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第四章 海に棲むもの
14 同衾
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目を覚ましたとき、少年は一瞬自分がどこにいるのかが分からなかった。
見覚えのないつるりとした壁面。足元の方だけ、ほんのわずかに夕日の色に光っている。それを見ながら、ようやくゆるゆると眠る前のことを思い出してきた。
そうだ。これは空飛ぶ《イルカの船》だ。窓もなく外がまったく見えないので、今が何時ごろなのかもわからない。
ぼんやりと視線を動かすと、ちょうど向かい側の壁のところに少年が寝ているのとまったく同じ寝台が突き出ているのが見えた。
少年の胸がとくんと跳ねた。寝ている人影がある。シンケルスだった。
男はしっかりと寝入っているようだ。
なんとなく喉が渇いた気がして、少年はのそのそと起きだした。そろりと床に足をおろす。寝る前に男が脱がせてくれた靴はそこにあったが、裸足のままそうっと男の寝台の方に近寄った。
寝台に手を掛けて枕元のところでしゃがみこみ、男の寝顔をじっと見つめる。
相変わらず、彫りが深くて品のいい顔だ。目を閉じていると睫毛の長さがよくわかる。
気がついたら、少年はちょっと伸びあがって男の顔に自分の顔を近づけていた。
そうっと、そうっと。
唇をその頬へ近づけていく。
と。
「もう起きたのか」
「ひえっ!?」
男が目を閉じたままでいきなりそう言ったものだから、少年はまた猫の子みたいに飛び上がった。そのまま自分の寝台のところまで飛んで逃げる。
「なっ……なんだ。起きてたのか」
胸がバクバクやかましい。静まれ、静まれ!
いましようとしていたこと、気づかれていたのだろうか?
男はすっと目を開けると、壁のあたりに手をやって何かを見たようだった。
「もう少し寝ていていいぞ。今日は忙しくなる。しっかり休んでおいた方がいい」
「う……うん」
「どうした?」
「あ……えっと」
ぼそぼそと喉が渇いたことを伝えると、男はすぐに上体を起こした。外に出ていくのかと思ったら、寝台のすぐ脇の壁に触れてまた小さな扉を開けている。見ればその中に、なんでできているのか知らないが、透明なカップが置かれている。すでに水が注がれた状態だった。
カップを手渡されて恐るおそる口をつけたが、冷えていて美味かった。少年は喉を鳴らしてあっという間に飲みほすと、カップを男に返した。男はそのまま元の場所にカップをもどした。すると、なにごともなかったように扉が閉じた。
「もう少し寝ろ。用を足すならそこの扉だ」
「うん。……あ、あの」
もと通り自分の寝台に横になろうとした男を、つい呼び止めておいてすぐ後悔した。もじもじと体の前で手を揉み合わせる。自分は何を言おうとしているのだろう。
「なんだ」
「え……えっと」
男は半分寝返りをうってこちらを向いた。
「言いたいことがあるなら早く言え。貴重な睡眠時間が削られる」
そうだった。この男は睡眠時間を非常に大事にしているのだ。兵士として、だが。
「えっと……えっと。そっちで寝ては、だめ……か」
「…………」
男が黙った。やや驚いた目をしている気がする。いや気のせいか。
少年は慌てて顔の前で両手を振った。
「あ、うん。いいんだ。やっぱり狭いし、無理だよな──」
と、男がひょいと起き上がった。
「少しそこをどいていろ」
少年の肩を掴んでさがらせ、再び壁のどこかを操作している。すると。
「うえっ?」
両側の壁にあったふたつの寝台が低く音を立てながら動きだした。ぐっと伸びてきて、やがて互いに端がくっつく。その下に足が出てきて中央を支える形になった。
出来上がってみればなんのことはない。それはひとつの大きな寝台になっていた。
「うわあ……あ!?」
ぐいと手を引かれて寝かされる。すぐに隣に男がやってきた。枕の位置などをひょいひょいと直し、少年に掛け布を掛けて横になる。ごく手慣れた様子だった。
そのまま当然のように胸のあたりに抱き寄せられて、少年の胸はさらにやかましくなった。
「あっ……あああ、あのあのあの」
「なんだ。こうしたかったんだろう」
「いや……えっと」
わたわたしている少年の頭を、男の手がまたぽすぽす叩いた。
「やりたいことがあるなら最初から言え。ひとの寝込みを襲うぐらいならな」
「……うぐ」
やっぱり気づかれていた。羞恥の極みだ。
少年は耳が熱くなるのを覚えつつ、男の胸にうずめることで顔を隠した。
恥ずかしい。身の置きどころがないとはこのことだ。
「で。しないのか」
「え?」
そうっと目を上げると、男は自分の頬を指先でとんとんと叩いていた。
(う、うわあああっ!)
少年は全身で茹で上がった。
恥ずかしくてたまらない。
「しっ……しないしないしない! 悪かった。勝手にごめん!」
「そうか」
その声がなんとなくがっかりしたように聞こえるのは、やっぱり気のせいだろうと思う。
「では、早く寝ろ。つぎにきちんと眠れるのはいつになるかわからんぞ」
「う……うん」
ちょっともったいないことをしたかも。
本人が「いい」と言っているのだから、ちょっとぐらいちゅっとさせてもらえばよかったかも。
男の胸にしがみついたまま、少年はまたちょっとふくれっ面になっていたかもしれない。その額に、なにかがちゅっと降りてきた。
「……ふえ!?」
「これでいいだろう。さっさと寝ろ」
寝られるものか。
これで眠れるほうがおかしいだろう!
この無神経大バカ野郎が!
少年はもちろんその後、かなりの長い時間をまんじりともせずに過ごした。
見覚えのないつるりとした壁面。足元の方だけ、ほんのわずかに夕日の色に光っている。それを見ながら、ようやくゆるゆると眠る前のことを思い出してきた。
そうだ。これは空飛ぶ《イルカの船》だ。窓もなく外がまったく見えないので、今が何時ごろなのかもわからない。
ぼんやりと視線を動かすと、ちょうど向かい側の壁のところに少年が寝ているのとまったく同じ寝台が突き出ているのが見えた。
少年の胸がとくんと跳ねた。寝ている人影がある。シンケルスだった。
男はしっかりと寝入っているようだ。
なんとなく喉が渇いた気がして、少年はのそのそと起きだした。そろりと床に足をおろす。寝る前に男が脱がせてくれた靴はそこにあったが、裸足のままそうっと男の寝台の方に近寄った。
寝台に手を掛けて枕元のところでしゃがみこみ、男の寝顔をじっと見つめる。
相変わらず、彫りが深くて品のいい顔だ。目を閉じていると睫毛の長さがよくわかる。
気がついたら、少年はちょっと伸びあがって男の顔に自分の顔を近づけていた。
そうっと、そうっと。
唇をその頬へ近づけていく。
と。
「もう起きたのか」
「ひえっ!?」
男が目を閉じたままでいきなりそう言ったものだから、少年はまた猫の子みたいに飛び上がった。そのまま自分の寝台のところまで飛んで逃げる。
「なっ……なんだ。起きてたのか」
胸がバクバクやかましい。静まれ、静まれ!
いましようとしていたこと、気づかれていたのだろうか?
男はすっと目を開けると、壁のあたりに手をやって何かを見たようだった。
「もう少し寝ていていいぞ。今日は忙しくなる。しっかり休んでおいた方がいい」
「う……うん」
「どうした?」
「あ……えっと」
ぼそぼそと喉が渇いたことを伝えると、男はすぐに上体を起こした。外に出ていくのかと思ったら、寝台のすぐ脇の壁に触れてまた小さな扉を開けている。見ればその中に、なんでできているのか知らないが、透明なカップが置かれている。すでに水が注がれた状態だった。
カップを手渡されて恐るおそる口をつけたが、冷えていて美味かった。少年は喉を鳴らしてあっという間に飲みほすと、カップを男に返した。男はそのまま元の場所にカップをもどした。すると、なにごともなかったように扉が閉じた。
「もう少し寝ろ。用を足すならそこの扉だ」
「うん。……あ、あの」
もと通り自分の寝台に横になろうとした男を、つい呼び止めておいてすぐ後悔した。もじもじと体の前で手を揉み合わせる。自分は何を言おうとしているのだろう。
「なんだ」
「え……えっと」
男は半分寝返りをうってこちらを向いた。
「言いたいことがあるなら早く言え。貴重な睡眠時間が削られる」
そうだった。この男は睡眠時間を非常に大事にしているのだ。兵士として、だが。
「えっと……えっと。そっちで寝ては、だめ……か」
「…………」
男が黙った。やや驚いた目をしている気がする。いや気のせいか。
少年は慌てて顔の前で両手を振った。
「あ、うん。いいんだ。やっぱり狭いし、無理だよな──」
と、男がひょいと起き上がった。
「少しそこをどいていろ」
少年の肩を掴んでさがらせ、再び壁のどこかを操作している。すると。
「うえっ?」
両側の壁にあったふたつの寝台が低く音を立てながら動きだした。ぐっと伸びてきて、やがて互いに端がくっつく。その下に足が出てきて中央を支える形になった。
出来上がってみればなんのことはない。それはひとつの大きな寝台になっていた。
「うわあ……あ!?」
ぐいと手を引かれて寝かされる。すぐに隣に男がやってきた。枕の位置などをひょいひょいと直し、少年に掛け布を掛けて横になる。ごく手慣れた様子だった。
そのまま当然のように胸のあたりに抱き寄せられて、少年の胸はさらにやかましくなった。
「あっ……あああ、あのあのあの」
「なんだ。こうしたかったんだろう」
「いや……えっと」
わたわたしている少年の頭を、男の手がまたぽすぽす叩いた。
「やりたいことがあるなら最初から言え。ひとの寝込みを襲うぐらいならな」
「……うぐ」
やっぱり気づかれていた。羞恥の極みだ。
少年は耳が熱くなるのを覚えつつ、男の胸にうずめることで顔を隠した。
恥ずかしい。身の置きどころがないとはこのことだ。
「で。しないのか」
「え?」
そうっと目を上げると、男は自分の頬を指先でとんとんと叩いていた。
(う、うわあああっ!)
少年は全身で茹で上がった。
恥ずかしくてたまらない。
「しっ……しないしないしない! 悪かった。勝手にごめん!」
「そうか」
その声がなんとなくがっかりしたように聞こえるのは、やっぱり気のせいだろうと思う。
「では、早く寝ろ。つぎにきちんと眠れるのはいつになるかわからんぞ」
「う……うん」
ちょっともったいないことをしたかも。
本人が「いい」と言っているのだから、ちょっとぐらいちゅっとさせてもらえばよかったかも。
男の胸にしがみついたまま、少年はまたちょっとふくれっ面になっていたかもしれない。その額に、なにかがちゅっと降りてきた。
「……ふえ!?」
「これでいいだろう。さっさと寝ろ」
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