠璃殿下ご自身が、文字通り洟もひっかけないという態度でいらしたので事なきを得たけれども。

 殿下のために用意された部屋は、滄海に比べればはるかに不便なものだった。まず、清潔な水道設備がない。水は下働きの者たちが日々宮殿内の井戸からくみ上げ、一度沸かしてから提供されているのである。その労力たるや、相当なものがあるだろう。
 とはいえ調度などは十分に豪華であり、アルネリオが心を尽くして殿下をもてなしてくれていることは藍鉄にもよくわかった。
 食事については、瑠璃殿下のお口にはあまり合わなかったようである。料理そのものは美味だったのだろうが、なにしろ殿下は兄君とユーリ王子のことをお気にされるあまり、完全に「心ここにあらず」の状態でいらしたからだ。

 帝国アルネリオには電気設備もない。そのため照明は、王族といえども灯火のみだ。夜間はどうしても暗くなり、広い部屋のあちこちに闇が生まれた。灯火に照らされてできる影は濃く、ゆらゆらと揺れ、想像上の闇の恐ろしい生き物たちの存在を信じさせようとしてくるものだ。
 瑠璃殿下は、夜には明らかに心細くおなりのご様子だった。

『私が眠るまではそばにいろ。いいな、藍鉄』

 と、何度も自分に念押しをなさったものである。ほかにも数名忍びはついてきていたけれども、もちろん自分はそのお勤めを他人に譲るつもりはなかった。
 天蓋つきの豪奢な寝台でお休みなっている美貌の御方の寝顔を部屋の隅からじっと見つめながら、藍鉄はまんじりともせずに夜を明かした。
 殿下はお気づきではあるまい。
 ときおり、眠りに落ちてしばらくしてから、殿下は時には涙をこぼし、兄君の御名を呼んでおられた。
 それはそれは、悲痛な声で。

『兄上。……あに、うえ……』と。

(殿下……)

 そのときの殿下の弱さと儚さは、目を疑うほどだった。
 起きておられるときには気を張って唇を引き結び、あれほど強い表情でいらっしゃるというのに。細身のお体が、ガラス細工のように思えた。いまにも砕け散ってしまうのではないかと案じるほどに。
 この手で抱きしめていて差し上げなければ、今にも壊れておしまいになりそうだった。

 ──お守りしたい。

 この悲しく美しい御方を。
 このような下賤な手で左様な真似ができないことは重々承知ではあるけれど。

 だが、藍鉄は微動だにしなかった。
 殿下を見つめてじっと床に膝をついているばかりだった。
 もちろん、それには非常な努力を要したけれども。
 認めよう。こうなることが分かっていたからこそ、余人にこの仕事を任せる気になれなかったのだ。殿下のこのようなか弱きお姿を、他の誰にも見せてなるものか。

 夜の更けゆくアルネリオ宮で、たまに鳴く夜の鳥の声を聞きながら、藍鉄はひたすらに殿下の宿直とのいを務め続けた。
 ともあれそのような調子で、この親善使節としての殿下の「お務め」はどうにかこうにか滞りなく終了したのである。

 最終日。
 イラリオンは殿下の手を握らんばかりに、にじり寄ってこう言った。
『ルリ殿! ぜひぜひ、またお会いいたしましょうぞ。このイラリオンをどうかお忘れのなきように』と。
 もちろん殿下は瞼を半分ほどまで下ろして、『ええ。まあ、そのうち機会がありますれば』と棒読みのような台詞を返しておられた。

 殿下はユーリ王子と入れ違いに故国にお戻りになった。
 そのころから、ときどき殿下はかりかりとご自分の爪を噛む様子が見られるようになった。形のよい爪がもったいないと思いながらも、藍鉄らにはどうすることもできなかった。
 お気に掛かっているのは、玻璃殿下とユーリ王子との関係の進み具合なのであろう。
 玻璃殿下は、瑠璃殿下の前では決して表情を変えられることはなかった。普段と違って心が浮き立っているというようなご様子もなく、いつもどおり泰然とにこやかに瑠璃殿下に対してくださるだけだ。
 それでも、瑠璃殿下には思うところがおありのようだった。
 「兄君は、ユーリ王子となんらかの関係の進展があった」。そのように結論づけておられたのだ。

 そして。
 残念ながら、殿下の判断は正しかった。
 それからすぐ、玻璃殿下とユーリ王子の婚姻の儀が粛々と推し進められ始めたからである。

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