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第六章 帰還
3 トライアル・アンド・エラー
しおりを挟む『そんなわけで、あの世界線でのインセク少年の体から細胞を貰うことは叶わなかった。で、《ペンギンチーム》のみんながこちらの世界線の三年前時点へもう一度タイムリープしてくる、今回のチャンスに賭けたわけだ』
『な、なるほど……』
謎の生き物たちは、今度は最初からインセク少年の体を守る方向で動いた。性感染症にかかりにくくする薬や媚薬の影響を受けにくくする薬などを密かに投与し、彼の健康を陰ながら守ってきたというのである。
そして最後の仕上げが、皇帝とインセクとの意識の交換だった。
『そうしておけば、インセク少年が犠牲に捧げられるのを避けられる。なにしろ皇帝の心が宿った少年なのだからね。しかも、周囲に大声で吹聴するわけにもいかない。とはいえ君自身が大いに吹聴する恐れはあったから、ちょっと細工をして「私が皇帝だ」みたいなことはほぼ言えないようにしておいた。騒ぎが大きくなると面倒だったからね。そういうわけさ』
皇帝と同じ顔をした青年は、さも満足げににっこり笑った。
『今回は、わりと計画どおりいってよかったよ。シンちゃんもリュクスもそうなるように、裏で様々に動いてくれたわけだけどさ』
◆
「なるほど。それでいろいろと辻褄が合うな」
黙ってストゥルトの話を聞いていたシンケルスは、最後にそう言って頷いた。
「イ、インセクの体は……あいつらが持って行ってそのままなんだ。私はずっとここにいた。ここから外へ出るのは無理だ。入り口がまったく見つからなくて……。食事やなんかは《イルカ》みたいにそこの壁から出てくるからなんとかなったが、あれ以来、私の姿をしていたあの生き物には会っていない」
そうなのだった。食事といい用を足す場所やシャワーなどといい、この部屋にはまるで《イルカ》にあったのとそっくりな人間のための生活設備が整えられていた。未来人の体を乗っ取ってその知識をいくらでも拝借できるわけだから、当然と言えば当然のことだった。
「というか、この体があの時のあいつの体なんだと思う。で、あいつ自身は『この男が目覚めるまではここにいろ』って声が聞こえたきり、いなくなって」
「そうか」
男は少し考え込んだ。
いくら未来人だとはいえ、シンケルスだって人間だ。今は持ってきた装備がすべて奪われていて、ふたりとも完全に身ひとつの状態だった。あのペンダントも取り上げられてそれっきりである。つまり助けを呼ぶことすらできない。
「どうする? シンケルス」
訊ねたが、男は眉間に皺を刻んで顎に手を当てたまま動かない。
「私もお前もペンダントを取り上げられてしまったし……これじゃレシェントに連絡もとれない」
「そうだな」
「そうだ、レシェントはどうしてるかな? 異変に気付いて助けに来てくれたりしないんだろうか?」
「来るならとっくに来ているはずだ。恐らく奴らに足止めを食わされているんだろう」
「って、お前。動じないなー」
「……そうか?」
ストゥルトはなんだか呆れて、肩の力が抜けてしまった。
「これでも一応悩んでるんだが」
「いや、絶対そうは見えないって」
ふっと眉を上げてこちらを見つめられると、どうでもいいのにまた胸の音がうるさくなった。まったく、仕様のない心臓である。
「どうせ一度は死んだ身だ。ほかの並行世界でも、俺は散々にあちこちで死んでいる。いまさら動じてもしかたがない」
「そういう問題かよ!」
「そういう問題だな」
あっさり言って、男はひょいと片方の袖をまくりあげた。
「きれいに治ってしまったが、前はここにも傷があっただろう。覚えていないか」
「ああ……知ってるけど」
「まだ下級兵だった頃の戦闘でついた傷だ。他にも無数の傷があったろう」
「……ん。そうだな」
それがどうしたというのだろう。武官がさまざまな傷痕もちなのは、この世界ではわりと普通のことである。
ストゥルトは男の顔をじっと見返した。いつものように何を考えているのか分からない、無表情で精悍な横顔だ。
「皇帝づきの近衛隊に入るためには、この世界の戦争で、ある程度の手柄を立てる必要があった。俺は毎回、そのために何度も戦闘に参加してきた」
「え? 毎回って……」
「そう。毎回だ」
男はストゥルトの言ったことを繰り返して目線をやや下げた。
「未来人としての知識があるぶん、随分楽はさせてもらっていたがな。それでもまったく無事というわけにはいかなかった。戦場では、いつ何が起こってもおかしくはないしな」
「それは……そうだろうな」
「とある平行世界では、俺が戦場で殺されてしまったために俺たち《ペンギンチーム》の作戦は大いに滞り、結局失敗に終わった。リュクスとレシェントには大いに迷惑をかけた」
青年はぞくっと背筋が寒くなるのを禁じ得なかった。
「こ、殺されてって──」
「殺されるだけのことなら、『シンケルス』はすでに何度も経験している。別に大したことじゃない。戦争とはそういうものだ」
「な……」
青年は絶句した。
それはどんな地獄なんだ。未来の人類を救うために過去へ飛ばされた《えーじぇんと》たち。彼らはこの帝国アロガンスを少しでも長く存続させるためにここへ来た。その目的を果たすため、シンケルスはなるべく高位の武官に、そしてレシェントは文官になってアロガンス政府にもぐりこむ必要があったのだという。
その作戦は何度も失敗したが、その都度倦まず繰り返された。シンケルスが死ぬなどして失敗すれば、また別の並行世界の未来から《ペンギンチーム》が過去へのタイムリープを行う。
これまでの並行世界での失敗記録はすべて集められて詳細に検討され、ふたたび別の並行世界の過去へとエージェントたちが送り込まれる。そうしたことが何度も何度も繰り返されてきているのだという。
「トライアル・アンド・エラーというやつだな。何度も試み、失敗を重ね、そこから学んで失敗を繰り返さぬようにし、再度トライする。そうやって失敗を積み上げた先に光明を見出そうとした」
「…………」
「もはや苦し紛れのやけくそと言っていいミッションだった。それは否めない。だが俺たちにはそうするほか、もう道が残されていなかった」
この時代だけではない。あらゆる鍵となる時代、鍵となる政権のもとへそれぞれのチームが送り込まれて作戦を遂行していくのだ。
そうやって少しでも時間稼ぎをし、人類全体の技術力を上げ、なんとかこの世界が滅びる前に人類が逃げ出せるように。それがすべての目的だった。
そこでふと、ストゥルトはとある疑問を覚えた。
「まってくれよ。どうしていつも、お前たちなんだ?」
「というと?」
「別に、ほかの奴でもいいんだろう? いくら人類が滅亡する時代だったからとはいえ、人間が数名しかいなかったわけじゃないはずだ。他の奴と交代でやったっていいはずだろう。こんな危険な仕事なんだし。どうしていつも、シンケルスたちがこの時代にこなくちゃならなかったんだ?」
男は突然押し黙った。
はっとしてストゥルトも声を飲み込んだ。
どうやらまずいことを訊いてしまったらしい。
シンケルスは恐ろしいほど厳しい目をしている。そして、なんとなく寂しそうにも見えた。
(な、なんなんだよ……)
困り果ててうつむくと、ぼんやりと緑色に光っている《卵》のまわりには耳が痛いほどの沈黙がおりてきた。
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