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第十章 逡巡
5 帰還
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アロガンスの帝都、ケントルムの王宮へは、以前と同様、簡単に戻ることができた。時間帯も前回と同じ夜を選んだ。人目は少ないほうがいい。
王宮の上空に止まった《イルカ》から、例の円盤に乗って屋上に降り、衛兵らには見えないように全員が透明化して移動する。これも前回とまったく同じ。ただ、今回はシンケルスとリュクスが同行していた。
皇帝の寝室の前には、例によって不寝番をする衛兵が数名たっていた。さすがに選ばれた武人らしく、背筋をきりりと伸ばした姿勢のまま槍を立て、沈黙のまま立ち尽くしている。
三人は最初から、皇帝の身辺の世話をする者らが退出してくる時間帯を狙って扉のすぐ前で待ち構えていた。そうして、かれらが何度か出入りする隙を狙って一人ずつ室内に滑りこんだ。
「それにしてもお気の毒だねえ、陛下」
「いったい、なんのご病気なんだろう」
「変な魔法使いの呪いにでもかかられたんじゃないかねえ」
「あんた、だめだよ。滅多なことを言うもんじゃないよ。気をつけな」
「ああ、まあそうなんだけどさあ」
「いつになったらお目をおさましになるんだろうねえ……」
出てきた召し使いらは、あの女たちだった。その心配そうな低い声に耳を澄ますと、どうやらあれからずっとこの「皇帝」は謎の眠り病に犯されて眠り続けている……ということにしてあるらしい。
(なるほど。なかなか頭がいい)
ストゥルトは心の中だけで独り言ちた。
「それにしても、フォーティス様も大変じゃないか」
「ずうっとここで寝起きをなさってるんだろう? ご自分はろくに食事や水浴びもなさっていないらしいじゃないか」
「なんとも、素晴らしい忠誠心でらっしゃるよねえ──」
(ええっ?)
ストゥルトは思わず、シンケルスとリュクスと目を見かわした。
ではフォーティスはあれ以来、ずっと皇帝の側を離れず、ここで寝起きまでしていたというのか。思わず舌を巻く。二人の男もそれぞれに感心した様子で頷き返してきた。
女たちが全員退出したときには、皇帝の寝台の横にはフォーティスひとりきりになっていた。なるほど、言われてみれば少しやつれて小汚くなっている。髭が少し伸びて、全体に疲れて見えた。
部屋の四隅には灯火があるものの、室内はかなり暗い。《イルカ》のあの明るい照明に慣れてしまうと、自分は住み慣れた王宮といえどもかなり暗く感じるようになってしまったようだ。
ストゥルトは忠実な武人をむだに驚かさぬよう、寝台の端にそっと座ってからペンダントに触れ、自分の透明化を解いた。
「……もどったぞ、フォーティス」
男は最初の一瞬だけ、かっと目を見開いて腰の剣に手をかけ身構えた。が、ひと声も漏らさなかった。驚きの声はもちろん、呻き声のひとつもだ。
さすがはフォーティス。この男が軽々に狼狽えるところなど想像もできないが、さすがの胆力と言うべきだろう。
男はすぐに飛びすさり、床に膝をついて頭を垂れた。
「ご無礼を致しました。お帰りなさいませ、陛下。お戻りを心よりお待ち申し上げておりました」
「うん。……あ、ええとな。今回は私だけじゃないんだ。驚かないでくれよ」
言って目配せをすると、部屋の隅に立っていた男二人がそれぞれ自分の透明化を解いた。
フォーティスはまたもや一瞬固まった。特にその目が驚いて凝視しているのはリュクスのほうであるようだった。当然である。こちらの世界では、リュクスはつい先日、自害して果てたはずなのだから。
ストゥルトは彼にも分かるように、簡単にリュクスの来歴を説明してやった。もちろん、すべては小声である。
「なんと……。ではこれは、別の未来からやってきた別のリュクスだと申すのですか」
「そういうことだ。まあ、いきなりこう言って信じてもらえるとは思ってないが」
「いえ。陛下のおっしゃることに否やを申すなどはありえぬことです」
フォーティスは重々しく言い、シンケルスとリュクスを目を細めてじっと見やった。二人の男がそれぞれにフォーティスに頭を下げる。
リュクスがにこにこと男を見返すと、さすがのフォーティスもほんのちょっと微妙な表情になった。
が、リュクスはすぐにストゥルトに向き直った。
「さて。あまり時間がありません。陛下のお身体のタイムリミットが迫っています」
「ああ、そうだな。すぐ始めてくれ」
「たいむりみっと」とやらがどういう意味かはよく知らなかったが、リュクスが言いたいことは決まっている。ストゥルトの本当の体は、もって五日だと言われていた。今日はあれから四日目の夜なのである。
ストゥルトは自分の本物の体が寝ている横に自分もすぐに横になった。シンケルスがそのすぐ隣に腰を下ろしてストゥルトの頭に何かの装置をとりつける。耳が両方とも塞がるようになった細い帽子のようなものだった。それが終わると、男はストゥルトの手を握ってくれた。
例のディヴェたちが使っていた蚊のような装置とは違うけれども、シンケルスたちはこれを使って作業をするらしかった。
「すぐに眠くなってきますよ。そうしたら、できるだけ呼吸を楽にして。抵抗せずにそのまま眠りに入ってくださいね」
リュクスがそう言った時にはもう、ストゥルトの意識はゆらゆらとぼやけはじめていた。
手を握ってくれているシンケルスの手が温かい。
そう思ったのが最後だった。
王宮の上空に止まった《イルカ》から、例の円盤に乗って屋上に降り、衛兵らには見えないように全員が透明化して移動する。これも前回とまったく同じ。ただ、今回はシンケルスとリュクスが同行していた。
皇帝の寝室の前には、例によって不寝番をする衛兵が数名たっていた。さすがに選ばれた武人らしく、背筋をきりりと伸ばした姿勢のまま槍を立て、沈黙のまま立ち尽くしている。
三人は最初から、皇帝の身辺の世話をする者らが退出してくる時間帯を狙って扉のすぐ前で待ち構えていた。そうして、かれらが何度か出入りする隙を狙って一人ずつ室内に滑りこんだ。
「それにしてもお気の毒だねえ、陛下」
「いったい、なんのご病気なんだろう」
「変な魔法使いの呪いにでもかかられたんじゃないかねえ」
「あんた、だめだよ。滅多なことを言うもんじゃないよ。気をつけな」
「ああ、まあそうなんだけどさあ」
「いつになったらお目をおさましになるんだろうねえ……」
出てきた召し使いらは、あの女たちだった。その心配そうな低い声に耳を澄ますと、どうやらあれからずっとこの「皇帝」は謎の眠り病に犯されて眠り続けている……ということにしてあるらしい。
(なるほど。なかなか頭がいい)
ストゥルトは心の中だけで独り言ちた。
「それにしても、フォーティス様も大変じゃないか」
「ずうっとここで寝起きをなさってるんだろう? ご自分はろくに食事や水浴びもなさっていないらしいじゃないか」
「なんとも、素晴らしい忠誠心でらっしゃるよねえ──」
(ええっ?)
ストゥルトは思わず、シンケルスとリュクスと目を見かわした。
ではフォーティスはあれ以来、ずっと皇帝の側を離れず、ここで寝起きまでしていたというのか。思わず舌を巻く。二人の男もそれぞれに感心した様子で頷き返してきた。
女たちが全員退出したときには、皇帝の寝台の横にはフォーティスひとりきりになっていた。なるほど、言われてみれば少しやつれて小汚くなっている。髭が少し伸びて、全体に疲れて見えた。
部屋の四隅には灯火があるものの、室内はかなり暗い。《イルカ》のあの明るい照明に慣れてしまうと、自分は住み慣れた王宮といえどもかなり暗く感じるようになってしまったようだ。
ストゥルトは忠実な武人をむだに驚かさぬよう、寝台の端にそっと座ってからペンダントに触れ、自分の透明化を解いた。
「……もどったぞ、フォーティス」
男は最初の一瞬だけ、かっと目を見開いて腰の剣に手をかけ身構えた。が、ひと声も漏らさなかった。驚きの声はもちろん、呻き声のひとつもだ。
さすがはフォーティス。この男が軽々に狼狽えるところなど想像もできないが、さすがの胆力と言うべきだろう。
男はすぐに飛びすさり、床に膝をついて頭を垂れた。
「ご無礼を致しました。お帰りなさいませ、陛下。お戻りを心よりお待ち申し上げておりました」
「うん。……あ、ええとな。今回は私だけじゃないんだ。驚かないでくれよ」
言って目配せをすると、部屋の隅に立っていた男二人がそれぞれ自分の透明化を解いた。
フォーティスはまたもや一瞬固まった。特にその目が驚いて凝視しているのはリュクスのほうであるようだった。当然である。こちらの世界では、リュクスはつい先日、自害して果てたはずなのだから。
ストゥルトは彼にも分かるように、簡単にリュクスの来歴を説明してやった。もちろん、すべては小声である。
「なんと……。ではこれは、別の未来からやってきた別のリュクスだと申すのですか」
「そういうことだ。まあ、いきなりこう言って信じてもらえるとは思ってないが」
「いえ。陛下のおっしゃることに否やを申すなどはありえぬことです」
フォーティスは重々しく言い、シンケルスとリュクスを目を細めてじっと見やった。二人の男がそれぞれにフォーティスに頭を下げる。
リュクスがにこにこと男を見返すと、さすがのフォーティスもほんのちょっと微妙な表情になった。
が、リュクスはすぐにストゥルトに向き直った。
「さて。あまり時間がありません。陛下のお身体のタイムリミットが迫っています」
「ああ、そうだな。すぐ始めてくれ」
「たいむりみっと」とやらがどういう意味かはよく知らなかったが、リュクスが言いたいことは決まっている。ストゥルトの本当の体は、もって五日だと言われていた。今日はあれから四日目の夜なのである。
ストゥルトは自分の本物の体が寝ている横に自分もすぐに横になった。シンケルスがそのすぐ隣に腰を下ろしてストゥルトの頭に何かの装置をとりつける。耳が両方とも塞がるようになった細い帽子のようなものだった。それが終わると、男はストゥルトの手を握ってくれた。
例のディヴェたちが使っていた蚊のような装置とは違うけれども、シンケルスたちはこれを使って作業をするらしかった。
「すぐに眠くなってきますよ。そうしたら、できるだけ呼吸を楽にして。抵抗せずにそのまま眠りに入ってくださいね」
リュクスがそう言った時にはもう、ストゥルトの意識はゆらゆらとぼやけはじめていた。
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そう思ったのが最後だった。
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