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第十一章 巡る時間
9 皇帝の資質
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(これが我が民──)
これが、自分が守るべき人々なのだ。
ストゥルトは無意識に、服の上から胸元の赤いペンダントに触れていた。ペンギンの意匠の浮かんだ、未来人からもらったペンダントを。
「われわれにとって未知の病であるために、初動が遅れたことは申し訳なく思っている。私自身、臍を嚙む思いでいる。が、ともかくも、これ以上の罹患者をださぬことに全力を尽くす。みなもどうか協力してくれ」
みなが静かに、また熱心に聞いてくれているゆえだろう。自分の声でもまずまず「朗々と」と描写できるぐらいには人々の上に広がっているのを感じた。
「みなにとって必要なもの、清潔な水や薪を配るため、いまは国庫を開いている。健康に不安のある者は、担当の医官に相談できるように、いま王宮前に窓口をつくろうとしているところだ。どうか遠慮なくそこを頼ってもらいたい」
群衆はストゥルトの声を耳をそばだてて聞いているようだった。皆の必死な視線がすべて自分に集中しているのが肌でわかる。
「女神アテナ様への犠牲と祈祷だが、いまよりこちらで行うこととする。捧げものは王宮の牛一頭だ。……そら、遅れていたがそれあそこに」
ストゥルトが指さす方を人々がいっせいに振り向くと、やっぱり痩せてはいるものの、王宮で飼われている立派な黒牛が一頭、従僕のひとりに引かれて丘の坂道をゆっくりとのぼってくるところだった。牛の後ろに隠れてはっきりとは見えなかったが、もうひとつの人影もある。
「おお……」
「陛下が、あのような素晴らしい犠牲をささげてくださると?」
「わ、わたしたちのために……?」
人々の低いざわめきが空気に滲み出るように湧いてくる。そこには明らかな喜びの色があった。
「そなたらの中に、各区域の長老がいるか。いるならみな前へ出よ。その者らだけは、民の代表としてこれより神殿に入ることを許す。ともに犠牲の儀式に参加し、ほかの者らへ様子を報告するがよいぞ」
「おお、それは──」
感嘆の声とともに、薄汚れた上衣を身にまとった長老らしき老人がゆっくりと進み出てきた。似たような風体の者が、さらに十名ほど群衆の間をぬってこちらへ出てくる。
ストゥルトは自分の前に並んだ老人たちを見回した。全部で十名いる。
「これで全部か?」
「はい、左様にございまする」
ひときわ品のいい佇まいの、髪や髭が白くなった老人が頭を垂れると、周囲の老人たちもそれに倣った。
「よし。では他の者らはしばしここで待たせることとしよう」
言ってストゥルトは再び群衆の方を向いた。
「よいか。すでに多くの死者を出してしまったとはいえ、ここは帝国アロガンスの帝都、ケントルムぞ。ほかのどの国、どの地域にいるよりもずっと安全で、生きやすい場所なのだ。いや、私がそうする。約束する!」
ストゥルトは自分の顔に、体に、ひとすじの不安も後ろめたさも載せぬように気をつけながら、ひと言ひと言を区切るようにして皆に言い聞かせた。
「そなたらの命は、このストゥルトがきっと守って見せる。これ以上は決して、死の神にそなたらの命をゆだねることを許さぬ。それゆえ、どうかみな、私に協力してほしい。わが国の守護神にあらせられるアテネ神様のご加護のもと、みなで力を合わせよう。平民も貴族も、皇族も関係などあるものか。みなで手をとりあって、この苦難を乗り越えようぞ!」
「ウオオオオ────!!」
最初に叫び声をあげたのは、なんとフォーティスだった。それにつられて周囲の近衛兵と警備兵らも、槍や剣を高々と天に衝き上げて雄叫びをあげる。
「ウオオオオ!」
「皇帝陛下、万歳!」
「我が帝国の太陽、ストゥルト陛下、万歳!」
民衆らもすぐに呼応した。
「帝国アロガンスに、平和のやどらんことを!」
「皇帝陛下に永遠の幸あれ!」
「ストゥルト陛下!」
「陛下、ばんざい!」
うおおお、うおおおおと人々の叫びが大地を揺らす。
みなが一斉に足踏みをし、それがまた地響きとなって心臓を跳ねさせる。
あまりの音量と衝撃に、空気そのものがびりびりと肌を、耳を貫いていく。
ストゥルトも両手を上げた。そして、彼らとともに天に向かって吠えた。
「うおおおおお、おおおおお────ッ!」
見ていろ。
そして天の神々もどうかご照覧あれ。
負けるものか。
人間は、決して負けない。
お前らのような理不尽な、なに者に対しても。
決して決して、負けないのだ──。
夏の太陽はただ沈黙してぎらぎらと、埃の浮いた空気をはさんだ高みから、眼下に吠え猛る地上のちいさな生き物たちを見下ろしていた。
これが、自分が守るべき人々なのだ。
ストゥルトは無意識に、服の上から胸元の赤いペンダントに触れていた。ペンギンの意匠の浮かんだ、未来人からもらったペンダントを。
「われわれにとって未知の病であるために、初動が遅れたことは申し訳なく思っている。私自身、臍を嚙む思いでいる。が、ともかくも、これ以上の罹患者をださぬことに全力を尽くす。みなもどうか協力してくれ」
みなが静かに、また熱心に聞いてくれているゆえだろう。自分の声でもまずまず「朗々と」と描写できるぐらいには人々の上に広がっているのを感じた。
「みなにとって必要なもの、清潔な水や薪を配るため、いまは国庫を開いている。健康に不安のある者は、担当の医官に相談できるように、いま王宮前に窓口をつくろうとしているところだ。どうか遠慮なくそこを頼ってもらいたい」
群衆はストゥルトの声を耳をそばだてて聞いているようだった。皆の必死な視線がすべて自分に集中しているのが肌でわかる。
「女神アテナ様への犠牲と祈祷だが、いまよりこちらで行うこととする。捧げものは王宮の牛一頭だ。……そら、遅れていたがそれあそこに」
ストゥルトが指さす方を人々がいっせいに振り向くと、やっぱり痩せてはいるものの、王宮で飼われている立派な黒牛が一頭、従僕のひとりに引かれて丘の坂道をゆっくりとのぼってくるところだった。牛の後ろに隠れてはっきりとは見えなかったが、もうひとつの人影もある。
「おお……」
「陛下が、あのような素晴らしい犠牲をささげてくださると?」
「わ、わたしたちのために……?」
人々の低いざわめきが空気に滲み出るように湧いてくる。そこには明らかな喜びの色があった。
「そなたらの中に、各区域の長老がいるか。いるならみな前へ出よ。その者らだけは、民の代表としてこれより神殿に入ることを許す。ともに犠牲の儀式に参加し、ほかの者らへ様子を報告するがよいぞ」
「おお、それは──」
感嘆の声とともに、薄汚れた上衣を身にまとった長老らしき老人がゆっくりと進み出てきた。似たような風体の者が、さらに十名ほど群衆の間をぬってこちらへ出てくる。
ストゥルトは自分の前に並んだ老人たちを見回した。全部で十名いる。
「これで全部か?」
「はい、左様にございまする」
ひときわ品のいい佇まいの、髪や髭が白くなった老人が頭を垂れると、周囲の老人たちもそれに倣った。
「よし。では他の者らはしばしここで待たせることとしよう」
言ってストゥルトは再び群衆の方を向いた。
「よいか。すでに多くの死者を出してしまったとはいえ、ここは帝国アロガンスの帝都、ケントルムぞ。ほかのどの国、どの地域にいるよりもずっと安全で、生きやすい場所なのだ。いや、私がそうする。約束する!」
ストゥルトは自分の顔に、体に、ひとすじの不安も後ろめたさも載せぬように気をつけながら、ひと言ひと言を区切るようにして皆に言い聞かせた。
「そなたらの命は、このストゥルトがきっと守って見せる。これ以上は決して、死の神にそなたらの命をゆだねることを許さぬ。それゆえ、どうかみな、私に協力してほしい。わが国の守護神にあらせられるアテネ神様のご加護のもと、みなで力を合わせよう。平民も貴族も、皇族も関係などあるものか。みなで手をとりあって、この苦難を乗り越えようぞ!」
「ウオオオオ────!!」
最初に叫び声をあげたのは、なんとフォーティスだった。それにつられて周囲の近衛兵と警備兵らも、槍や剣を高々と天に衝き上げて雄叫びをあげる。
「ウオオオオ!」
「皇帝陛下、万歳!」
「我が帝国の太陽、ストゥルト陛下、万歳!」
民衆らもすぐに呼応した。
「帝国アロガンスに、平和のやどらんことを!」
「皇帝陛下に永遠の幸あれ!」
「ストゥルト陛下!」
「陛下、ばんざい!」
うおおお、うおおおおと人々の叫びが大地を揺らす。
みなが一斉に足踏みをし、それがまた地響きとなって心臓を跳ねさせる。
あまりの音量と衝撃に、空気そのものがびりびりと肌を、耳を貫いていく。
ストゥルトも両手を上げた。そして、彼らとともに天に向かって吠えた。
「うおおおおお、おおおおお────ッ!」
見ていろ。
そして天の神々もどうかご照覧あれ。
負けるものか。
人間は、決して負けない。
お前らのような理不尽な、なに者に対しても。
決して決して、負けないのだ──。
夏の太陽はただ沈黙してぎらぎらと、埃の浮いた空気をはさんだ高みから、眼下に吠え猛る地上のちいさな生き物たちを見下ろしていた。
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