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第十一章 巡る時間
7 本音
しおりを挟む公的な場に出る場合の衣服とマントに着替えて外に出ると、中庭にはすでに厩舎から引かれてきた自分の馬が待っていた。これもまた、普段よりやや痩せているように見えた。
とはいえ、不要と思われた馬は次々に「処分」され、食用にされている現状である。この国にあっては最も大切にされている馬ですらこれなのだ。ここからも、民らの生活の困窮度合いは推し量れようというものだった。
「陛下!」
「しばしおとどまりを!」
「どうか、しばらく!」
鐙に足を掛けようとしたところで、宮殿から文官の一団が小走りにやってくるのが見えた。みな、口々に叫んでいる。先頭を駆けてくるのは宰相スブドーラだった。
近くまで来ると、皆は一度、深々と頭を垂れた。
「陛下。いくらなんでも、興奮した群衆の前に御身がお出になるのは危険にすぎるかと。なにが起こるかわかりませぬぞ。フォーティスに代理を頼まれませ」
「スブドーラ。もうそんな悠長なことを言っていられる状況ではない」
「しかしっ──」
(……おや?)
意外に思って、ストゥルトは男の顔を見直した。その顔がいつになく真摯なものに見えたからだ。
(皮肉なもんだな)
ストゥルトは腹の中で苦笑した。
この男はあわよくば、皇帝たる自分の命が一刻も早く尽きることを願っていたはずなのに。
以前の人生で自分を毒殺した者の黒幕はいまだにはっきりはしないのだったが、この男が首魁ではないにしても、情報はつかんでいた可能性が高いのだ。
今回のことで、もし自分が命を落とすようなことになれば、最も喜ぶのも利益を手にするのもこの男だろうと思っていた。ゆえに意外であり、疑問にも思った。
ストゥルトはゆっくりと頬に微笑みを乗せ、一同を見回した。
「あまりゆっくりと教育してやる暇はなかったが。スブドーラ、そなたの子息はもとより非常に優秀であるようだ。私に何かあった時にはよろしく頼むぞ」
「は? いえ、それは──」
「法的な書簡はすでに準備しておいた。わが身に大事が起こった際には、そなたの長子を我が養子とし、同時に皇位を授けることとする、とな」
「な……なんですと?」
スブドーラの目が見開かれる。
「そなたは息子をさらにしっかりと教育し、そなたの盤石の後見をもって、この国の政をしっかりと行わせるのだ。よいか」
「陛下……」
「帝国の明日はそなたの双肩にかかっておるぞ。どうかよろしく頼む。いいな」
いままでは狡猾な色を浮かべることの多かったこの男の瞳に、ついに驚きが浮かんだのが見えた。しかもそれは、本音に見えた。
「左様に不穏なことは、どうかおっしゃいませぬように。民心を徒に混乱させまするゆえ」
「まあ、そうだな」
ストゥルトはふはっと笑った。
今は周囲の文官、武官たちが驚きの目で自分を見ているのがはっきりわかった。無理もない。かつての、あの愚帝の姿をよく知っている者であれば、だれだってそうなるだろう。
以前であれば「無礼な」と腹のひとつも立てたところだが、今のストゥルトの心は不思議なほどに凪いでいた。
スブドーラはそんなストゥルトをしばらく無言で見つめていたが、やがて再び頭を下げて言った。
「我が息子は不肖にして、まだまだ子どものようなものにございまする。学ばねばならぬことも、いまだ山積みの状態にございまする。ほかの候補者らも同様にござりましょう。……だれよりも、皇帝陛下。あなた様からもっともっと、学ばさねばなりませぬ」
「なに?」
ストゥルトはぽかんと口をあけた。それから、思わず笑いがこみ上げてきた。今度は自嘲の笑いだった。
私から学ぶだと?
本気で言っているのか、この男。
いやまあ、それはないだろう。周囲にこれだけ人がいる状況下だ。この男がこんな場で、易々と本音など言うはずがない。
「私のような愚帝から、一体何を学ぼうというのやら」
「いいえ。これは本心にございまする」
「もうよい。とにかく、そこを開けろ。馬の蹄にひっかけられたくなくばな」
「陛下っ……!」
あとはもう聞かなかった。ストゥルトはさっさと馬上の人となり、フォーティスと近衛隊の面々を引き連れて城門めざして駆けだした。夏の陽射しの下で、土埃がもうもうと舞い上がる。
「陛下っ! どうか……どうか、ご無事のお戻りを!」
遠く背後で、宰相スブドーラの叫びが聞こえた。
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