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第三章 秘密
10 贄(にえ)
しおりを挟む「皇帝ちゃん」だと? バカにするにもほどがある。
少年の目がどんどん据わってくるのを面白そうに眺めながら、青年は相変わらずにこにこしている。
「まあそう怖い顔をしないで。せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか」
「余計なことはいい。さっさと用件を話せよ」
「おお、怖。そんなんじゃモテないよ~、きみ」
大きなお世話だ。
「話がないならもう行くぞ」
「ああ、待ってよ。せっかちだなあ」
青年は笑いながら少年の肩を掴んだ。ひょろっとした体つきのくせに、意外に力が強い。ちょっと動かしただけでは振りほどけず、肩に爪が食い込んだ。
「痛いっ。放せよ!」
「なら黙って聞いて」
青年は少年の耳に口を寄せた。
「スブドーラは今回の君と奴隷少年との心の入れ替わりには関与していないように思う。まだ確証はないけれど、黒幕は恐らく別のだれかだ」
「……それは誰だというんだ?」
「それがそんなに簡単にわかれば苦労しないの」
「ふん。無能め」
「言ってくれるねえ」
青年は軽く口角をひん曲げた。
「《島々の魔女たち》やら《魔人たち》と手を結ぶのは、人間にはなかなか難しい仕事なんだ。かれらは人間の財産や土地や地位にはほとんど関心を示さないから」
なるほど。それは聞いたことがある。
なにしろかれらは神々の末裔なのだ。人間が欲しがるもののほとんどを、神々は欲しない。だからこそ人間がこうして大手を振って大地を我がものにし、国を建てることができるのだと。
「だから、恐らく黒幕は彼ら魔人たちにとって重要ななにかを贖いにして契約をかわしたと予想される。今はそこらへんから探りを入れているところでね。ところがこれが、どうにも尻尾をつかめないのさ。黒幕はなかなか頭が切れるやつらしい」
「ふーん。重要な何かって、たとえばなんなんだ」
「そうだねえ──」
青年が細い目をまたすうっと細めた。ぱっと見るだけなら人好きのする笑顔に見えるのだが、よくよく見ていると薄気味が悪い感じもしてくる。とにかく何を考えているのかわからないのだ。この笑顔はきっと仮面にすぎない。
これがシンケルスの仲間だというのか。本当に?
少年はなんとなく本能的に男から一歩離れた。なのに男は、またついと少年の耳に口を近づけて囁いた。
「たとえば……絶世の美少年の生き血とか、心臓とかね」
「う……?」
「呪術を完成させるには、さまざまな珍しい呪物が必要でしょう? 彼らはそういうものにこそ大きな価値を見出すらしいからねえ。変な蒐集癖があるようなのも多いしさ」
なんだかぞくりと背筋が寒くなった。青年は意味ありげな目でじろじろと少年を頭からつま先まで観察した。
「そう。例えば、きみだ」
「わ、私……?」
「中身がいかに肥え太った醜い皇帝ちゃんだとしても、血や心臓は美少年のそれなわけだし。その銀色の綺麗な髪や紫色の瞳もとても魅力的だ」
「…………」
「『絶世の美女』やら『美少女』よりも、珍しさでいったら美々しい少年のほうが価値はずっと上だからね。もしかしたら、君もその『贄』のひとつに定められているのかもしれないよ」
「な、なんだって──」
何を言いだすんだ。とんでもない!
「だからこそ、あの時王女を身代わりにして君の命が救われるよう、様々な者が動いたのかもしれないし。シンケルスと皇帝がそう主張したとはいえ、あの時は妙に重臣どもが同意するのが早かったように思うしさ。なんか変だなあと思ってたんだ」
「そうなのか?」
「いつもなら、もっとすったもんだがあるはずなんだ。とはいえ、まあこれは長年スブドーラの側仕えをしてきた僕の勘でしかないことだけどさ」
そこで少年は、あらためて青年をまじまじと見た。年のころはシンケルスと同じぐらい。だがこの青年、そのほかのことはほとんどあの男と共通するものがないように見える。
「お前とシンケルスとは、いったいどういう関係なんだよ」
「あはっ。心配?」
「はあ? なにがだっ」
男は非常に軽い調子でけらけら笑った。
「心配しなくっても大丈夫だよ~。少なくともそっちの意味での関係は持ってないから。男に尻を貸す趣味はないしねー。僕、これでも女の子大好きだしい?」
「そっ、そそそっちって……! 違うわ! このバカ!」
「だぁから。大きな声を出さないでってば。真っ赤になっちゃって、可愛いなあ」
ぶにゅ、と唇を人差し指で押さえつけられ、少年はまた男を睨みつけた。
「やめんかっ! 貴様、無礼だぞ。わ、私はこっ、ここ──」
「あはっ。面白い。シンケルスの言ってた通りだ。やっぱりそこで言えなくなっちゃうんだねえ」
青年はさも面白そうに、しばらく少年が目を白黒させて喉を抑えているのを顎に手をあてて観察する様子だった。
「ふむ。やっぱりそれは《呪い》の類なんだろうなあ。君にあちこちで正体をばらされまくっちゃ困る輩がいるのは確かだね」
「う、ぐぐっ……」
「まあ、とにかくね。僕とシンケルスのことは信用していい。少なくとも今は利害が一致してるし。皇帝ちゃんはあいつの言うことをちゃんと聞いて、必要なときには協力してくれたら嬉しいかな。ああ、あと皇帝の坊やにもちゃんと協力してあげてね。あの子、ほんとうによく頑張っているから」
こいつもあの少年のことはべた褒めなのか。なんだかやるせない気持ちになる。
微妙な気持ちになったら、青年はふふっと見透かしたように笑った。
「おやおや。嫉妬してる顔も可愛いね」
「はあ? し、嫉妬なんてしてないわ!」
「でもさあ、皇帝ちゃん」
「だからっ。その呼び方やめろっ!」
憤慨してさらに声が高くなるのを、青年は笑いながら片手で制した。
「そんなことでいいの? きみ。シンケルスも僕も、きみにとってはかなりのイレギュラーなはずじゃない?」
「い、いれぎゅら……?」
どういう意味だかわからない。やっぱりこの男たちは謎だらけだ。
「彼が魅力的なのは認めるけどさあ。そんな簡単に好きになっちゃって大丈夫? ちょっと心配になっちゃうなあ、お兄さんは」
「す……?」
好きって。好きだって……?
自分の気持ちは、今会ったばかりのこんな奴にすら筒抜けなのか。
「ま、いいけどさ。嫌われているよりかは僕らにとって好都合だし?」
それはどういう意味だろう。
が、それ以上考えている暇はなかった。「時の塔」の鐘がひとつ鳴ったのだ。三の刻を告げる鐘だった。
その途端、青年はぱっと少年のそばから離れた。
「あー。残念だけどそろそろ時間切れだ。僕いくね」
「えっ。ちょっと──」
「また話そう。ちゃんと時間つくるから。じゃあね、皇帝ちゃん」
「ちょ、ちょっと待てよ……!」
「すぐにシンケルスの所へ行きなよ。物陰には気をつけて。じゃあね」
ひき止める暇もなかった。リュクスは顔に軽い笑みをのせ、シンケルスの青いマントを抱えたまま風のように去っていった。
「な……なんなんだようっ」
庭の片隅にぽつんと取り残されて、少年は握った両の拳をぷるぷる震わせ立ち尽くすばかりだった。
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