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第一章 紺青の離宮
5 謎
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滄海の朝議は、ほぼ毎朝行われる。日々の議題が話し合われ、重臣らによる様々な意見が交わされて、最後は皇太子、玻璃が政策を履行する担当者を指名する。大体はそんな流れだ。
瑠璃も毎朝正装に身を包み、それに出席するために御所へ出仕する。
高齢の父、群青はいつも参加するわけではない。政務のほとんどはすでに玻璃兄に委譲されており、すべて滞りなく進められているからだ。
父の体調は決して悪くはないようだが、それでも齢二百歳という高齢だ。三百歳を越え、滄海の生き字引と呼ばれるお婆は例外だとしても、とっくに最高齢者の仲間入りを果たしている。いつなんどき、なにがあってもおかしくない年齢なのだ。
「では、この件はこれにて。次の議題は──」
司会を務める大臣が次の話題に移るタイミングで、瑠璃はふと玻璃の斜め後ろに座を占めている青年を盗み見た。平凡な相貌のその青年のそばには、彼付きの少年も静かな顔で座っている。配殿下ユーリと、お付きのロマンだ。
姿は隠しているけれども、部屋の隅にはその警護役の忍び、黒鳶もいるはずだった。自分の警護役である藍鉄も、同様に姿を隠してついてきている。玻璃兄にもほかの大臣たちにも、同様の警護がついているはずだった。
本日の議題がようやく果て、まずは玻璃兄が立ち上がって退室していく。ユーリがそのあとに続いた。瑠璃をはじめ、他の大臣らは頭を垂れて見送りをする。
(あやつ。ちっとも私の顔を見ないな)
このところ、さすがの瑠璃でもそれには気づいていた。
玻璃兄は、休憩時間など、自分を見ればすぐに微笑を送ってくれる。だがユーリは基本的に硬い表情のことが多く、瑠璃には一礼をするのみでほとんど目も合わせない。瑠璃の前で玻璃と笑みを交わし合うなどということもない。
あの性格だ。恐らく遠慮しているのだろう。
科学技術においてはすっかり衰退してしまった帝国アルネリオの王子にとっては、この朝議の内容をきちんと把握することすら難しかろう。だから基本的に意見を述べることはせず、ほとんどオブザーバーのような扱いだ。
たまに意地の悪い大臣などが「配殿下の御意見もおうかがいしたく」などと水を向けることもあるのだが、大抵は玻璃兄が「ユーリはまだ勉強中ゆえ」と、防波堤になっている。
聞けばいま、彼は《教育プログラム》を使ってみなに追いつこうと、懸命に政務に関連した内容を学んでいるのだそうな。
そういう誠実なところは、ちょっと認めないわけにはいかない。
あの青年は、どこまでも謙虚なのだ。玻璃の配偶者などという破格の立場になった今でも、そういうところは変わらないらしい。自分がわざわざ「凡夫よ」と蔑むまでもなく、彼は彼自身が決して何かに秀でた才能のある人間だなどと思いあがってはいないのだ。良く言えば謙虚、だが悪く言えば自信がなさすぎる。
自信のない者は、政治の場ではしばしば低く見下される。だからたとえ実質は伴わなくとも、あの場では嘘でも自信たっぷりにふるまうことは必須なのだ。だが、あの青年には敷居が高すぎるようである。
こんな為人だから、周囲の人々にもひどく優しい。誰かれなしに声を掛け、身分の低い者らにも気持ちを掛けてやっていると聞く。……これはまあ、多分に側付きの黒鳶の「色付け」も含まれてはいるのだろうが。
だが、だから納得もしている。
人を見る目に長けたあの玻璃兄が、どうしてあの人を二人目の配偶者に選んだのかをだ。
(……もう少し、打ち解けてくれても良いものを)
最初のころあれほどつらく当たっておいて、今更こんな言い分もないものだ。都合がよすぎることは承知している。そういう自覚はあるけれど、最近ではもう決して、彼を無闇に睨んだり蔑んだりはしていないものを。
宇宙の怪物による騒動のあと、瑠璃は彼に公式の場で謝罪をした。あれで少しは互いの気持ちも歩み寄ったのではないかと思ったのだが。もちろんユーリは心から許してくれたはずである。だがどうやら、すべてにおいて気後れが先に立ってしまうらしい。
能力もない、美貌もない。あるのは「配殿下」という立場だけ。
従者の少年たったひとりを連れて異国にやってきた人がそんな風に考えているのだとしたら、それはなんと哀れなことか。自分がもしも同じ立場に立たされていたら、それはどんなにか心細く、寂しいことかと思うのに。
(それに……我らは実は)
と、瑠璃は密かに思っている。
実は自分たちには、非常に似通った部分もあるのだ。
彼は「身分だけ」と蔑まれ、自分は「顔だけ」と臣下たちから見下されている。理由は違えど、その情けなさ、悔しさ虚しさはきっと共有できるはずのものだ。
まして彼は、あの玻璃兄を愛している。境遇や気持ちを似通わせているぶん、彼と自分は本来であればもっとずっと、話の合う関係になれたかもしれないものを。
だが、自分はユーリがこの国に来た当初、恐らく最もきつく当たってしまった人間だ。情けないことながら、その自分から歩み寄ろうという気持ちには、瑠璃自身どうしてもならないのだった。
「なぜ自分からへりくだらねばならんのだ」という高慢な気持ちからというよりも、それは恐らく気後れだ。
才知はなくとも、美貌もなくとも、彼はそれでもあの宇宙の果てから玻璃兄を救いだして戻って来た「救国の麗人」である。詳しい顛末はわからぬけれども、玻璃が語ったところによれば、それは偏にユーリの人柄に負うところが大きかったのだそうだ。
宇宙から来た怪物は、最後はユーリに心を許し、兄とともに地球に解き放つことを選んでくれた。まさに奇跡ともいうべき結末だった。
だが。
実はそこに、大きな秘密が含まれているのではないか。そう瑠璃は考えている。珍しくもあの兄が、肝心の部分になると巧妙に話をはぐらかすからだ。
「怪物」が心を変えるきっかけになった部分には、いまだに不明な部分が多い。ユーリにも玻璃兄にも、その怪物がなぜ心変わりをしたのかは「よくわからない」ということで話は終わっているし、臣下たちにもそう伝えるのみだったのだが。
(……なにかある。一体なにがあったのだ)
それがこのところの瑠璃の疑問でもある。
だから、一応「理由」はつくることができる。
どうして自分が、わざわざあのユーリを自ら訪ねていくのかという理由がだ。
(そうだ……。それがいい)
そうして。 瑠璃は遂に気持ちを決めた。
午後の時間に、晴れて東宮御所は配殿下、つまりあのユーリのおはす居所へと参じることにしたのである。
瑠璃も毎朝正装に身を包み、それに出席するために御所へ出仕する。
高齢の父、群青はいつも参加するわけではない。政務のほとんどはすでに玻璃兄に委譲されており、すべて滞りなく進められているからだ。
父の体調は決して悪くはないようだが、それでも齢二百歳という高齢だ。三百歳を越え、滄海の生き字引と呼ばれるお婆は例外だとしても、とっくに最高齢者の仲間入りを果たしている。いつなんどき、なにがあってもおかしくない年齢なのだ。
「では、この件はこれにて。次の議題は──」
司会を務める大臣が次の話題に移るタイミングで、瑠璃はふと玻璃の斜め後ろに座を占めている青年を盗み見た。平凡な相貌のその青年のそばには、彼付きの少年も静かな顔で座っている。配殿下ユーリと、お付きのロマンだ。
姿は隠しているけれども、部屋の隅にはその警護役の忍び、黒鳶もいるはずだった。自分の警護役である藍鉄も、同様に姿を隠してついてきている。玻璃兄にもほかの大臣たちにも、同様の警護がついているはずだった。
本日の議題がようやく果て、まずは玻璃兄が立ち上がって退室していく。ユーリがそのあとに続いた。瑠璃をはじめ、他の大臣らは頭を垂れて見送りをする。
(あやつ。ちっとも私の顔を見ないな)
このところ、さすがの瑠璃でもそれには気づいていた。
玻璃兄は、休憩時間など、自分を見ればすぐに微笑を送ってくれる。だがユーリは基本的に硬い表情のことが多く、瑠璃には一礼をするのみでほとんど目も合わせない。瑠璃の前で玻璃と笑みを交わし合うなどということもない。
あの性格だ。恐らく遠慮しているのだろう。
科学技術においてはすっかり衰退してしまった帝国アルネリオの王子にとっては、この朝議の内容をきちんと把握することすら難しかろう。だから基本的に意見を述べることはせず、ほとんどオブザーバーのような扱いだ。
たまに意地の悪い大臣などが「配殿下の御意見もおうかがいしたく」などと水を向けることもあるのだが、大抵は玻璃兄が「ユーリはまだ勉強中ゆえ」と、防波堤になっている。
聞けばいま、彼は《教育プログラム》を使ってみなに追いつこうと、懸命に政務に関連した内容を学んでいるのだそうな。
そういう誠実なところは、ちょっと認めないわけにはいかない。
あの青年は、どこまでも謙虚なのだ。玻璃の配偶者などという破格の立場になった今でも、そういうところは変わらないらしい。自分がわざわざ「凡夫よ」と蔑むまでもなく、彼は彼自身が決して何かに秀でた才能のある人間だなどと思いあがってはいないのだ。良く言えば謙虚、だが悪く言えば自信がなさすぎる。
自信のない者は、政治の場ではしばしば低く見下される。だからたとえ実質は伴わなくとも、あの場では嘘でも自信たっぷりにふるまうことは必須なのだ。だが、あの青年には敷居が高すぎるようである。
こんな為人だから、周囲の人々にもひどく優しい。誰かれなしに声を掛け、身分の低い者らにも気持ちを掛けてやっていると聞く。……これはまあ、多分に側付きの黒鳶の「色付け」も含まれてはいるのだろうが。
だが、だから納得もしている。
人を見る目に長けたあの玻璃兄が、どうしてあの人を二人目の配偶者に選んだのかをだ。
(……もう少し、打ち解けてくれても良いものを)
最初のころあれほどつらく当たっておいて、今更こんな言い分もないものだ。都合がよすぎることは承知している。そういう自覚はあるけれど、最近ではもう決して、彼を無闇に睨んだり蔑んだりはしていないものを。
宇宙の怪物による騒動のあと、瑠璃は彼に公式の場で謝罪をした。あれで少しは互いの気持ちも歩み寄ったのではないかと思ったのだが。もちろんユーリは心から許してくれたはずである。だがどうやら、すべてにおいて気後れが先に立ってしまうらしい。
能力もない、美貌もない。あるのは「配殿下」という立場だけ。
従者の少年たったひとりを連れて異国にやってきた人がそんな風に考えているのだとしたら、それはなんと哀れなことか。自分がもしも同じ立場に立たされていたら、それはどんなにか心細く、寂しいことかと思うのに。
(それに……我らは実は)
と、瑠璃は密かに思っている。
実は自分たちには、非常に似通った部分もあるのだ。
彼は「身分だけ」と蔑まれ、自分は「顔だけ」と臣下たちから見下されている。理由は違えど、その情けなさ、悔しさ虚しさはきっと共有できるはずのものだ。
まして彼は、あの玻璃兄を愛している。境遇や気持ちを似通わせているぶん、彼と自分は本来であればもっとずっと、話の合う関係になれたかもしれないものを。
だが、自分はユーリがこの国に来た当初、恐らく最もきつく当たってしまった人間だ。情けないことながら、その自分から歩み寄ろうという気持ちには、瑠璃自身どうしてもならないのだった。
「なぜ自分からへりくだらねばならんのだ」という高慢な気持ちからというよりも、それは恐らく気後れだ。
才知はなくとも、美貌もなくとも、彼はそれでもあの宇宙の果てから玻璃兄を救いだして戻って来た「救国の麗人」である。詳しい顛末はわからぬけれども、玻璃が語ったところによれば、それは偏にユーリの人柄に負うところが大きかったのだそうだ。
宇宙から来た怪物は、最後はユーリに心を許し、兄とともに地球に解き放つことを選んでくれた。まさに奇跡ともいうべき結末だった。
だが。
実はそこに、大きな秘密が含まれているのではないか。そう瑠璃は考えている。珍しくもあの兄が、肝心の部分になると巧妙に話をはぐらかすからだ。
「怪物」が心を変えるきっかけになった部分には、いまだに不明な部分が多い。ユーリにも玻璃兄にも、その怪物がなぜ心変わりをしたのかは「よくわからない」ということで話は終わっているし、臣下たちにもそう伝えるのみだったのだが。
(……なにかある。一体なにがあったのだ)
それがこのところの瑠璃の疑問でもある。
だから、一応「理由」はつくることができる。
どうして自分が、わざわざあのユーリを自ら訪ねていくのかという理由がだ。
(そうだ……。それがいい)
そうして。 瑠璃は遂に気持ちを決めた。
午後の時間に、晴れて東宮御所は配殿下、つまりあのユーリのおはす居所へと参じることにしたのである。
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