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臣下の呟き
しおりを挟む狼顔の相棒は、今日もまた機嫌が悪い。
幸いにもと言うべきか、この男ほど耳の鋭くない自分は、あまり実害を被らずに済んでいる。視力のほうはこちらのほうが彼より数段上ではあるものの、別に遮蔽物を通してまで物を見られるわけでもないからだ。
だが、物音となるとそうはいくまい。そばで見ているだけでも、この男の苦労たるや想像するに余りあるのではないかと、少々気の毒になるほどだ。
とはいえ、今回のことを言い出したのは、この男の方からだった。
『殿下はあれ以来、あまりに働きすぎでいらっしゃる』
『まともなお食事すら、ままならぬではないか』
『このままでは、あまりにもお気の毒』
『少し、いやせめて数日、まとまったご休息をとっていただくわけには参らぬか』
そう言って、「いやとんでもない」「この多忙の折ですぞ」とやいのやいのと言いまくる文官たちを黙らせ、この惑星オッドアイへの行幸を計画したのは、ほかならぬこの男だったというのに。
蓋を開けてみれば、こうである。男はずっと自分の隣で、苦虫をかみつぶしたような顔でイライラしているばかりだ。それは主に、あの蜂蜜色の髪と鋭い目をした男由来のものであったが。
いや、いい大人の男なのだし、まして彼は軍人である。決して顔や態度には出さぬようにと気を使っているし、それはかなり成功もしていたけれども。
(それにしても……)
ザンギはときどき、不思議に思う。
相棒のミミスリには、すでに美しい奥方もいれば、可愛らしい娘もいる。彼がその二人を自分の命以上に大切に考えていることも、重々承知している。
いや、だからこそなのだ。
わが身以上に大事な家族がある男としては、これは少々行き過ぎではないのかと思ってしまう。つまり、彼のあの殿下に対する執着──と言って悪ければ、「心配のしよう」とでもいうべきものは。
確かに、殿下は魅力的だ。
それは自分も、些かも否やを唱えるつもりはない。
たとえ完全体の人間型であるということを差し引いたとしても、稀有の価値を有するお方だ。男性でありながら、すぐれて清げな佇まい。立ち居振る舞いにあふれる品格。いまだに「そこらの女は裸足で逃げよう」というのが、宮中のもっぱらの評判である。
さりながら、重要なのはそこではないと考えている。そもそも、左様な姿かたちといった浅薄な観点から、殿下の価値を眺めるべきではないのだ。
殿下はなにより、そのお心が清廉、誠実そのものだ。それももちろん、今のスメラギの臣下のだれもが認めるところである。
──それにひきかえ。
かの男は、こと「素直さ」からはほど遠い。
むしろ天邪鬼が服を着て歩いているような男である。
無論あの、殿下のお相手たる男──ミミスリの言に従えば「スケベ面」──のことだ。
微塵の素直さも持たぬ男は、殿下のどこに惚れたのかを決してその口では語ろうとせぬ。が、あいにく自分の目はごまかせぬ。
皮肉屋で外連まみれで用心深く、裏社会のあらゆることに対して百戦錬磨のあの男が、遂にころりとしてやられた。そこは、いかな奴でも認めぬわけにはいかぬであろう。
殿下の魅力というのは、そういう類のものだと思う。
もともと男を愛する質の者ではなかったとしても、ついふらふらとよろめいてしまいそうになるほどには魅力的なお方だということだ。
まあ、人によってはそれゆえに、殿下に対して尽きせぬ羨望やら嫉妬やらから逃れられず、自らを滅ぼしておしまいになった御仁もおられたわけなのだが。
──ともかくも。
男は、落ちた。
恐らくこれまで誰のことも信じず、誰にも心を開かなかったのであろう男がだ。
そんな者ですら、最後はああしてもろ手を挙げて「降参」する。それも、心から喜んで。誰にも言ったことはないが、それこそが、人の上に立つかたがまず持たねばならぬ才能、資質というものではないかと思う。
あれほど過酷な年月を過ごさざるを得なかったあの方が、その清さと才能を萎えさせることなくお戻りになってくださった。そのことが、何より嬉しい。
ただ「清廉である」「誠実である」ということは、ともすれば「弱さ」にも傾く資質ではある。人に騙されやすく、傷つけられやすい資質だととらえることもできるからだ。
何より、殿下はお優しすぎる。それゆえに今後、傷つかれる場面も多かろう。
世の中というものは、白と黒とにきれいに分かれてなどいない。こちらを立てればあちらが立たぬは世のならいだ。
「こちらの民が苦しんでおりまする」と聞けば、殿下は迷わずそちらをお救いになるであろう。しかしそうすれば、他方で「あちらの民に困ったことが起こりました」等々の事態が出来する。そんなものだ。
あちらの民を救えば、こちらの民が生活に困る。そんなことは多々、起こりうるのだ。すべてを一気に解決するには、いまのスメラギには体力がなさすぎる。そしてそれをどうにかするのが、政治の使命だとも言える。ゆえに殿下の肩にかかる責任は大きい。
──なればこそ。
それゆえ、自分たちがお傍にいる。
あらゆる世間の辛辣な批判については、恐らくあの「スケベ面」こそが身をもって被り、また防ぐつもりでいることだろう。自分たちは、それとはまた違うやりかたで殿下をお守りする。それが使命の本質であり、殿下が与えてくださった御恩に報いる唯一の方法である。
とはいえ、狼顔をしたこの相棒までが殿下の魅力に参りすぎているのは困りものだ。
彼が歯をむき出してあの男を詰るとき、そこには多分に彼に対する嫉妬がひそんでいるように思われてならない。妻子のある身であり、間違いなくその妻子を心から愛しているはずのこの男がだ。
それは少々、問題なのではないのだろうか。
幼い娘御はともかくも、果たして奥方はいかに思っておられることやら。
「……なんだ? ザンギ」
ついその当人の顔を長く見つめすぎていたものか、不快げな顔のまま相棒がこちらを見返してきた。
褐色の瞳に、ふかふかした狼の耳。軍服の尻からぬっと突き出した毛足の長い尻尾。
これらはまこと、あの殿下のお気に入りだ。
「いや、なんでもない。殿下が何か仰せか?」
「……ん、ああ。……まあ、いつものことだ」
その魅力的すぎる狼の形質を、殿下はことのほか愛しておられる。一度など、「どうかどうかお願いだから」と懇願されてしまって、彼は殿下にその体を撫でさすられたことすらある。
いやもう、その時の彼の顔と言ったら。
あまり表情筋の動く造りの顔ではないが、あの時は笑わぬように苦労した。
「今朝も外を散策されるとのことだ。いつもの通り、巡回ルートを変更する」
「了解した」
短いやりとりをしただけで、相棒とはそこで分かれた。
ザンギは朝の光のふりそそぐ森の小道を歩いていった。
そういえば息子たちは、あれ以来それぞれに顔つきが変わり、一段成長したように見受けられる。
長男ヤマトはもともと責任感の強い落ち着いた性格の息子だったが、以前この惑星に住んでいたユウナという少女と昵懇になり、いずれは所帯を持つ約束をして以来、さらに文武に励むようになった。
ユウナの方は今、<恩寵部隊>にいたとある家族にほかの子供とともに養女として世話になっているが、未来に向けて様々なことを身に着けているところだという話である。
次男ハヤテは、さらに重大な未来を約束されている。
畏れ多くも殿下から、「自分の養子に」と望まれたのだ。それは皇族になるということであり、皇太子の長子となる以上、いずれあのスメラギのミカドになる道を示されたに他ならない。
あのお言葉を聞いたとき、自分は身内の震える思いをした。情けない話なのだが、喜びよりなにより、まずは危惧が先立った。斯様な不肖の息子をお手元にやって、殿下に何か大変なご迷惑をおかけすることになりはすまいかと。
こう言ってはなんだが、父親の目から見て、ハヤテは心根こそまっすぐではあるものの、少し軽率なところのある、かなり心配な息子なのだ。
しかしそれでも、ハヤテはハヤテなりに未来に向けて、相当の張り合いが生まれたのかも知れなかった。このところは今までのことが嘘のように、必死に文武の練達に努めているように見受けられる。親としてひとまず、ほっとしているところだ。
驚くべきことに、ひょっとすると今後あのミミスリの娘、スズナとの縁談まで視野に入ってくる可能性があるのだが、そこはまあ殿下の「本人の意思を尊重する」とのご意向ゆえに、ゆったり構えればよいことらしい。
自分としては、あのミミスリと親戚筋になれるのはむしろ嬉しく思われる。しかし本人がいまだに「スズナは絶対に嫁にはやりませぬ」と強硬に言い張っているため、こればかりは叶わぬ夢となるやもしれぬ。
……まあまた、それもよい。
いずれにしても自分の務めに、いささかの変わりもないのだから。
ザンギは青く晴れわたり始めた初夏の空を見上げた。
白い雲が午前の陽射しにその縁を白銀色に輝かせている。
どこかで小鳥が鳴いている。
……平和である。
あのスメラギの秘密の施設、<燕の巣>に生まれて数十年。
自分たちには、親と呼べる者はいなかった。
<恩寵部隊>の自分たちばかりではない。これまであそこで生まれてきた何百、何千という子供たちには、ずっと親などいなかった。
ある者はミカドのお傍に侍る者となり、またある者は家族から引き離され、<恩寵>もちのエージェントとして他国でのスパイ活動に身を削り。
そしてその他多くの者が、幼い命を金に換えられ、心身ともに搾取された。
その身をもって、スメラギの国庫を支えさせられた。
そう、有無を言わさずにだ。
だが、その暗黒の歴史は終わった。
殿下がそうしてくださった。
あの<燕の巣>を遂には破壊し、生まれた子らを、さらにはまだ生まれぬ子らをも安んじてくださったのだ。
すべての非業の魂を、安らかに眠らせてくださった。
だから。
殿下は、はじめて我らの親になってくださったのだと思う。
スメラギの科学に産み落とされた、ただの孤児に過ぎなかった我らすべての。
それゆえ、殿下のお傍を離れぬ。
命を賭して、お守りする。
それが自分のこれからの人生のすべてなのだ。
ザンギは煌めく朝の太陽を一度じっと見上げた。
そうしてゆっくりと息を吸い込むと、再び落ち着いた足取りで、森の小道を歩いていった。
了
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