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第八章 変転
5 ふたりの皇帝
しおりを挟む寝台上の人物を見つめて絶句している二人に向かって、シンケルスは言った。
「現在は持ち主をなくした形の陛下のお身体ですが、間違いなく生きておられます。実はあのあと、《イルカ》で健康状態を調べさせていただき、可能な限りの手を施して健康体へお戻しさせていただきました」
「ええっ……?」
(そんな。本当かよ!)
目を白黒させているストゥルトを、シンケルスが不思議に優しい目で見返した。
「まことにございます。未来では様々な病の治癒法が確立されています。《アリス》が陛下のお身体のご病気や不具合のある部分をひとつひとつ精査し、治癒しました。少し時間はかかりましたが、いまの陛下がお使いのそのお身体とまったく遜色のない状態まで戻っております」
「し、信じられん……」
ストゥルトはそろそろと自分の体に近づいて、その寝顔をしげしげと観察した。
確かに顔色はいいようだ。肌の状態も、以前よりまたさらによくなって美しくなっている。そのうえ、耳にはちゃんと同じ耳飾りもつけられていた。
黙って立ち尽くしたままだが、フォーティスも相当に驚いているのは確かだ。何度か二人のストゥルトを交互に見やって、眉間に皺を立てている。
「さらに、未来のエージェントによってすでにディヴェたちと同様の《意識交換》の技術も手に入れました。陛下には、いつでもこちらのお体に戻っていただく用意があります。今すぐにも施術できます」
「ええっ!? そんなことまで?」
「はい」
真面目一筋な男が真面目な顔でうなずいただけなのに、この説得力はいったいなにか。ストゥルトはほとんど呆れかえって、自分の愛する男を見つめた。
「うーん……。それは、急がなくてはいけないか?」
「は?」
「いや、つまり……いますぐこの身体に戻らなくてはならないか、ということだが」
「とおっしゃいますと」
「もうしばらくはこの身体でいても大丈夫か、と訊いている」
シンケルスは怪訝な眼差しになった。
「それは……そうですが。そのイヤリングをお付けであれば、奴らによる頭痛の発症などの干渉は防げるはずですし」
「そうか! なら──」
「しかし、意識のないままのお身体はあまり長くはもちませぬ。《イルカ》でなら何年でも可能ですが、こちらの王宮ではお身体を保つ設備が十分には整っておりませぬゆえ」
「ふむ。どのぐらいならもつ?」
「完全に眠った状態ですゆえ、もって五日ほどではないかと」
「わかった。フォーティス!」
「は」
フォーティスがサッと頭を下げた。
「そなた、この皇帝の体をしばし守れ。『急な眠り病になられた』とでもなんとでも言ってな。なんとか周囲の者らを納得させよ」
「は? では陛下は──」
「しばらくこの者と行動を共にする。どうせ近くに《イルカ》が来ているのだろう?」
今度はシンケルスに向かって問う。
男は無言でこちらを見返してきた。
「……どういうことにございましょう」
「だからっ。私も行く、と申しているのだっ。そなたは《神々の海》で行方不明になったことになっている。だから、このままここにいるわけにはいかぬだろう。ということは、すぐに《イルカ》へ戻るつもりだったのだろう? どうせまた、あの飛行艇は上空に待機しているのだろう。ちがうのか?」
「…………」
沈黙はそのまま「応」を意味している。
「だったら私も連れていけっ! 今回みたいに、ここでじりじりと待たされるなんてまっぴらだ。私だって、きっと何かの役には立つぞ! ほ……ほんの、ちょっぴりぐらいは!」
「いえ、陛下」
「やかましい!」
ストゥルトはつかつかとシンケルスに歩み寄ると、その胸倉を掴みあげた。
「もう置いていかれるなんて絶対イヤだ! 私の知らないところで、お前の命が危険に晒されるのもだ。私を蚊帳の外に置くな、ひとりにするな! わ、私を……わたしを」
そこでついに、ぐっと喉の奥がつまった。
無意識に男の胸に頭を押しつける。
「わたしを……そばに、置いてくれ」
一緒にいたい。ただそれだけだ。
ほかのあれやこれやは全部言い訳。わかっている。
大した才能もない上に未来人でもない自分なんか、この男たちの役に立つはずがない。そんなことはわかっている。
(……でも)
もう、この男と離れたくない。彼らがあの恐ろしい宇宙生物たちに立ち向かうとわかっているのに、ひとりでのほほんと王宮で過ごすなんてまっぴらだ。いや、むしろ心配で夜も眠れないのに違いない。
実際、ここのところはずっと、そんな夜を過ごしてきた。
そんなのはごめんだ。もういやだ、絶対に!
が、シンケルスはひどい渋面のままだった。
「我らとともにいるのは危険です。以前とは状況が──」
「わかってるよ。それでもいいって言ってるんだ」
「……しかし」
「やかましいっ! イヤだったらイヤなんだっ!」
シンケルスの胸元にかじりついたまま動かなくなってしまったストゥルトを、二人の男はしばし黙って見つめていたが、やがて互いに目配せをしあったようだった。
やがて背後から、落ち着いた低い声がした。
「よろしいではありませぬか。このフォーティス、五日ぐらいならばこちらのお身体、しかとお守り申しましょうぞ」
「いや、しかし」
「そうか! 有難い。礼を言うぞっ、フォーティス!」
シンケルスがあれこれ言い出す前に、ストゥルトはがばっと顔を上げて言い放った。男が絶望したように頭を抱える。フォーティスは呵々と笑った。
「とは申せ。五日というお約束はきちんと守っていただきますぞ、陛下。必ず生きてお戻りくださいませ。それをお約束いただかねば、さすがの老骨もこちらをお守りはできかねまする」
「もちろんだっ! 約束するとも。ありがとう!」
「…………」
シンケルスが頭を抱えたまま、うう、と低い唸り声をもらした。
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