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第六章 帰還
14 侵入
しおりを挟むそのまま《イルカ》は王宮のすぐ上まで降下し始めた。ほとんど音もたてなかった。もちろん、人間の目には見えないような細工をほどこしたうえでだ。
レシェントとインセクの顔をした異星人が《イルカ》に残り、ストゥルトはシンケルスとともに例のちいさな円盤に乗って静かに降下していった。
(ううっ……)
ストゥルトは無意識にもシンケルスにしがみついてしまう。《イルカ》はかなり低い場所まで降下していたとはいえ、それでも十分に高い。最初は王宮全体が自分の拳ぐらいにしか見えなかった。それがどんどん大きくなり、足元に近づいてくる。
帝都ケントルムの王宮を真上からながめるなんていう経験は、恐らくこれが最初で最後になるだろう。だがその珍しい経験を楽しもうという気にはまったくなれなかった。やっぱり自分は、高いところが苦手のようだ。
ストゥルトとシンケルスはすでに、レシェントが準備してくれたアロガンス風の衣服に着替えている。万が一、衛兵らに見とがめられたとしても大丈夫なようにだ。
だが実は、自分たちも姿を消す魔法──ストゥルトにしてみれば、《カガクテキな機械》による云々かんぬんという話より、こちらのほうがよほど理解が早い──を使っている。魔法のもとはこのペンダントだ。
シンケルスが円盤に乗る前にペンダントの使い方を教えてくれて、ふたりはそれぞれ自分のペンダントを操作して姿が見えないような状態になっている……はず、である。お互いの姿は見えるようになっているため、確認のしようがないのだ。
「とにかく、人にぶつからないようにだけ気をつけろ。なるべく足音も立てぬようにな」
「わ、わかってるよ……」
すでにこそこそと小さな声になりながら、しっかりとシンケルスに抱き着いた姿勢のまま、ストゥルトは頭上に遠くなっていく《イルカ》の腹をちらりと見上げた。
大した挨拶もしなかったが、もうレシェントと会う機会はないのかもしれない。もう少しまともに、礼や別れの挨拶をすればよかった、といまごろになって後悔し始めた。
そう思ううちに、気がつけば二人の足は王宮の平たい屋上に降り立っていた。
屋上には夜の見張り番である兵士らがあちこちに立っている。が、だれもこちらに注意を払わない。中には平気で大口をあけて欠伸をしている者もいる。誰も見ていないと安心しきっているらしい。
なるほど、自分たちの姿はほんとうに誰にも見えていないのだ。
と、シンケルスが黙ったまま目配せをしてきた。ストゥルトも黙ってうなずき、彼のあとについていく。
屋上からは小さな階段を使って下り、歩哨に立つ兵士や夜の務めのために歩き回っている奴隷たちや女官たちを躱しながら少しずつ進んだ。
(ああ……帰って来たんだ)
唐突にそう思った。灯火のために燃やしている獣脂のにおい。さまざまな薫香のかおり。女たちだけでなく、男たちもつけている様々な香水のにおい。それらが混ざり合って独特の「王宮のにおい」なるものが形成されている。
今の今までなんとも思わなかったけれど、そうだ。これが王宮のにおいなのだ。
さして懐かしいとも帰りたいとも思わなかった場所なのに、不思議にいま懐かしいと思う自分の心を不思議に思った。
が、へんな感慨に耽っている暇はない。シンケルスはどこの間諜かと思うような体さばきですいすいと先へ進んでいってしまう。それでいて、足音のひとつも立てない。うかうかしているとあっというまに置いていかれそうだ。ストゥルトは彼の背中を集中して見つめながら、なるべく音を立てないようにそのあとに続いた。
やがて、ようやく後宮の中庭にたどりついた。
ここからはもう、皇帝の寝所は目と鼻の先である。
事前に約束してあるため、寝所にほかの奴隷たちはいないはずだった。しかも今夜は気分が悪いからとかなんとか理由を作って、インセク少年は寝所にひとりでいる手筈になっている。
もちろん皇帝の寝所の入り口には何名もの衛兵が立っているため、そのまま通り過ぎることは不可能だ。灯火のともされている広い廊下には、あちらこちらに点々と他の兵らも立っている。
寝室の入り口が見える場所で柱の陰に身をひそめ、シンケルスは軽く自分のペンダントを叩いた。すぐに小声で応えがある。
《私です》
「シンケルスだ。手筈どおり、寝室のすぐ前にいる」
《了解しました》
次の瞬間だった。皇帝の寝室から、どしゃん、がしゃんと急に大きな音が起こった。
入り口を守っていた衛兵がすぐに振りむいて中へ声を掛けている。
「陛下。いかがなさいましたか!」
中から何かぼそぼそいう声がして、兵らは「失礼いたします」と声を掛け、扉を開いて中に入った。それと同時にふたりも駆け出す。
シンケルスにならい、開いた扉の隙間からするりと滑り込んだ。
と同時に、さっと壁のあたりに背中をつける。
「ああ、もういい。大事ない」
部屋の奥から青年の声がした。
……皇帝の姿になった、インセク少年の声だった。
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