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第五章 神々の海
10 記憶の迷宮
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「Aプランは頓挫した。それでBプランに移行した。つまりこの惑星にすでに適応している生き物の姿を借り、そこに自分たちの意識を載せることにした……と。そういうことか?」
「ご名答。さすがだね」
青年の返事が、何もない空間に不気味に響いた。
「もとの僕たちは、君たちとは似ても似つかない容姿をしている。実はこの世界にもちょっとだけなら似たような生物は存在するけれどね。かれらは君たちにはどうやら不評のようだけど」
「へ?」
思わず変な声が出た。自分と同じ顔をした青年がまた謎の微笑みを浮かべて少年を見た。
「もちろん『一部の愛好者を除いて』という注釈はつくよ。どんな場合でもね」
どういうことだろう。
少年にも苦手な生物はいろいろいる。昆虫は硬いのも柔らかいのも苦手だし、海に棲むぐねぐね、ぐにょぐにょした生き物もちょっと苦手だったりする。つまり、もともとはそういう感じの生き物だということだろうか?
少年が色々と想像して変な顔になったからだろう。青年は奇妙な顔で苦笑した。
「僕らから言わせれば、よっぽど不気味で奇々怪々なのは君たちのほうなんだけれどね。そこは価値観と美意識の相違というやつだ。どこにでもある話さ。君たちの体を使うことだって、ここに至るまでにどれだけ仲間から反対意見が出たことか。僕だってずいぶん苦労したんだからね」
シンケルスがじろりと青年をにらんだ。
「そんなことはいい。話を続けろ」
「はいはい。そんなにせかさないでよ」
青年は軽く肩を竦めてまた笑った。
「それで、だ。僕らはそこからいろんな試行錯誤を始めた。この環境に適応するためには、君たちの体を借りるか、またはその体の特性を自分たちの体に取り入れて順応させるかする必要がある。そこからは色んな実験の積み重ねさ」
「実験だと……?」
シンケルスの目がぎらりと光った。
「貴様ら、人体実験を行ったのか」
「ジンタイジッケン」とはなんぞやと思ったが、少年は当然黙っていた。
「おやおや。それ、君たちに責める資格があるとでも?」
自分と同じ顔──というか、つくりは元のものよりもかなり美しい──が、にやりと笑った。
「どういう意味だ」
「僕らは君たちに関する相当な量のデータを集めているんだよ。君やその仲間たちの記憶だってコピーさせてもらったことがあるんだしね」
「なんだと……?」
青年はくすくす笑って、意味深な目でシンケルスをじっと見た。
「君たちの歴史はすさまじいよね。人体実験だって? それがなんだというのさ。僕らが行ったことよりもはるかに凄まじく、はるかに惨たらしく、はるかに残酷なことをしてきたくせに。僕らとは違って、相手が自分の同族であるにもかかわらずだ。それがこの地球にいる『人間』という生き物じゃないか。自分たちの本質から目をそらすんじゃないよ」
シンケルスが押し黙った。そろそろと覗いてみると、厳しい顔から血の気が引き、かたく唇を引き結んでいる。つないだ手が痛いほど握りしめられている。
いったいどういうことなんだ? シンケルスたちは、その未来に至るまでにどんなことを行ってきたというのか。
「僕らがやったのは、君たちがやってきたことの万分の一にも当たらない、とてもささやかな『実験』さ。君たちの凄まじい好奇心の発露に比べれば、はるかに人道的なものに過ぎないよ」
言って青年はついと立ち上がった。
片手を上げ、自分の頭を指さす。
「ここに記録されている本人の記憶。それを一旦コピーして取り除く。つまり白紙に戻す」
その手がひょいと空中に放り出される。「記憶を捨てた」ということを意味するらしい。そしてもう片方の手が上がり、同じように頭を指した。
「そうしてそこへ、僕らの記憶を刷り込む。つまり、頭の中だけを僕らにする──」
(ん? つまり……どういうことだ?)
よくわからなくておろおろしていたら、青年はにっこり笑って少年を見た。
「皇帝ちゃん。記憶というのはどんなものだと思う?」
「えっ……? どんなものって」
「つまりさ。今の君はだれなんだい? 今の君は皇帝としての記憶を持ってはいるが、体の方はインセクという奴隷の少年だ。さて、君はいったいだれなんだろう」
「そ、それはっ……」
一瞬言葉につまったが、少年は自分の胸を叩いて叫んだ。
「私だ! 帝国アロガンスのこっ、こここ……ああもう!」
「うん。そうだよね」
青年はにこにこしたまま頷いた。今では顔の前で手を組んでいる。
「君は皇帝、ストゥルトだ。人間はその記憶によって自分がだれであるかを判断している。たとえ体が奴隷の少年ふぜいであっても『自分は皇帝だ』と認識していられるというわけだ。つまり記憶とは、その人自身を形作るもっとも大切な要件だと言っていい」
「おっ、お前は……!」
青年はそこで意味深な目でじっと少年を見つめてきた。
「ごめんね。君の脳には、僕らのほうでちょっとした制限をかけた。君があんまり『私は皇帝だ、皇帝だ』って周囲に言いまわっても面倒だったからさ」
「な、なんだって?」
この非常に鬱陶しい細工は、こいつらの手によるものだったのか!
「外せよ、こいつっ! 勝手にこんなことをして……何が目的なんだよっ。というか、さっさと私とインセクを元にもどせ!」
憤慨してまた立ち上がりそうになっている少年を、シンケルスが片手で制した。
「そうだな。それは俺も聞いておきたい。貴様らの目的はなんだ。皇帝とインセクの記憶を交換した理由はなんだ? 皇帝の細胞を採取した経緯と手段も教えろ」
またもやにやりと笑うのかと思ったら、青年の顔からは急に表情が欠落した。
「ご名答。さすがだね」
青年の返事が、何もない空間に不気味に響いた。
「もとの僕たちは、君たちとは似ても似つかない容姿をしている。実はこの世界にもちょっとだけなら似たような生物は存在するけれどね。かれらは君たちにはどうやら不評のようだけど」
「へ?」
思わず変な声が出た。自分と同じ顔をした青年がまた謎の微笑みを浮かべて少年を見た。
「もちろん『一部の愛好者を除いて』という注釈はつくよ。どんな場合でもね」
どういうことだろう。
少年にも苦手な生物はいろいろいる。昆虫は硬いのも柔らかいのも苦手だし、海に棲むぐねぐね、ぐにょぐにょした生き物もちょっと苦手だったりする。つまり、もともとはそういう感じの生き物だということだろうか?
少年が色々と想像して変な顔になったからだろう。青年は奇妙な顔で苦笑した。
「僕らから言わせれば、よっぽど不気味で奇々怪々なのは君たちのほうなんだけれどね。そこは価値観と美意識の相違というやつだ。どこにでもある話さ。君たちの体を使うことだって、ここに至るまでにどれだけ仲間から反対意見が出たことか。僕だってずいぶん苦労したんだからね」
シンケルスがじろりと青年をにらんだ。
「そんなことはいい。話を続けろ」
「はいはい。そんなにせかさないでよ」
青年は軽く肩を竦めてまた笑った。
「それで、だ。僕らはそこからいろんな試行錯誤を始めた。この環境に適応するためには、君たちの体を借りるか、またはその体の特性を自分たちの体に取り入れて順応させるかする必要がある。そこからは色んな実験の積み重ねさ」
「実験だと……?」
シンケルスの目がぎらりと光った。
「貴様ら、人体実験を行ったのか」
「ジンタイジッケン」とはなんぞやと思ったが、少年は当然黙っていた。
「おやおや。それ、君たちに責める資格があるとでも?」
自分と同じ顔──というか、つくりは元のものよりもかなり美しい──が、にやりと笑った。
「どういう意味だ」
「僕らは君たちに関する相当な量のデータを集めているんだよ。君やその仲間たちの記憶だってコピーさせてもらったことがあるんだしね」
「なんだと……?」
青年はくすくす笑って、意味深な目でシンケルスをじっと見た。
「君たちの歴史はすさまじいよね。人体実験だって? それがなんだというのさ。僕らが行ったことよりもはるかに凄まじく、はるかに惨たらしく、はるかに残酷なことをしてきたくせに。僕らとは違って、相手が自分の同族であるにもかかわらずだ。それがこの地球にいる『人間』という生き物じゃないか。自分たちの本質から目をそらすんじゃないよ」
シンケルスが押し黙った。そろそろと覗いてみると、厳しい顔から血の気が引き、かたく唇を引き結んでいる。つないだ手が痛いほど握りしめられている。
いったいどういうことなんだ? シンケルスたちは、その未来に至るまでにどんなことを行ってきたというのか。
「僕らがやったのは、君たちがやってきたことの万分の一にも当たらない、とてもささやかな『実験』さ。君たちの凄まじい好奇心の発露に比べれば、はるかに人道的なものに過ぎないよ」
言って青年はついと立ち上がった。
片手を上げ、自分の頭を指さす。
「ここに記録されている本人の記憶。それを一旦コピーして取り除く。つまり白紙に戻す」
その手がひょいと空中に放り出される。「記憶を捨てた」ということを意味するらしい。そしてもう片方の手が上がり、同じように頭を指した。
「そうしてそこへ、僕らの記憶を刷り込む。つまり、頭の中だけを僕らにする──」
(ん? つまり……どういうことだ?)
よくわからなくておろおろしていたら、青年はにっこり笑って少年を見た。
「皇帝ちゃん。記憶というのはどんなものだと思う?」
「えっ……? どんなものって」
「つまりさ。今の君はだれなんだい? 今の君は皇帝としての記憶を持ってはいるが、体の方はインセクという奴隷の少年だ。さて、君はいったいだれなんだろう」
「そ、それはっ……」
一瞬言葉につまったが、少年は自分の胸を叩いて叫んだ。
「私だ! 帝国アロガンスのこっ、こここ……ああもう!」
「うん。そうだよね」
青年はにこにこしたまま頷いた。今では顔の前で手を組んでいる。
「君は皇帝、ストゥルトだ。人間はその記憶によって自分がだれであるかを判断している。たとえ体が奴隷の少年ふぜいであっても『自分は皇帝だ』と認識していられるというわけだ。つまり記憶とは、その人自身を形作るもっとも大切な要件だと言っていい」
「おっ、お前は……!」
青年はそこで意味深な目でじっと少年を見つめてきた。
「ごめんね。君の脳には、僕らのほうでちょっとした制限をかけた。君があんまり『私は皇帝だ、皇帝だ』って周囲に言いまわっても面倒だったからさ」
「な、なんだって?」
この非常に鬱陶しい細工は、こいつらの手によるものだったのか!
「外せよ、こいつっ! 勝手にこんなことをして……何が目的なんだよっ。というか、さっさと私とインセクを元にもどせ!」
憤慨してまた立ち上がりそうになっている少年を、シンケルスが片手で制した。
「そうだな。それは俺も聞いておきたい。貴様らの目的はなんだ。皇帝とインセクの記憶を交換した理由はなんだ? 皇帝の細胞を採取した経緯と手段も教えろ」
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