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第七章 転機
9 提案
しおりを挟む「では。あらためて先ほどのお返事をさしあげますがよろしいでしょうか」
「へ、返事……?」
「先ほどの、自分をご自身の専属護衛にというお話にございまする」
「あ、ああ……うん」
もう目を白黒させているばかりのストゥルトに向かい、男はきりりと姿勢を正して深々と礼をした。いかにも武人らしい、芯の通った美しい礼だった。
「ほかならぬ陛下のお求めとあらば、この儀、謹んでお受け申し上げまする。ご覧のとおりの不甲斐なき老骨にはございまするが、陛下のご所望にお応えすべく、誠心誠意、お仕え申す所存にございまする」
「そ、そうか。うん!」
ストゥルトの顔が、まだ真っ赤ながらもぱっと明るくなる。
「よく言ってくれた。感謝するぞ、フォーティス!」
「は。もったいなきお言葉にございますれば。……では、早速にございまするが」
「んんっ?」
大喜びで破顔したところへ、すっと表情をあらためて真正面から見つめられ、思わず笑みをひっこめた。この男にこの瞳で見つめられると、自然と背筋がのびて緊張が走る。だがそれは不思議に心地よい感覚だった。
「ひとつ助言をさせていただいても構いませぬか」
「助言……?」
「はい」
「……ああ、もちろんだ。なんなりと申せ」
そこでさらりと言われた言葉に、ストゥルトはまたもや目をひん剥くことになった。
「……はいぃ!?」
思わず出てしまった間抜けな雄叫びが執務室にとどろいた。奇声に驚いた小鳥たちが、窓の外で梢を揺らしてパタパタと逃げ散っていく羽音が聞こえた。
◆
翌日。
その提案をしたときのスブドーラの顔は見ものだった。
「わ……我が息子を、にござりまするか。しかしなぜ──」
「なぜもなにも。いま、私には一人の世継ぎもおらぬではないか。これでは帝国の屋台骨が危かろう」
予想通りの反応に内心ほくそ笑みつつも、ストゥルトはしれっとした顔で返した。
昨日と同じ、皇帝の執務室である。自分とフォーティス、それにスブドーラ以外はもちろんすべて人払いしてあった。
「そちの長子はあと二年かそこらで成人の儀を迎えるのであろう? なかなか聡明な少年だとも聞いているぞ。そなたにはほかにも息子がおると聞くし、ひとりぐらい良いではないか。なんなら次男のほうでも構わぬぞ。我が養い子として今から次期皇帝の教育を受けさせれば、以降は安泰というものであろう」
「し……しかし」
「なにをためらう? そなたにとっても大いに願ったりの話ではないのか。ん?」
にこにこと水を向けると、スブドーラは疑いの満杯に乗った目でおずおずとこちらを見返してきた。こちらがなにを考えているのか、皆目見当もつかないのだろう。
「実はな。そなたもすでに知っての通り、私は夜伽の奴隷どもをすべて整理した。今後、とある者以外とは褥をともにするつもりがないゆえだ。そしてその者との間に子ができることはまずない。この意味がわかるか?」
「は……いえ」
どう返事をしたらいいものか、さすがのこの男でも決めあぐねているのが手に取るようにわかる。まあまさか、「相手が男だから」とまでは見抜けまいが。
ストゥルトはにこにこしたまま言葉をついだ。
「どうやら私には子種がもうないらしい。最後の子が死んで以降、ひとりの子も生まれぬではないか。そうであろう?」
「…………」
男は黙って頭を下げたのみだ。
ストゥルトは心中「ふん」と鼻を鳴らしつつ目を細めた。
ここで「はい」とも「いいえ」とも言えないのは当然であろう。生まれた皇子や皇女を秘密裏に次々と殺し、その後は自分に石女ばかりをあてがってきた策略に、この男が関与していないはずがないのだから。
例の皇帝毒殺については直接関与していなかったかも知れないが、この男がそれと知っていて見ぬふりをした可能性は限りなく高い。自分では手を下さぬまでも、だれかを唆すぐらいのことは平気でやってのけたに違いないのだ。
この提言をしてきたのはもちろん、いま自分の背後に立っているフォーティスその人である。が、男は表情のひと筋も動かすことなく、皇帝の護衛としての自分の務めを淡々と果たしているだけに見えた。
驚くべきことにこの男、スブドーラの裏の顔も知っていながら「そういうことなら、いっそあの男を懐に入れておしまいになられませ」と進言したのだ。
(まったく、とんでもないことを言い出すものよ──)
最初こそ度肝を抜かれたけれども、ストゥルトはそれからしばらく考えた。
あまり勝手に動いて迷惑になるのも困るのでシンケルスたちに相談したいのは山々だったが、いまだに彼らとの連絡はつかない。やむを得ず、数日間フォーティスとあれこれと相談し、様々に対応を検討したうえでこの日に至ったのだ。
よくよく考えてみれば、それは決して悪い考えではなさそうだった。
「そなたは次期皇帝の親族となって、さらなる権力を手にすることもできる。どうだ? 悪い話ではなかろうが」
「……恐れ入りまする」
スブドーラは硬い表情のまま頭を下げた。
「それともなにか。子が可愛すぎて手放せぬか?」
「さ、左様なことはございませぬ」
男はいまその頭の中で、あれやこれやと大忙しで思案しているらしい。必死に顔には出さぬようにしているが、それでもストゥルトには手に取るようにわかった。
いま現在、スブドーラ側についている大貴族の連中。またそれ以外の貴族たちと、その経済基盤を為している大商人たち。あらゆる力関係と未来図を必死に脳内で展開させているはずだ。
「まあ、いきなりそなたの息子だけ、などということにすればほかの貴族どもがうるさかろう。不満の芽はつぶしておく必要がある。ゆえに、専用の学問所を設けて我が養子となるものを育成することも考えている。そこで若者同士を競わせるのだ」
「なんと──」
「もちろん、私はそちの息子をこそ望んでいるぞ。本人には間違いなく養子の条件を整えられるよう、性根を入れて勉強するよう大いに励ましてやってもらいたい」
「は……はあ」
やっぱりスブドーラは妙な顔のままだ。
「私はな、スブドーラ」
ストゥルトは組んだ手をテーブルについてじっと正面から男を見つめた。
「結局のところ、この帝国をよりよい国にしたいだけなのだ。そうしてなるべく長く栄えさせたい。できれば平和裏にな」
そうしてそれは、あのシンケルスたちの願いであり目的でもあった。
「……はあ。それはもちろんのことにございまするな」
それでも男は疑り深そうな目つきを露ほどもあらためない。ちょっと気持ちの悪い視線だった。だがストゥルトはひたすら、まったく意に介さぬといわんばかりの表情をたもっている。
「そのために力を貸せ、と申しておる。目的を達するためには、相当な深謀遠慮が求められよう。さらに、私の寿命だけでは到底足りぬ。今よりさらに知恵ある者らを多く召し抱え、助言を仰ぎ、学ばせて、まずは自分もだがその子をいずれ賢帝と称えられる者にしたいのだ」
「はは……」
「いかがか。その実の父になってみたいとは思わぬか。単に権力のみならず、その栄誉に浴してみたいとは思わぬか?」
「あ、あまりに急なお話でもあり、畏れ多きことにございまして──」
「さもあろうな。が、悪い話ではなかろう? 平和であればこそ、みなの懐も潤おうというものだ。戦争には恐ろしく金がかかるからな。民らをひどく疲弊させるのでなければ、貴族どもがなにかと貯め込むのもある程度は許せばよいのだし」
「む……」
スブドーラはまた手巾を取り出し、しきりに額の汗をぬぐっている。
ひたすら言を左右にするのは、今すぐにでも取って返して一族の者と密儀がしたいためだろう。
ここであまりゴリ押しするのはよろしくない。それはわかっていた。
「まあ、考えておいてくれ。話は以上だ」
最後はさっと話を切り上げ、ストゥルトは退室していくスブドーラを見送った。
すぐに背後から声が降りてきた。フォーティスである。
「なかなかよき感触にございましたな」
「うん。ぐらっぐらなあやつを見るのは面白かった。吹きだすまいと苦労したぞ」
言ってストゥルトは、今度こそ遠慮なく呵々と笑った。
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