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第九章 反撃
5 不安
しおりを挟むふと気づくと、真っ白な空間に立っていた。
ここはどこだ、と思うのと同時に、その白いものが靄であることと、これが自分の夢であろうことがぼんやりとわかった。ほとんど本能的に。
頭の中心がぐらぐらと不安定で、ひどく重く感じる。
(なんだよ……)
こんな夢を見ている場合ではない。自分はあと少しで自分の王宮に戻らなくてはならないのだ。おそらくあと数日で、あの体は死んでしまう。それまでは、あの男たちの仕事を存分に手伝わなくては──。
(あの、男……?)
そこでふと違和感を覚えた。
あの男とは誰だったろう。
いや、知っている。自分がこのところずっと執着して、心配もして、これからもずっとそばにいたいと願っていたその人だ。
いつもクソ真面目な無表情で、下手をすると意地悪に聞こえるほどにぶっきらぼうな物言いをして。でもよく見るととても誠実できれいな瞳をした男。
(……ああ、思い出せない)
その名がどうしても思い出せなくていらいらする。
頭の痛みがさらに増して、目の前の景色がぐにゃりと傾いだ。
厚く湿った靄がゆらゆらと風に散らされ、ぶつ切りになっていく。
急に視界が明るくなった。
そうして、見た。
(あ……)
その男がこちらに背を向けて立つ姿。
長身で広い肩をもつ後ろ姿。短い黒髪。
「シ──」
声を出そうとしたが、喉は言うことをきかなかった。それに、そこから先の男の名前をやっぱりどうしても思い出せない。
と、男がふっと顔を半分だけこちらに向けた。
端正な横顔。真っすぐで男らしい眉と、考え深げな灰色の瞳。伏せると思っていた以上に長い睫毛。
(まって……!)
思わず手をのばし、そちらへ駆け寄ろうと一歩踏み出した。
だが、そこには何もなかった。
(あっ……)
いきなりバランスを崩し、体がそのままがくんと落ちる感覚。
暗闇に落ち込む刹那、男がひょいと顔を向こうに向け、大股に歩き去るのが見えた。
(まって。まてよ……! シ──)
◆
「ストゥルト。ストゥルト!」
だれかが自分を呼んでいる。強めに肩を揺すられている。
ぐらぐらする頭の中がそのままぐちゃぐちゃにかき回されてしまいそうな感覚。
「ストゥルト! どうしたんだ。しっかりしろ」
「う……っ」
それでようやく目を開けた。
そこは《イルカ》の中の私室だった。飛行艇の中なのでひどく小さいものだったが一応シンケルスの寝室だ。前にも一度寝かせてもらったことがある。今夜も二つの寝台をくっつけて、二人で寝られるようにしてあった。
ストゥルトは自分がびっしょりと汗をかき、シンケルスに抱きしめられるようにして支えられているのに気がついた。心臓がまだ激しくばくばくいっている。
「え、あ……うあっ」
「落ち着け。起きられるか」
「うう……」
背中を支えられたまま、ゆっくりと上体を起こされる。喉がからからだ。シンケルスが寝台の脇にある水差しらしいものから、カップに注いで渡してくれた。
「飲むといい。さあ、落ち着いて」
「……ん」
慌ててごくごくと水を飲み下し、慌てすぎてちょっとむせた。シンケルスの手が背中を少しさすってくれている。
「急にうなされて叫び出したんだぞ。夢でも見ていたのか」
「う……ん。そうらしい」
ちらりとうかがうが、男はいつもどおりの落ち着いた瞳のままだった。
あれから自分たちは「ミナミハンキュウ」とやらの宇宙生物たちの掃討を続行した。北よりははるかに数が少なかったとのことで、夕刻にはほぼ作戦を完了し、三人は《イルカ》に戻った。
北側の作戦は続行中とのことだったが、ストゥルトはあまりの疲労でふらふらになっており、簡単な食事を済ませたあとはシンケルスに抱きかかえられるようにして寝室に連れていかれ、すぐに眠り込んでしまった。
それほど疲れた。思っていた以上に。
自分たちにも狩りを楽しむ文化はある。だが、あれは相手がただの野生動物だからこそだ。相手が相当な知的生物であり、自分たちとも意思の疎通ができることがわかっている今では、それは人間を虐殺して回るのと大差ないという気がした。
戦争であればいざ知らず、今回はひたすらに逃げて隠れたネズミを追い出して殺し回るのと同じことだった。しかも相手は、地球の環境にあまり順応できていない不定形のか弱い生き物だ。
もちろん、かれらの科学技術の高さを思えば侮るべきではないのだけれど、個々の生き物としてのかれらはひたすらに弱かった。……もはや、哀れになるほどに。
(いや……わかってる。シンケルスも言ったとおりだ。今が最後の機会なんだ。ここを逃すべきじゃない)
わかっていたが、頭で理解することとそれに心がついてくるかどうかは別問題だった。
「昨夜はシャワーもせずに寝てしまったが。今からでも入っておくか」
「う……うん。そうだな」
言われてみれば、体は昼間の汚れや寝汗などでとても気持ち悪かった。
ストゥルトはシンケルスに伴われ、部屋を出てシャワールームに向かった。シンケルスがついてきたのは、まだストゥルトの足元がおぼつかなかったからである。
が、扉のところで立ち止まり、ストゥルトだけを中に入れようとしたシンケルスの服の裾を、ストゥルトはくいとつかんだ。
驚いたように灰色の目が見下ろしてくる。ストゥルトはその胸に頭をおしつけた。
「いっしょに入ろう。……いいだろ?」
「しかし──」
「まだ足がふらつくんだ。頭も痛い。中で私が倒れたら困るだろ?」
「…………」
男はしばし沈黙してストゥルトを見つめていたが、やがて「わかった」と低く言うと、ストゥルトの腰に手を回し、一緒にするりと中に入った。
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