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第一章 紺青の離宮
6 訪問
しおりを挟むその日の午後。瑠璃は東宮御所にいた。
午前中の出仕が終わり、昼餉を終えてから兄の配殿下、ユーリを訪ねたのである。
数日前に正式な書簡を送り、ユーリ本人からも快諾を貰ってあった。「書簡」とはいうが、実際は各海底の滄海の街をつないだ、巨大な電子ネットワークを通じてやりとりされる文書のことだ。こちらでは「電子メール」などと呼称する。
「いらっしゃいませ、瑠璃殿下。わざわざのお越し、大変嬉しゅうございます」
ユーリは控えめな直衣姿で瑠璃を迎えた。柔らかな薄桃地に、海老茶の菱繋襷唐花の文様である。
対する瑠璃は、濃紫の藤立涌の直衣に八藤丸の指貫姿だ。
「大したおもてなしもできませんが、どうかごゆるりとお過ごしくださいませ」
裏のない笑みこそ浮かべていたけれども、そこにはどうしても隠せない緊張の色が見えた。当然だろう。瑠璃の訪問の主旨が、まだしかとは見えないのだから。
「急にお邪魔をして申し訳ありません、義兄上さま」
瑠璃は型どおり、目上の皇族に対する礼をもってユーリの言葉に応えた。以前とは態度が雲泥の差である。
なにしろ今、ユーリは玻璃兄の正式な配偶者なのだ。つまり自分にとっては義理の兄。以前、不躾な言葉を浴びせたことは重々反省しているし、今はこの話し方以外にはありえない。
ユーリが使う応接の間で茶菓を前にして向き合うと、瑠璃はさっそく自分の侍従の男を下がらせた。もちろん、姿を隠した藍鉄だけは残してある。
「あ、すみません。ではこちらも」
慌てて言いかけるユーリを手で制して、瑠璃は微笑んで見せた。
「お気遣いなく。そちらはそのままで結構ですとも」
「そ、そうですか……?」
ユーリはもじもじして、落ち着きなく目を動かした。ユーリ側には、いつもそばにいるロマン少年のほかに、姿を隠した黒鳶が控えているはずだった。
「義兄上さまにおかれましては、近ごろ《教育プログラム》にて政務に関するあれこれをお勉強中と聞き及びます。左様にお忙しい中、自分のためにお時間を頂戴し、まことにありがとう存じます」
「あ、いえいえ。どうぞお気になさらず」
ユーリが困ったように視線を落とした。
「お困りごとなどはございませんか。いつでもおっしゃってくだされば、不肖この義弟もお勉強のお手伝いをいたしましょうほどに。いつなりと、遠慮のうお申し付けくださいませ」
「いっ、いえ! そんな、とんでもないです……」
ユーリはぶんぶん首を横に振って、恥ずかしそうにロマン少年の淹れた紅茶の茶器を持ち上げた。この少年の淹れる香り高い異国の茶は、すでに貴族の中でも評判になっている。
そこからしばらく、互いに他愛のない話をしていた。ユーリは玻璃兄との最近の生活についてなどは細心の注意を払って言及しないようにしているように見えた。
やはり、瑠璃の気持ちに配慮してくれているのだ。
情けないと思う反面、瑠璃は感謝も覚えた。兄といかに仲睦まじく暮らしているかなど自慢げに述べ立てられれば、自分の頭にあっという間に血がのぼることは明白だからである。そういう気遣いのできるこの人を、今は心底憎いとは思えなくなっている。
こうやって少しずつ、自分の玻璃兄への気持ちは「単なる兄弟としての親愛」へと変化していくのだろうか。
そうであってもらいたい。たとえこの先、何十年もかかることかも知れなくとも。
「……ところで、義兄上さま」
そうして遂に、瑠璃はこの訪問の真の目的を口にした。
「少し、お訊ねしたいことがあったのですが。構いませぬでしょうか」
「えっ? ……は、はい……」
ユーリがどきりとしたように、持っていた茶器の音を立てた。
瑠璃は彼のすがすがしく澄んだ曇りのない青い瞳をじっと前から見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「義兄上さまが玻璃兄とともに、宇宙の果てにおられた間のことなのですが。お差し支えなければ、お教えいただきたいのです。もちろん、決して口外はいたしませぬゆえ」
「え……」
ユーリが目を見開いて固まった。茶器から離した手を、きゅっと握りしめている。それからすぐ、ちらちらとロマン少年や部屋の隅へと視線を動かした。察するに、そこに黒鳶がいるのであろう。
(……やはりか)
やはり、あの時の顛末には何かがあるのだ。
滄海のほかの面々には知らされていない、何かが。
もちろん玻璃兄は知っていることだろうけれども。
「あの時は、大切な玻璃兄をおひとりでお救いくださり、まことにありがとう存じました。今でもこの瑠璃、義兄上さまへの感謝を忘れたことは一日たりともございませぬ。……しかし、どうしても腑に落ちぬことがございまして」
「ふ、腑に落ちないこと……ですか」
ユーリが明らかに困った顔になっている。その指先はさっきから、しきりに紅茶のカップの縁を撫でてみたり、もじもじと握り合わされたりしている。
瑠璃は少しだけ身を乗りだした。
「左様です。もちろん、義兄上さまのお力に依るところが大なることは疑うものではございませぬ。……ですがご無礼ながら、なにか我らにお隠し立てをなさっていることがあるのではと思いまして」
「か、……かか、隠し立て、なんて──」
ユーリの視線が不安げにちらちらと揺れている。
瑠璃は腹の中だけで苦笑した。
知っていた。
知っていたが、この人はやっぱり隠し事や腹芸には向いていない。
まったくもって、向いていない。
「ございますよね? ……義兄上さま」
静かに、だがぴしゃりとそう言ってのけたら案の定だった。
ユーリは今にも泣きだしそうな顔で黙りこくり、俯いたきり動かなくなってしまったのだ。
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