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第三章 秘密
9 リュクス
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「なんだ? お前は何者だっ……むぐう!」
思わず大声をあげかかったら、いきなり手で口を塞がれた。勢いあまって鼻まで抑え込まれて呼吸困難になる。
「ふがっ……ふがふが!」
「ああ、もう。お願いだから静かにして。ちゃんと説明するからさ。いい? 手、はなすよ?」
こくこくこく、と少年が首を縦にふると、ようやく手が離れていった。少年は胸をおさえて大きく息をつく。
「まあ、とりあえずマントは着替えようか。本当に裾を引きずってるから」
「あっ……」
見ればシンケルスの紺のマントが床をぞろぞろと掃除してしまっている。
謎の青年は少年からひょいとマントを取り上げてしまうと、かわりに上衣を着せかけてきた。
去っていったマントのぬくもりがなんとなく恋しい気がして、少年の胸はちくりと痛んだ。
(あいつ……どうしてあんなことを)
ちょっとくしゃみをしただけで、あんな大事みたいな顔をして。自分なんかを気に掛ける理由なんてないくせに。
(いや……そうか)
どうも忘れそうになるけれど、これはそもそもインセク少年の体なのだった。だとすればシンケルスは、皇帝たる自分を大事に思ったのではないのだろう。インセク少年の体そのものを心配したのだ。ただそれだけだ。
それ以外のなにがあるものか。
そこまで考えたらなんだかどんどん胸が痛くなってきた。本当にちくちくと痛いのだ。
「おやおや。どうしたんだい? 急に泣きそうな顔になっちゃって」
「うるさいっ! こっちを見るな」
くるりと背を向けたら、呆れたような声が降ってきた。
「はいはい。それなら見ないけどさあ」
少年はむくれた顔をぐるっと振り向かせて青年を睨みつけた。
「お前はなんだ。何者なんだ! シンケルスとどういう係わりが──」
「しーっ。こんな所で大きな声を出さないでよ。ちゃんと説明するって言ってるじゃない」
そうして青年は衛兵の目をかすめるようにしながら、少年を庭の奥の植え込みの陰へ連れていった。
◆
「はじめまして……ではないかな、正確には。これでお分かりだと思うけど、シンケルスの仲間の者さ」
青年は胸元からさきほどの緑のペンダントをちらりと見せてにっこり笑った。シンケルスのものは青玉(サファイア)のような濃紺だが、これは翠玉(エメラルド)のような明るい緑色だ。普段は服の中に隠しているらしく、今もまたすぐにそそくさと首もとに戻している。
「……それで? 私になんの用がある」
「えーっ。そりゃないでしょ? 『紹介したい奴がいる』ってあいつからも言われてたんじゃないの? きみ」
そういえばそんなことを言っていたような。
しかし普通はシンケルス自身が「こいつを紹介する」などと言って引き合わせるものではないのか。
疑りぶかい目のままの少年を見て、青年はへにゃっと苦笑した。
「いやだなあ。あれと僕とは決して仲良くして見せるわけにいかないんだって。立場ってものがあるでしょう? だからこういう形をとった。マントのことはひとつの合図みたいなものさ」
「ええ? どういうことだ」
「僕は宰相スブドーラのところにいる、補佐の文官のひとりなんだ。皇帝だったときの君にだって会ってるはずなんだけど?」
「えっ……」
びっくりして、お軽い雰囲気の青年の顔をまじまじと見返してしまう。
「君だってちょっとぐらいは見覚えがあるんじゃないの? 全然なかったらちょっと傷ついちゃうなあ、僕」
「……あ」
そういえば。
なんとなく見覚えがある、と思ったのはあながち間違いでもなかったらしい。とはいえ自分は、政務向きの話をしにくるスブドーラのことなど寝床から面倒くさげに追い返すことが多かった。その脇にいた文官の姿なんてろくに覚えていなくても仕方がない。
(それにしても、この声──)
よくよく聞いているとなんとなく覚えがあるような気がする。それも最近聞いた声だ。
「あっ」と思って少年は目をあげた。まじまじと目の前の青年を見つめる。
そうだ。この声は。
記憶にまちがいがなければ確かあの夜、シンケルスとひそひそと話をしていた少し高めの男の声なのではないか。
あのときの相手は、もしかしたらこの男なのだろうか?
「ようやく信用してくれたかな?」
まるで少年の頭の中を透かしてみていたかのような顔で、青年はまたふふっと笑った。
「僕の名はリュクス。さっきも言ったけど、宰相スブドーラのところで働いている下っ端さ。お察しのとおり、シンケルスとはわけありのお仲間でね。ということで今後ともよろしくね、皇帝ちゃん」
「……は?」
少年は一気に半眼になった。
思わず大声をあげかかったら、いきなり手で口を塞がれた。勢いあまって鼻まで抑え込まれて呼吸困難になる。
「ふがっ……ふがふが!」
「ああ、もう。お願いだから静かにして。ちゃんと説明するからさ。いい? 手、はなすよ?」
こくこくこく、と少年が首を縦にふると、ようやく手が離れていった。少年は胸をおさえて大きく息をつく。
「まあ、とりあえずマントは着替えようか。本当に裾を引きずってるから」
「あっ……」
見ればシンケルスの紺のマントが床をぞろぞろと掃除してしまっている。
謎の青年は少年からひょいとマントを取り上げてしまうと、かわりに上衣を着せかけてきた。
去っていったマントのぬくもりがなんとなく恋しい気がして、少年の胸はちくりと痛んだ。
(あいつ……どうしてあんなことを)
ちょっとくしゃみをしただけで、あんな大事みたいな顔をして。自分なんかを気に掛ける理由なんてないくせに。
(いや……そうか)
どうも忘れそうになるけれど、これはそもそもインセク少年の体なのだった。だとすればシンケルスは、皇帝たる自分を大事に思ったのではないのだろう。インセク少年の体そのものを心配したのだ。ただそれだけだ。
それ以外のなにがあるものか。
そこまで考えたらなんだかどんどん胸が痛くなってきた。本当にちくちくと痛いのだ。
「おやおや。どうしたんだい? 急に泣きそうな顔になっちゃって」
「うるさいっ! こっちを見るな」
くるりと背を向けたら、呆れたような声が降ってきた。
「はいはい。それなら見ないけどさあ」
少年はむくれた顔をぐるっと振り向かせて青年を睨みつけた。
「お前はなんだ。何者なんだ! シンケルスとどういう係わりが──」
「しーっ。こんな所で大きな声を出さないでよ。ちゃんと説明するって言ってるじゃない」
そうして青年は衛兵の目をかすめるようにしながら、少年を庭の奥の植え込みの陰へ連れていった。
◆
「はじめまして……ではないかな、正確には。これでお分かりだと思うけど、シンケルスの仲間の者さ」
青年は胸元からさきほどの緑のペンダントをちらりと見せてにっこり笑った。シンケルスのものは青玉(サファイア)のような濃紺だが、これは翠玉(エメラルド)のような明るい緑色だ。普段は服の中に隠しているらしく、今もまたすぐにそそくさと首もとに戻している。
「……それで? 私になんの用がある」
「えーっ。そりゃないでしょ? 『紹介したい奴がいる』ってあいつからも言われてたんじゃないの? きみ」
そういえばそんなことを言っていたような。
しかし普通はシンケルス自身が「こいつを紹介する」などと言って引き合わせるものではないのか。
疑りぶかい目のままの少年を見て、青年はへにゃっと苦笑した。
「いやだなあ。あれと僕とは決して仲良くして見せるわけにいかないんだって。立場ってものがあるでしょう? だからこういう形をとった。マントのことはひとつの合図みたいなものさ」
「ええ? どういうことだ」
「僕は宰相スブドーラのところにいる、補佐の文官のひとりなんだ。皇帝だったときの君にだって会ってるはずなんだけど?」
「えっ……」
びっくりして、お軽い雰囲気の青年の顔をまじまじと見返してしまう。
「君だってちょっとぐらいは見覚えがあるんじゃないの? 全然なかったらちょっと傷ついちゃうなあ、僕」
「……あ」
そういえば。
なんとなく見覚えがある、と思ったのはあながち間違いでもなかったらしい。とはいえ自分は、政務向きの話をしにくるスブドーラのことなど寝床から面倒くさげに追い返すことが多かった。その脇にいた文官の姿なんてろくに覚えていなくても仕方がない。
(それにしても、この声──)
よくよく聞いているとなんとなく覚えがあるような気がする。それも最近聞いた声だ。
「あっ」と思って少年は目をあげた。まじまじと目の前の青年を見つめる。
そうだ。この声は。
記憶にまちがいがなければ確かあの夜、シンケルスとひそひそと話をしていた少し高めの男の声なのではないか。
あのときの相手は、もしかしたらこの男なのだろうか?
「ようやく信用してくれたかな?」
まるで少年の頭の中を透かしてみていたかのような顔で、青年はまたふふっと笑った。
「僕の名はリュクス。さっきも言ったけど、宰相スブドーラのところで働いている下っ端さ。お察しのとおり、シンケルスとはわけありのお仲間でね。ということで今後ともよろしくね、皇帝ちゃん」
「……は?」
少年は一気に半眼になった。
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