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第四章 海に棲むもの
10 真実
しおりを挟む「わっ。なんだこれ。これもパンなのか? さくっとしてるのに、中はやわらかい……香ばしくておいしいなあ!」
「俺らがパンって呼ぶもんは基本的にはこっちだな。これはまあ、その中でもクロワッサンって呼んでるやつだけどよ」
「くろわ……なに?」
「クロワッサン。皇帝ちゃんたちが食べてるパンには酵母が入ってねえんだろ? 麦やなんかの粉を練って竈で焼くだけでさ」
「ええっと……たぶん?」
「ははっ。だよな? 自分で作らねえんじゃわかんねえわなあ」
食事中も物珍しさが先行して少年はおちつきがなかった。食べながらも「これはなんだ」「あれはなんだ」とあれこれ質問攻めにするのに、シンケルスとレシェントはいちいち丁寧に答えてくれた。
料理は卵を溶いて焼いたもので「すくらんぶるえっぐ」とやら言うらしい。さらに豚肉の燻製を焼いた「ベーコン」と玉ねぎのスープ。あとは野菜が色々だった。彼らにとってはこれがいわゆる朝食になるものらしい。
実は少年がいちばん扱いに困ったのが、彼らが「ふぉーく」とか「ないふ」とか呼んでいる食器らしいものだった。
「こ、これ……どうやって使うんだ?」
「ああ、そうか。あんたら基本、素手で食事をするんだもんな」
そうだ。アロガンスの基本的な朝食というと、焼いただけのパンをちぎって葡萄酒にひたして食べるというもの。王宮ではシンケルスだってそうしていたのだ。もちろん皇帝だった自分はもっと豪勢な食事をしていたわけだが。それでも手づかみは手づかみだった。
「ほら、これはこう持って、こう。わかる?」
レシェントが軽く笑って、自分の食器で使い方を教えてくれる。さすがに手慣れたものだ。見る間に燻製肉と卵が切り分けられ、食べやすい大きさにされていく。隣を見ればシンケルスも当然といった表情で滑らかに使って食べている。
「フォークやナイフはまだマシなんだぜ~?『箸』だったらもっと大変だかんなあ」
「ハシ……?」
「そっ。こう、このぐらいの棒を二本使って食べ物を挟んで食べる。ちょっとしたコツがいるんだよなあ、あれは。慣れた奴ならこ~んな小さな豆でも上手に挟んで食べやがるけどさ」
「へー!」
「こんなごたくは聞かんでいいから早く食べろ。冷めてしまうぞ」
シンケルスが隣から口を挟む。なんとなくまだ不機嫌そうだった。
「なんだよー。ごたくじゃねえだろ、お食事関連は基本的な知識だろー」
レシェントが顎を突き出して軽く睨んだが、シンケルスは知らん顔だ。この男の言うことはしばらく無視することにしたらしい。そっぽを向いてコーヒーとやらいういい香りのする黒い飲み物を口に運んでいるだけだ。
少年もさっき、「ちょっとだけ飲ませてくれよ」とおねだりして飲ませてもらったが、いいのは香りだけでひどく苦い飲み物だった。「うええ」という顔になった少年を見て、男たちはなぜかふっと優しい目になった。
なんとなく、可愛い小動物でも見るような雰囲気で。
なんだか変な気持ちだった。
自分は本来、二十八……いや、今は毒殺される三年前なのだから二十五ということになる。こんな少年の体になってしまったので自分でもつい忘れそうになるが、一応ちゃんとした大人なのだ。
「ま、いいや。そんじゃあ、ごたくじゃねえ話をすっか。皇帝ちゃん、眠そうだったけどまだ大丈夫か?」
「えっ。……ああ、うん」
言われて少年はフォークとナイフを置き、居住まいを正した。が、男はにかっと笑って片手を上げた。
「ああ、いい、いい。食いながら聞いてくれ」
レシェントはシンケルスと目だけで何かを確認しあうと、少年に向き直った。
「えっとな。そろそろいい加減、あんたにゃ言っとこうって話になってな」
「え? なにをだ」
「まず、俺らがどこから来たか。それからここに来た目的もだ」
「……ごほっ!」
途端、少年は飲み込みかかっていた卵の料理を喉に詰まらせそうになった。シンケルスが差し出してくれた水を慌てて飲む。
しばらく咳き込む少年の背中を、シンケルスの手が穏やかに撫でてくれた。
少年はシンケルスをおずおずと見た。
「ほ、ほんとうに? 本当に私に教えてくれるのか。ほんとうに!?」
「ああ」
どうやら今までは、リュクスやレシェントと意見の足並みが揃わなかったらしい。とはいえ一体どこまで本当のことを教えてくれるのかは謎だけれど。
が、男たちはふたりとも少年の思いを見透かしたような目をしていた。
「あー。一応信用して欲しいんだよな。全部が全部を教えるわけにゃあいかねえが、この際、嘘はやめとこうぜって話になったのよ。特にこの、シンちゃんがよー」
レシェントがくいと親指でシンケルスを示す。
「だからそれはやめろ」
今度はレシェントの方がきっぱり無視した。
今は不思議に真面目な目の色になっている。ひと呼吸おいて、レシェントはさらりと言った。
「俺らはね、未来から来たの。この時代からすると、何千年もね」
「……え?」
少年はぽかんと口を開けた。
一瞬、何を言われたのかわからなかった。困って二人の男の顔を見比べる。
レシェントが口元を歪めて苦笑した。
「こいつが前に言ったでしょ?『めちゃくちゃ遠い所から来た。もう帰ることはできない』って」
「…………」
確かに。
確かにそう言ったけれども。
未来だって? いやわかってる。これから先にやってくる時間のことだ。
それが、何年どころか何千年も未来だと……?
「俺らの時代はね、皇帝ちゃん」
レシェントはそこで軽くため息をつき、肩をすくめた。
「もうオシマイの時代なのよ。この地球という星についてはもう少しぐらいならなんとかなりそうなんだが、何しろ人間のほうがジリ貧でな」
「チキュウ? じり……なに?」
わからない単語が多すぎる。
レシェントは苦笑したが、それは妙に寂しげに見えた。
「つまり、俺らの世界は絶滅寸前ってこと」
「え……」
確かに笑っているのに、レシェントの金色の瞳は明らかに哀しみを秘めている。
隣を見ると、シンケルスの静かな灰色の瞳にもまったく同じ色が沈んでいるのがわかった。
(絶滅……絶滅だって?)
少年は呆然と二人の男を見つめて固まった。
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