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第七章 転機
8 昔がたり(3)
しおりを挟む「で、どうなったんだ」
「シンケルスは鞭打たれ、その作戦中、兵士としては使い物にならなくなり申した。鞭打ちによるひどい裂傷で発熱し、しばらく意識不明の状態になり、後方の医務方に放り込まれたままの状態でしたゆえ」
「…………」
ストゥルトは完全に頭を抱えてしまった。思わず溜め息がでる。
(なにをやってるんだよ、バカが……!)
下級兵の分際でそんな真正面から、バカ貴族のぼんぼんに意見する奴があるか。同じ意見の具申をするなら、もっと賢い方法がいくらでもあっただろうに。バカなぼんぼんの気分を損ねずに、そこはうまく立ち回ればよかったのだ。これがもしリュクスやレシェントだったなら、その程度の芸当は軽くこなしただろうに。
と、こちらの内面を見透かしたような目をしてフォーティスが言った。
「もともと、奴は自分にさんざん具申をしておりました。『もっと斥候を出して丁寧に情報収集をしてくれ』『隊を分けて崖の裏側から回りこむ作戦を提案してくれ』などなどと。その意見はもっともなものばかりであり、それゆえ自分も作戦会議でしつこく食い下がったつもりだったのですが……どうもうまく参りませず。結果、あの者をあのような目に──」
「……そうか」
ストゥルトは膝の上で拳を握り、唇を噛んだ。
「ですが。シンケルスの具申は決して無駄にはなりませなんだ。その後、将軍たちも口を揃えて師団長を説得し、軍団の一部だけを囮として隘路へ向かわせ、罠にはまったふりをさせました。その上で崖上で待ち伏せしている敵を後背から忍び寄って討ちとり申した。結局はそれにより、敵は潰走。あっけないほど簡単に勝利を掴みとりましてございまする」
「そうか……」
その後、シンケルスの容体は相当危ないところまでいったらしい。鞭打ちの傷はひどく膿んで、彼の体力をどんどん奪っていったからだ。
戦況がある程度落ち着いてから見舞いにいったフォーティスは、熱にうかされながらも彼が何度も口にした、とある言葉が気にかかったという。
「とある言葉……? それはなんだ」
「あの者は朦朧としながらもずっと申しておりました。『命がもったいない』と。『どうか無駄死にさせないでくれ』と。何度も、何度も」
「…………」
ストゥルトはぎゅっと目をつぶった。
フォーティスも大いに感銘を受けたのだろうが、その言葉にはもっと違う意味も含まれている。ストゥルトにはそれがわかる気がした。
人類が今にも滅亡しようかという厳しい時代を生きていた、未来人シンケルス。
その男が言うからこその重みだろう。子種もなく、自分自身ではもうこの世に新しく人を生みだせないとわかっている男が言うからこその重みなのだ。
人間を無為に死なせないでくれというのは、あの男にとっては血の叫びであるはずだ。今にも滅んでしまいそうな人類を目の当たりにし、どうにかして延命させようと必死に足掻いてきた男だからこその言葉であるはずだった。
「で……その後は? シンケルスの容体はどうなった」
「さすがにもう危ないというところまで行ってから、なぜか不思議と急に回復したようでございますな。運のいい男です」
(いや。そうではなかろうな──)
彼らは今とは比べものにならないほどの医療技術をもった時代の人間たちだ。いざとなればレシェントがペンダントで透明化して、シンケルスに特別な薬を飲ませたり、何かの治療を施したりできないはずがない。きっとそうだったにちがいないと心ひそかに確信する。
「ですが」
言ってフォーティスはわずかに口端に笑みを乗せてこちらを見た。
「あの者はあの一件で、がっちりと兵らの心を掴み申した。将軍らも然り。『なかなか見どころのあるやつだ』、『命が助かればどうにかして身分を引き上げてやらねば』などと思ってくれた者がいくらもおりました」
「なるほど。当然だろうな」
「結果、いまの近衛隊隊長としての座を射止めたとも言えましょう。……まあ、あれがあの者の謀だったとまでは思いませぬが」
「それはそうだ。あれはそんな器用な男じゃないよ」
思わず即答してしまってから「しまった」と思った。ちらっと見ると、フォーティスに意味ありげな視線で見つめられてしまっていた。
耳のあたりが瞬時に熱くなる。ストゥルトは慌てて顔の前で手をふった。
「あ……うん。まあ、よかったよな。大事に至らなくて」
「左様にございますな」
男はにこやかな笑みをくずさない。顔は確かに笑っているのに目が笑っていないような気がする。なんとなく、尻の据わりが悪くなってきた。
「しかし。いったいいつの間に、そこまであの者と親しくおなりに?」
「しっ……!? 親しくなど、なってない……!」
いや、なっている。それはまちがいない。
この男が考えるのとはちょっと方向性が違うけれども。
「左様にございますか」
フォーティスは、言葉などよりずっと雄弁なストゥルトの表情をしっかりと読み取ったような顔をしていた。喉奥でくくっと笑っている。
ストゥルトは恥ずかしさを誤魔化そうとばかり、少し強めに相手を睨みつけた。
「で? そいつはどうなったんだ。そのぼんぼん貴族の師団長は」
「ああ。その戦闘で戦死をなさいましたな」
「は?」
あっさり言われて呆気にとられる。
「いや待て。待ち伏せしていた敵兵らは一網打尽にしたのであろう? もともと戦力も十倍以上で、楽勝だったのではないのか。まさか前線にいたわけもあるまいに──」
「戦闘そのものは楽勝と言って申し分なきものでしたな。しかし」
男はふっと、意味深に目を細めた。
「残念な話にはございまするが、兵らの信頼を得られぬ将には、敵陣の中にだけ敵がおるわけではありませぬ」
「なに……?」
「師団長は戦闘中、どこぞから流れて来た矢に当たってあっけなく戦死をなさいました」
「な、なんだと──」
「矢には猛毒が塗られており、放たれた方向について、はっきりした証言をする者はだれもおりませなんだ。将軍らも、敢えてそれを厳しく追及することはしませんでしたし」
「いや、待て。それはつまり──」
言いかけてストゥルトはぴたりと口を閉ざした。
どうせそいつは、シンケルスのにっくき敵だ。下手をすればシンケルスはそこで死んでいたかも知れぬ。もしそうなったら、現在の自分が彼に会うことも叶わなかったことだろう。
自分にとってその男は、なにも哀れに思う筋合いのない者なのだ。しかも事件は十年も前の話である。いまさらわざわざ藪をつついて妙なものを出す必要はない。
それによく考えれば、自分だってあの「愚かな皇帝」のままでいたことで身近にいる者に殺されたのではないか。人のことは嗤えぬ。少なくとも自分には嗤えぬ話だ。
フォーティスは、口をぱくぱくさせながら黙りこんでしまった皇帝をしばらく眺めていたが、やがて静かに口を開いた。
「では。あらためて先ほどのお返事をさしあげますがよろしいでしょうか」
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