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第十章 逡巡
6 裏切り
しおりを挟む次に目を開けたとき、妙に強い頭痛に襲われてストゥルトは顔をしかめた。さきほどとは少し位置がずれているが、それでも自分の寝台に寝ているのに、体が妙に重く感じる。視界がぐにゃぐにゃと歪んで、ひどい胸のむかつきを覚えた。
先ほどとは反対側の手が温かいのに気づいて、ぼんやりとそちらを見ると、シンケルスがそこに座って自分の手を握っていた。
と、リュクスの声が耳に届いた。それは妙に遠くから聞こえる気がした。
「お気がつかれましたか。ご気分はいかがでしょう」
「んん……目が、まわる」
なんとか出した声も掠れてがさがさになっていた。腕を上げようとしたが、ひどく重くてうまくいかない。
「気分が……悪い」
「そうでしょうね。大抵の者がそうなります。少し時間を置けば治ってくると思いますが」
「いれ、かわった……のか? 無事に」
「どうやらそのようだ」
答えたのはシンケルスだった。先ほどよりも力をこめてストゥルトの手を握っている。そっと隣を見ると、先ほどまで自分のものだった同じ顔をした体が横たわっていた。まるきり眠っているようにしか見えないが、それはもう魂のないぬけがらだった。
「では。こちらの体を運びますね」
「……ああ」
ぬけがらは、このままあの《イルカ》に戻される手筈になっている。彼らはこれからすぐに未来に戻るわけではなく、ストゥルトの体に後遺症などの異変が起こらないことを確認してからという話だった。
リュクスがストゥルトの体を抱き上げ、透明化すると、フォーティスが適当な理由をつけて扉を開いた。衛兵に声を掛けてから、ひどくゆっくりと外に出て行く。もちろん、一緒にリュクスが出るためだ。……もうひとつの理由もあるが。
シンケルスとふたりきりになり、部屋がしんと静かになった。
「しばらくは、無理せず横になっていろ」
「……ああ」
体がひどくだるい。が、いつまでも寝ているわけにはいかなかった。
自分には、やらねばならないことがある。そう決心したからこそ、ここへ戻ってきたのだから。
起き上がろうと身をよじったストゥルトの背中を、男の手がすぐに支えてくれた。そのままその胸に抱きしめられるような格好になる。男の手はそのまま、ストゥルトの髪を撫でている。ひどく優しい手つきだった。
男の胸の鼓動がたまらなく愛おしい。
「……シンケルス。いや……トウマ」
「なんだ」
「本当に、ここに残るつもりなのか」
男の眉が微妙にしかめられた。
「……くどい」
「本当に、あちらに心残りはないのか」
「そう言っただろう」
男の声はどこまでも落ち着いていて静かだった。胸の鼓動もとても静か。
ストゥルトは、さりげなく右手の中にある物の感触を確かめた。意識を交換する前に、男に気付かれないようにこちらの手に握らせておいた物だった。指先で、少しだけ突き出ている部分を確認する。
「トウマ」
「なんだ」
「……愛してる」
男が目を見開き、少し体を離してこちらの目を覗き込んできた。やや訝しげな瞳だった。
「……どうしたんだ」
「どうもしない。ふたりきりになった恋人が、本心を語ってはいけないか?」
「……そうでは、ないが」
朴念仁野郎が、珍しく戸惑っている。思わずふふっと笑ってしまったら、なにやら不快げに睨まれた。
「なんだ。遊んでいるのか? こんな時に」
「こんな時……だからだよ」
ストゥルトは普段の十倍は重く感じる腕をあげ、男の顔を引き寄せた。
しずかに口づける。
「愛してる……トウマ。本当だよ」
男は黙って口づけを受け、ストゥルトの目を真っすぐに見て静かに言った。
「俺もだ。愛してる。……ストゥルト」
「……そうか。嬉しい」
そのまま、男の胸に顔をうずめた。男の腕が抱きしめてくれる。
(ごめん……)
今から自分は、なにも疑っていないこの男を裏切る。
でもそれは、自分の気持ちに嘘があるからではない。その逆だ。
ゆっくりと右腕を上げ、男の体を抱きしめる。それと同時に、突起を押した。
びくんと男の体が震える。
「な──」
驚きに満たされた目がストゥルトを見つめ、見開かれる。男の体は力を失い、そのままずるずると寝台に倒れていく。その目は最後までストゥルトを見つめていた。驚愕の色を浮かべたまま。
なぜ。なぜ……?
その目が問うていることは明白だった。だからストゥルトは微笑んだ。
「愛してる。……本当だよ。だから……さよなら」
一生懸命微笑んでいるつもりなのに、堪え性のない両の目からは、勝手に熱い雫がぼろぼろこぼれ落ちつづけた。
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