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第六章 帰還
7 憑依
しおりを挟む「あいしてる、よ……シンケルス」
言ったのと、深く唇を合わされたのとはほぼ同時だった。
今度はもう、ストゥルトが抵抗する理由はなかった。
……なにひとつ。
「んん……っ」
ふたりはそのまま、しばし深い口づけに酔いしれた。
もしこの男がこんな造り物の体を気持ち悪いと思ったとしても、それは無理もない話だった。だというのにシンケルスは、なんの躊躇もなくストゥルトを求めてくれた。それがひどく嬉しかった。
柔らかく上唇を、そして下唇を丁寧に吸われてから、ぬるりと舌を絡められる。シンケルスはさすがに舌づかいもうまくて、懸命に応えようとするのにちっともうまくいかなかった。
歯列を舐められ、歯の裏側から上顎の裏側まですべて味わわれる。
あっというまに翻弄されて意識がかすんでゆく。
「んふ……はっ」
こんな口づけをされてしまったら、体の方が危ない。というか、もうストゥルトの足の間のものはとっくに反応を見せている。
「だめ……んんっ……ふぁ、だめ……えっ」
もうだめだ。これ以上は。
第一、ここは決して安全な場所ではない。
ふたりしてこの行為にずっぷりと溺れているわけにはいかないのだ。
つう、と細い糸をひいて二人の唇が離れたときには、ストゥルトは目尻に涙を溜めてぼんやりとシンケルスを見返すしかできなかった。
「ん……? シンケルス?」
その時ようやく、男が厳しい目をしてストゥルトの背後を睨みつけているのに気が付いた。
「あっ。お前……!」
振り向いた先には、美しい銀髪の少年が立っていた。
もちろん、あのインセク少年の体である。だがここにあの少年がいるはずはなかった。
「お前っ……! まさか、インセクの体を乗っ取ったのか!」
「いやだなあ、乗っ取りだなんて。人聞きの悪いことを言わないでくれたまえよ」
さらりと答えたのは紛れもなくインセク少年の涼やかな声だ。しかしもちろん、中身はそうではなかった。
「やっと目覚めたんだね、シンケルス君」
「ああ。お陰様でな」
シンケルスが冷ややかな目で少年を見やる。残飯を漁る不潔な虫でも見るかのような目だった。これが本物のインセク少年であったら、絶対にありえない態度だった。
少年はうふふ、と可愛らしい笑顔でそれに応じた。清らかと形容したくなるようなきれいな笑顔だった。しかしいっさいの温かみはなかった。
「そっけないなあ。これでも心配してたんだよ? それに、僕らは今回君のためにけっこうなエネルギーを消費したんだ。死にかけた個体を生き返らせるのは僕らの技術でも大変なことなんだからね。礼のひとつも言ってくれてよさそうなもんだけど?」
「……そうだな。その点については感謝する」
「って、シンケルス! 礼なんかいう必要ないぞ、こんな奴にっ!」
そもそも勝手に攻撃して、彼を瀕死の状態にした分際でなにを言うのか。自分のしでかしたことを自分で尻ぬぐいしておいて、さらに感謝まで要求するのか。盗人猛々しいとはこのことだ。
インセク少年の美貌がまた、くふふ、と不気味な微笑みに変わった。前のストゥルトの姿のときもそうだったが、さらに不吉な雰囲気が加わっている。もともとのインセクがあまりの美しさをもつだけに、底知れない気味悪さがあるのだ。
「特に体に問題もなさそうだし、そろそろ出かけようと思うんだけど。いいよね?」
「出かける? って、どこにだよ」
「もちろん、君たちがもといたところに」
「えっ。戻れるのか?」
少年がさらさらと当然のように答えることに、ストゥルトはいちいちびっくりして訊き返してしまう。が、横からシンケルスにとどめられた。
「ストゥルト。あまり反応するな。余計な情報を与えないほうがいい」
「あ……。そうだよな」
「おやおや。皇帝の体に戻ってしまって、もっと悶着を起こしてくれるかと思ったのに。案外普通に、いや余計に仲良しになっちゃったね? つまらないなあ……」
「ほっとけよ!」
思わず叫んだところを、遂にシンケルスにぐいと背後におしやられて黙りこんだ。
少年は相変わらずにこにこしている。
「戻る、というのはどうやってだ」
シンケルスが低い声で訊いた。ごく平板で感情の見えない、いつもの声だ。
「君たちが《イルカ》とか呼んでいる飛行艇があるだろう。あれを呼べばいいよ。僕もこの身体でついていくからさ」
「えっ。お前も?」
「ああ。なにか問題があるかな?」
また頓狂な声を上げてしまったストゥルトに、少年はにっこりと微笑み返す。
(いや、ない。問題はない)
というか、むしろついてきてもらわないと困る。おもにインセクにとっての都合でだが。
「つまり……その体、インセクに返してくれるのか?」
「さあ。どうしようかなあ? 君たちがとってもいい子にしていたら、そうしてあげないこともないよ。スペアは大量に準備したから、このオリジナルはもう返してあげても問題ないし」
スペアとはなんぞやと思ったが、要するに同じ体をいくつもいくつも作ったということだろうと見当をつけた。鮮明に思い描いたら即座に吐き気がしてきたので、敢えて想像するのをやめたけれども。
「だから僕の指示通りに動いてね」
「って。いったい何様のつもりなんだよ……」
「さあね。生命体としては君たちよりもずっと上位の存在だと自負しているけど」
「なんだとう?」
いちいちむかつく。むかつくが、とうとうストゥルトは口を閉ざした。これ以上相手をしているのもバカらしくなってきたのだ。
と、目の前に小さな盆のようなものがすうっと飛んできてぴたりと止まった。見ればその上にペンダントが乗っている。それは間違いなく自分たちの、青玉(サファイア)と紫水晶のペンダントだった。
「君たちはそれで外部と連絡を取るんだろう? さあ、呼ぶがいいよ。君たちの仲間をね。今回は邪魔しないから」
ストゥルトとシンケルスは一瞬目を見合わせた。
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