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第三章 秘密
13 疑惑
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「あらあらまあまあ! なんてことだろう。大変だったねえ」
「本当に大丈夫なのかい、インセク!」
「あ、うん……」
シンケルスと入れ替わりで入ってきた女たちの顔を見て、少年は大いに安堵している自分を感じていた。
女たちはかいがいしく濡れた布を取り替えてくれたり、準備してきた食事を少年の前に置いてくれたりしながらいつものように口は怒涛のように動かし続けている。
「それにしても許せないねえ! あんたはもうシンケルス様のお抱えになってるっていうのにさ」
「そりゃそれだけ綺麗なんだ。興味が湧くのもわかんなくはないけどさあ」
「それにしたって大の男が五人がかりでこんな子を、力ずくでさあ! 最低ってもんさね。ありゃ男のクズだね!」
「そうだそうだ、許せないよ!」
そうして怒りをぶちまけたあとは、みんな口々に少年を心配する言葉をかけてくれるのだった。
「いいかい、インセク。これからはもう本当に、シンケルス様から離れるんじゃないよ?」
「う、うん……」
「今回の奴らは、たまたまほかの用事で外から呼ばれて来ていた傭兵たちだったらしいけどね。さすがに王宮の中にいる者はおいそれとあんたに手出しなんてしないだろうけどさ」
「そうだったのか」
傭兵。なるほど、王宮の中ではあまり見かけない男どもだとは思ったがそういうことだったのか。
「がっつりとお仕置きが待ってるはずさ。王宮内でのもめごとはもともとご法度なんだからね」
「しかもこんな子を手籠めにしようだなんて! お妃さまがいらっしゃったら卒倒なさってるに違いないよ」
「……そうだな」
もちろん秘密裏に誰かを毒殺するなんていうもめごとは、当の黒幕によって体よく握りつぶされるわけだろうが。
少年としては今回の傭兵たちの裏に、だれか糸を引いていた者がいないことを願うばかりだ。もしもそうなら、相手はなかなか厄介な人物に違いないから。
ちなみに妃というのは、数年前に他界した皇妃だった女のことだ。細身で心の繊細なおとなしい女だった。話していてもちっとも面白みのない女なものだから、自分は適当に閨で相手をする以外はあまりかかわりも持たなかった。
やがて皇妃は身ごもった。スブドーラとはまた別筋の大貴族の娘だったが、妊娠がわかってしばらくしてから思わぬ事故に遭い、腹の子ともども帰らぬ人になった。確か階段のある場所で足を滑らせて転落したのだ。
以降、その女の顔が目の前にちらつく気がして、自分は皇妃を持たないできた。
そういえば愛妾たちや奴隷女たちの腹にも何度か子ができたことはあるが、みな皇妃のように何かの事故があって亡くなったり、死産だったり、生まれてすぐに赤子が病死したりするなどしてことごとく命を喪っている。
つまり自分には直系となる子がいない。
(もしかして……)
これまで考えてもみなかったが、これにも誰かの意図が関係していたのだろうか? その後自分にあてがわれる女の性奴隷たちは、身ごもることがまったくなかった。
ああした奴隷たちが避妊のために特別な薬を服用することはあるけれども、効果は完璧なものではない。薬を飲んでいても妊娠する奴隷はいる。
もしかすると最初から石女をあてがわれている……ということはないのだろうか──?
「可哀想に。そんなに痣になっちゃって」
「あ……ううん」
女に優しく手首をさすられて、さまよいでていた思考が現実に戻ってきた。
「大丈夫。もう大して痛くないんだ」
「顔だってえらく腫れてきてるじゃないか。口だって切れているし。こりゃ、あのシンケルス様が激怒なさるのも仕方がないさねえ」
「えっ?」
シンケルスが激怒? どういうことだ。
「あれっ。知らないのかい?」
女たちは驚いた顔で互いに目を見かわした。少年は胸がせきたてられるような衝動に囚われた。
「なに? なにがあったの。教えてよ」
「ええっと……。これ、言っていいのかねえ」
「うーん。でも、別に口止めはされてないし、いいんじゃないの?」
「ねえっ。いいから教えてったら!」
女の一人の衣の端をひっぱって促すと、女たちはやっと言った。
「ええとね……。シンケルス様、文官をぶん殴っておしまいになっちゃって」
「ええっ?」
「ほら、さっきドゥビウム様があんたを診察してた間にさ。シンケルス様、ちょっと外にお出になってたじゃない? その時さ」
「もうびっくりしちゃったよ。いつもは物静かなシンケルス様が、あんな怒った顔をなさるなんて!」
少年は目をまるくした。
「ほ……ほんとうなの」
「本当も本当さ! あたしゃこの目で一部始終を見てたんだから」
「ほら、知らないかい? 目が細くって、いつもへらへら笑ったみたいな顔の……ひょろっとした文官」
「あいつが、危ないとわかってる所にあんたをひとりで置いてきたんだろう? わざとじゃないにしたって、ひどいじゃないか」
「近くにあの傭兵たちがいるってわかってるのに、放っておいたなんてさ! 一緒に連れていけばよかったものをさ」
少年はさらに目を見開いた。
それって。それって、もしかして──。
「ほら、リュクスっていう髭殿んとこの下っ端のさ」
(なんだって……?)
それは本当か? だってあいつは、シンケルスの仲間だったのでは。
それをシンケルスが殴ったというのか? いったいどうして……?
少年はいつまでもぐるぐる考えた。
次第に熱くなってくる耳と、とくとくと鼓動を早める胸の音を聞きながら。
「本当に大丈夫なのかい、インセク!」
「あ、うん……」
シンケルスと入れ替わりで入ってきた女たちの顔を見て、少年は大いに安堵している自分を感じていた。
女たちはかいがいしく濡れた布を取り替えてくれたり、準備してきた食事を少年の前に置いてくれたりしながらいつものように口は怒涛のように動かし続けている。
「それにしても許せないねえ! あんたはもうシンケルス様のお抱えになってるっていうのにさ」
「そりゃそれだけ綺麗なんだ。興味が湧くのもわかんなくはないけどさあ」
「それにしたって大の男が五人がかりでこんな子を、力ずくでさあ! 最低ってもんさね。ありゃ男のクズだね!」
「そうだそうだ、許せないよ!」
そうして怒りをぶちまけたあとは、みんな口々に少年を心配する言葉をかけてくれるのだった。
「いいかい、インセク。これからはもう本当に、シンケルス様から離れるんじゃないよ?」
「う、うん……」
「今回の奴らは、たまたまほかの用事で外から呼ばれて来ていた傭兵たちだったらしいけどね。さすがに王宮の中にいる者はおいそれとあんたに手出しなんてしないだろうけどさ」
「そうだったのか」
傭兵。なるほど、王宮の中ではあまり見かけない男どもだとは思ったがそういうことだったのか。
「がっつりとお仕置きが待ってるはずさ。王宮内でのもめごとはもともとご法度なんだからね」
「しかもこんな子を手籠めにしようだなんて! お妃さまがいらっしゃったら卒倒なさってるに違いないよ」
「……そうだな」
もちろん秘密裏に誰かを毒殺するなんていうもめごとは、当の黒幕によって体よく握りつぶされるわけだろうが。
少年としては今回の傭兵たちの裏に、だれか糸を引いていた者がいないことを願うばかりだ。もしもそうなら、相手はなかなか厄介な人物に違いないから。
ちなみに妃というのは、数年前に他界した皇妃だった女のことだ。細身で心の繊細なおとなしい女だった。話していてもちっとも面白みのない女なものだから、自分は適当に閨で相手をする以外はあまりかかわりも持たなかった。
やがて皇妃は身ごもった。スブドーラとはまた別筋の大貴族の娘だったが、妊娠がわかってしばらくしてから思わぬ事故に遭い、腹の子ともども帰らぬ人になった。確か階段のある場所で足を滑らせて転落したのだ。
以降、その女の顔が目の前にちらつく気がして、自分は皇妃を持たないできた。
そういえば愛妾たちや奴隷女たちの腹にも何度か子ができたことはあるが、みな皇妃のように何かの事故があって亡くなったり、死産だったり、生まれてすぐに赤子が病死したりするなどしてことごとく命を喪っている。
つまり自分には直系となる子がいない。
(もしかして……)
これまで考えてもみなかったが、これにも誰かの意図が関係していたのだろうか? その後自分にあてがわれる女の性奴隷たちは、身ごもることがまったくなかった。
ああした奴隷たちが避妊のために特別な薬を服用することはあるけれども、効果は完璧なものではない。薬を飲んでいても妊娠する奴隷はいる。
もしかすると最初から石女をあてがわれている……ということはないのだろうか──?
「可哀想に。そんなに痣になっちゃって」
「あ……ううん」
女に優しく手首をさすられて、さまよいでていた思考が現実に戻ってきた。
「大丈夫。もう大して痛くないんだ」
「顔だってえらく腫れてきてるじゃないか。口だって切れているし。こりゃ、あのシンケルス様が激怒なさるのも仕方がないさねえ」
「えっ?」
シンケルスが激怒? どういうことだ。
「あれっ。知らないのかい?」
女たちは驚いた顔で互いに目を見かわした。少年は胸がせきたてられるような衝動に囚われた。
「なに? なにがあったの。教えてよ」
「ええっと……。これ、言っていいのかねえ」
「うーん。でも、別に口止めはされてないし、いいんじゃないの?」
「ねえっ。いいから教えてったら!」
女の一人の衣の端をひっぱって促すと、女たちはやっと言った。
「ええとね……。シンケルス様、文官をぶん殴っておしまいになっちゃって」
「ええっ?」
「ほら、さっきドゥビウム様があんたを診察してた間にさ。シンケルス様、ちょっと外にお出になってたじゃない? その時さ」
「もうびっくりしちゃったよ。いつもは物静かなシンケルス様が、あんな怒った顔をなさるなんて!」
少年は目をまるくした。
「ほ……ほんとうなの」
「本当も本当さ! あたしゃこの目で一部始終を見てたんだから」
「ほら、知らないかい? 目が細くって、いつもへらへら笑ったみたいな顔の……ひょろっとした文官」
「あいつが、危ないとわかってる所にあんたをひとりで置いてきたんだろう? わざとじゃないにしたって、ひどいじゃないか」
「近くにあの傭兵たちがいるってわかってるのに、放っておいたなんてさ! 一緒に連れていけばよかったものをさ」
少年はさらに目を見開いた。
それって。それって、もしかして──。
「ほら、リュクスっていう髭殿んとこの下っ端のさ」
(なんだって……?)
それは本当か? だってあいつは、シンケルスの仲間だったのでは。
それをシンケルスが殴ったというのか? いったいどうして……?
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