ルサルカ・プリンツ 外伝《瑠璃の玉響》

るなかふぇ

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第一章 紺青の離宮

7 ユーリ王子の秘密

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(宇宙で何があったか、だと……?)

 姿を隠した状態で部屋の隅に控えたまま、藍鉄は考えている。

(公式に発表された内容だけではない、なにか重大事を隠しておいでなのだろうか、皇太子殿下とこの御方は。まさか、そのような──)

 思ってちらりとあちらの部屋の隅に目をやれば、意味ありげな、しかしごく静かな目をした黒鳶と目が合った。忍び同士は基本的に姿を隠す波長を同調させておく決まりのため、互いの姿が見えるようになっている。

(お前、何か知っているのか)

 藍鉄は目だけで男に問うた。黒鳶はかつての自分の部下である。藍鉄からすれば、遠慮を覚える必要のない間柄だ。
 男は一瞬ユーリ殿下をちらりと見たが、ほんのわずかに首を横に振った。どうやら彼すら知らない事実があるということのようだった。
 なるほど、玻璃殿下とユーリ殿下は黒鳶にすら教えていない何かの事実を隠しておられる可能性があるということか。ロマン少年の表情を窺うに、この少年も先ほどからいぶかしげな顔をしているのみだ。彼にも事実は知らされていないのだろう。
 それで俄然、興味が湧いた。

 確かに藍鉄も不思議には思っていた。いや藍鉄だけではない。実際、滄海の大臣おとどたちもその点には疑問を持っている。
 宇宙からきた化け物のような存在は、はるか昔に人類が生み出した人造人間だったのだという。人間ではあり得ぬような凄まじい身体能力を持ち、やろうと思えば瞬く間に大量殺人を行う力まで持っていた。
 かれらは番として宇宙のあちらこちらに無造作に放たれた、「ノアの方舟」のための《人形》だったのだという。滄海のデータベースの中には、その時の記録がかろうじて残されているらしい。

 もともと二体のはずの《人形》は、宇宙の果てで何かの事態があって一体だけ残された。それが地球人類に対する深い恨みをもってこの宙域へ戻ってきたというのだ。奴の目的は、ここに生き残った人類をすべて根絶やしにすることだった。
 それでまず玻璃殿下を拉致申し上げ、その後なにを思ったのか、配殿下たるユーリ殿下の身柄をも要求してきた。
 その時点で、ほとんど希望は残っていなかった。恐らくおふたりとも、その宇宙の果てにある巨大な宇宙船の中で命を奪われ、地球に残る我々もひとり残らず殺されることだろう。滄海の面々も、一度はそのように覚悟を決めたものだ。

 しかし。
 ユーリ殿下は戻ってきた。無事なお姿の玻璃殿下と共にである。
 そして宇宙から来た恐るべき存在は、驚くべきか何もせず、素直にもと来た道を戻っていった。

『ユーリの誠心誠意の説得にあの者が応じたのだ。これはまさに奇跡だった』

 というのが、玻璃殿下のご説明だった。
 しかし、本当にそれだけであんな酷薄な生き物が諦めてくれたのだろうか? 遠い宇宙の果てからここへ戻ってくるほどの深い怨念を身に宿していながらも……?
 その疑問は、いまだに誰の胸にも残ってわだかまっている。この瑠璃殿下におかれても、それは同じだったのに違いない。

 実は大臣たちの中には、もっと困った理由を挙げてこの事態を憂慮している者たちもいる。
 ユーリ殿下は、もともと滄海の人間ではない。はっきりと敵国なわけではないが、陸の大国アルネリオの第二王子だ。その王子がこっそりと、あの生き物と密かな約定を交わしていたりしないだろうか?
 それをもってこの王子は、将来滄海を裏切るようなことがないだろうか。
 たとえば宇宙のあの生き物が再び地球にやってきたら? ユーリ殿下が彼奴きやつとなんらかの取引をしていた場合、それは滄海の平和な未来を揺るがす事態になりかねまい。
 ……つまりは、そういう焦慮である。

「……も、申し訳ありません。その儀につきましては」
 長い長い沈黙の果て、ユーリ殿下はやっと声を絞りだされた。
「は、玻璃どのと相談のうえ、お返事させて頂くことはなりませんか……?」
 お顔は大変苦しげである。

 その顔を見ただけで藍鉄は理解した。やや背筋に寒いものを覚えながら。
 つまり、やはり何かがあったのだ。
 宇宙の果てで、その怪物とこの殿下の間には。

 瑠璃殿下は、そんなユーリ殿下をじっと観察するご様子だった。
「……よいのですよ。義兄上さま」
 ふっと吐息を洩らして微笑まれる。
「お心を乱すつもりはありませんでした。私ごときに、左様に大切な秘めたるお話など、すぐにはおできになりませんよね。当然です」
「そっ、そういうわけでは……!」
 がたっと椅子の音を立て、ユーリ殿下が立ち上がられた。
「違うんです。そうじゃない……。玻璃殿下だって、瑠璃殿下のことはとっても、とってもご信頼しておられます。言えないのは、単に私の問題でっ……。でも、ごめんなさい──」

 ひどく悲しそうなお顔で狼狽うろたえておられる。殿下は苦悶の面持ちで、両手をずっと胸の前で揉みしだくようになさっていた。
「お、お待ちください!」
 側にいたロマン少年が、たまりかねたように間に入った。
「配殿下は、ただいま大変ご気分が優れなくていらっしゃるようですので……。瑠璃殿下には大変申し訳ないのですが、本日はこのあたりで──」
「……そのようですね」

 苦笑した瑠璃殿下のお声は、静かだった。

「では、どうぞ一度兄上とご検討なさってください。自分に話しても構わぬ、ということになりましたら嬉しゅうございます。先ほども申し上げた通り、この命に替えても他言はせぬとお約束いたしますゆえ。……お聞かせ頂けることを切に望みまする」
 にっこりと微笑まれるお顔は、まさに花のかんばせだ。
「長居をしてしまいましたね。そろそろおいとまをさせて頂きます。どうぞお許しを。義兄上さま」

 昔であれば言葉の端々に鋭い皮肉や嫌味がこめられていたところだろう。だが今の瑠璃殿下のお声には、それらはいっさい含まれていない。ただひたすらに静かであり、不満や侮蔑の色はまったく見えなかった。
 むしろ何度も頭を下げて謝ってこられるユーリ殿下に「ああもう、どうかお許しを。左様なことは結構ですので、どうかお気になさらず」とお声を掛け、するすると流れるように応接の間をあとにされた。

「どう思う、藍鉄」

 廊下へ出、侍従が気づいて近寄ってくるまでの少しの間に、殿下はすっと囁いて来られた。やっと聞こえる程度の声だった。

「やはりおふたりには、なんぞ秘密がおありのようだが」
「左様にございますな。ですが、今のところはなんとも」
「……だな」
「内密に調査いたしますか。お望みとあらば手下てかを動かしますが」
「んん……いや。やめておこう」

 そこまでで侍従が傍に寄ってきたので、話は尻切れとんぼに終わってしまった。

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