16 / 144
第二章 呪詛
4 黒魔術
しおりを挟む
「明日、皇帝陛下への拝謁を許されたぞ」
その夜。
相変わらずの無表情づらで戻ってきたシンケルスは、開口一番こう言った。
一応「皇帝陛下」とは言うものの、要するに中身が奴隷の少年インセクである《皇帝》に会うという話だ。
少年は寝床に寝っ転がったまま、「そうか」と答えただけだった。
一日じゅう放っておかれて、なんだか胸の中がもやもやしている。きっと相当なふくれっ面だろう。
シンケルスはマントや近衛隊長としての装束を脱ぎながら変な顔をしてこちらを見た。
「お前もインセクとは話をしておきたいんじゃないのか」
「今はほかならぬお前自身の体の持ち主だぞ」と言外に匂わせている。
それはそうだ。当たり前だ。
勝手に世をはかなんだりして、下手に自害でもされたらこちらが困る。それに、未来に起こる暗殺の件もだ。できればうまく手を組んで、黒幕を暴く活動に関与してもらいたい。
このまま心がもとの体に戻れるかどうかはわからないが、それにしたって自分の体がむざむざと殺されるところなんて見たくない。インセク少年のほうだって、わけもわからず毒殺なんてされたくはないはずだ。
「で? いつ会うんだ」
「明日、朝一番の拝謁と決まった。そんなに待たされることはあるまい。以前の皇帝とは違うからな」
「ぐ……」
またもや息をするように皮肉を挟みこまれて閉口する。
確かに以前の自分は、わざわざ下々の者と会わねばならないあの仕事が非常に面倒できらいだった。みんな「陛下、お願いでございます」「どうか助けてくださいませ」と、自分にお願いごとばかりしてくる。
哀れっぽい庶民の親父のしみだらけの顔など見ているくらいなら、後宮で美々しい女や少年を愛でているほうがよほど楽しいではないか。それの何が悪いのか。
しかも、それで「わかったわかった、それでよい」などと自分が勝手にその願いを聞いてしまうと、あとで余計に面倒なことになる。大抵は宰相のスブドーラが決して許しはしないからだ。
『国家には財政というものがございます。貴族にも商人らにも、それぞれに領分、取り分というものがございまして』
とかなんとかと、また滔々とお説教が始まるに決まっている。それでも自分は皇帝ゆえ、「それでもどうしてもやれ」と命じれば黙って聞くほかないはずではある。道理で言えばそうなのだが。
皇帝の一族にとって親戚筋にあたる大貴族であり、本人が非常に優秀な政治能力を持つということもあって、父である前皇帝もあの男の言う事には一目も二目も置いて、日々丁重に扱っていた。ましてやその息子である自分には、否やをいう隙などありはしない。
皇帝だなどとは言っても、自分の思い通りになることなどほとんどない。政治がつまらないのは当然だろう。
だからといって、後宮での快楽に浸りきってなんの関心も示さないことが褒められたことでないのはわかっていたのだけれど。
「あの者、政務はどうしているのだ」
「御前会議そのほかにも、わからないなりにきちんと出席され、わからぬことは都度ご質問されて日々精進し、勉強なさっておられる。なかなか見上げた御仁だぞ」
シンケルスは表情筋のひとすじも動かさずに言った。
「かつての陛下を存じ上げる者どもはみな、瞠目を余儀なくされている様子。無理もない話だな」
「むうう……」
それはそれで、なにやら腹立たしいのはなぜだ。
「後宮の女たちや少年たちは? どうしている」
「このところ、夜伽のお呼びがまったくかからず不安になっているようだな。仕事がなくなればお役御免になるは必至ゆえ」
これまた男はしれっと答えた。少年はぱっと飛び起きた。
「そ、そんなことをしてはならぬぞっ!」
「俺の預かり知るところではない。お決めになるのは陛下と宰相閣下だ」
「な、なにいっ……」
思わず詰め寄ろうとしたら、上からまた非常に冷たい視線で睨みつけられて足がとまってしまった。ヘビに睨まれた蛙のような気持ちになる。
「実際、この宮にはだれ一人、ムダ飯を食らわせておく余裕などない。本来であれば皇帝づきの愛妾やら稚児どもやらも、あれほどの人数が必要なわけではなかった。だれかさんが愚かにも、『あれも、これも』と求めなければな」
「むぐぐうっ」
「国庫は民らの血税で成り立っている。左様に貴重な財源を、あたら皇帝のくだらぬ夜の秘め事ごときで費やされてはかなわんわ」
「きっ、貴様っ……!」
言うに事欠いて、なんということを。
これでも私は皇帝なのだぞ!
と叫びたいのは山々だったが、例によって少年の喉はまた絞られるように苦しくなった。
「こっ、こここ……」
「それなのだがな」
男は顔色も変えずに言った。
「自分の正体を明かそうとすると、口が利けなくなるのだろう? それで思い出したのだが、以前似たような話を耳にしたことがある」
「えっ……」
「この世界には、『魔法使い』だの『魔女』だのという存在がいるだろう。だれかがその者らに命じて皇帝に呪詛を掛けた疑いがある。今は俺の配下に命じて内々に調査しているところだ。まだなにもわからんが」
「じゅ、呪詛……?」
つまり、魔法の呪いか。
「今回の意識の交換もそうだ。誰かが意図的にお前とインセクの心を交換する術式を行った可能性が高い。生者の世界では本来は禁じられている、黒魔術と呼ばれるたぐいのものだ」
「ま、まさか……」
少年は呆然と、無表情のままの男の顔を見返した。
その夜。
相変わらずの無表情づらで戻ってきたシンケルスは、開口一番こう言った。
一応「皇帝陛下」とは言うものの、要するに中身が奴隷の少年インセクである《皇帝》に会うという話だ。
少年は寝床に寝っ転がったまま、「そうか」と答えただけだった。
一日じゅう放っておかれて、なんだか胸の中がもやもやしている。きっと相当なふくれっ面だろう。
シンケルスはマントや近衛隊長としての装束を脱ぎながら変な顔をしてこちらを見た。
「お前もインセクとは話をしておきたいんじゃないのか」
「今はほかならぬお前自身の体の持ち主だぞ」と言外に匂わせている。
それはそうだ。当たり前だ。
勝手に世をはかなんだりして、下手に自害でもされたらこちらが困る。それに、未来に起こる暗殺の件もだ。できればうまく手を組んで、黒幕を暴く活動に関与してもらいたい。
このまま心がもとの体に戻れるかどうかはわからないが、それにしたって自分の体がむざむざと殺されるところなんて見たくない。インセク少年のほうだって、わけもわからず毒殺なんてされたくはないはずだ。
「で? いつ会うんだ」
「明日、朝一番の拝謁と決まった。そんなに待たされることはあるまい。以前の皇帝とは違うからな」
「ぐ……」
またもや息をするように皮肉を挟みこまれて閉口する。
確かに以前の自分は、わざわざ下々の者と会わねばならないあの仕事が非常に面倒できらいだった。みんな「陛下、お願いでございます」「どうか助けてくださいませ」と、自分にお願いごとばかりしてくる。
哀れっぽい庶民の親父のしみだらけの顔など見ているくらいなら、後宮で美々しい女や少年を愛でているほうがよほど楽しいではないか。それの何が悪いのか。
しかも、それで「わかったわかった、それでよい」などと自分が勝手にその願いを聞いてしまうと、あとで余計に面倒なことになる。大抵は宰相のスブドーラが決して許しはしないからだ。
『国家には財政というものがございます。貴族にも商人らにも、それぞれに領分、取り分というものがございまして』
とかなんとかと、また滔々とお説教が始まるに決まっている。それでも自分は皇帝ゆえ、「それでもどうしてもやれ」と命じれば黙って聞くほかないはずではある。道理で言えばそうなのだが。
皇帝の一族にとって親戚筋にあたる大貴族であり、本人が非常に優秀な政治能力を持つということもあって、父である前皇帝もあの男の言う事には一目も二目も置いて、日々丁重に扱っていた。ましてやその息子である自分には、否やをいう隙などありはしない。
皇帝だなどとは言っても、自分の思い通りになることなどほとんどない。政治がつまらないのは当然だろう。
だからといって、後宮での快楽に浸りきってなんの関心も示さないことが褒められたことでないのはわかっていたのだけれど。
「あの者、政務はどうしているのだ」
「御前会議そのほかにも、わからないなりにきちんと出席され、わからぬことは都度ご質問されて日々精進し、勉強なさっておられる。なかなか見上げた御仁だぞ」
シンケルスは表情筋のひとすじも動かさずに言った。
「かつての陛下を存じ上げる者どもはみな、瞠目を余儀なくされている様子。無理もない話だな」
「むうう……」
それはそれで、なにやら腹立たしいのはなぜだ。
「後宮の女たちや少年たちは? どうしている」
「このところ、夜伽のお呼びがまったくかからず不安になっているようだな。仕事がなくなればお役御免になるは必至ゆえ」
これまた男はしれっと答えた。少年はぱっと飛び起きた。
「そ、そんなことをしてはならぬぞっ!」
「俺の預かり知るところではない。お決めになるのは陛下と宰相閣下だ」
「な、なにいっ……」
思わず詰め寄ろうとしたら、上からまた非常に冷たい視線で睨みつけられて足がとまってしまった。ヘビに睨まれた蛙のような気持ちになる。
「実際、この宮にはだれ一人、ムダ飯を食らわせておく余裕などない。本来であれば皇帝づきの愛妾やら稚児どもやらも、あれほどの人数が必要なわけではなかった。だれかさんが愚かにも、『あれも、これも』と求めなければな」
「むぐぐうっ」
「国庫は民らの血税で成り立っている。左様に貴重な財源を、あたら皇帝のくだらぬ夜の秘め事ごときで費やされてはかなわんわ」
「きっ、貴様っ……!」
言うに事欠いて、なんということを。
これでも私は皇帝なのだぞ!
と叫びたいのは山々だったが、例によって少年の喉はまた絞られるように苦しくなった。
「こっ、こここ……」
「それなのだがな」
男は顔色も変えずに言った。
「自分の正体を明かそうとすると、口が利けなくなるのだろう? それで思い出したのだが、以前似たような話を耳にしたことがある」
「えっ……」
「この世界には、『魔法使い』だの『魔女』だのという存在がいるだろう。だれかがその者らに命じて皇帝に呪詛を掛けた疑いがある。今は俺の配下に命じて内々に調査しているところだ。まだなにもわからんが」
「じゅ、呪詛……?」
つまり、魔法の呪いか。
「今回の意識の交換もそうだ。誰かが意図的にお前とインセクの心を交換する術式を行った可能性が高い。生者の世界では本来は禁じられている、黒魔術と呼ばれるたぐいのものだ」
「ま、まさか……」
少年は呆然と、無表情のままの男の顔を見返した。
0
お気に入りに追加
148
あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

法律では裁けない問題を解決します──vol.1 神様と目が合いません
ろくろくろく
BL
連れて来られたのはやくざの事務所。そこで「腎臓か角膜、どちらかを選べ」と迫られた俺。
VOL、1は人が人を好きになって行く過程です。
ハイテンポなコメディ
告白ごっこ
みなみ ゆうき
BL
ある事情から極力目立たず地味にひっそりと学園生活を送っていた瑠衣(るい)。
ある日偶然に自分をターゲットに告白という名の罰ゲームが行われることを知ってしまう。それを実行することになったのは学園の人気者で同級生の昴流(すばる)。
更に1ヶ月以内に昴流が瑠衣を口説き落とし好きだと言わせることが出来るかということを新しい賭けにしようとしている事に憤りを覚えた瑠衣は一計を案じ、自分の方から先に告白をし、その直後に全てを知っていると種明かしをすることで、早々に馬鹿げたゲームに決着をつけてやろうと考える。しかし、この告白が原因で事態は瑠衣の想定とは違った方向に動きだし……。
テンプレの罰ゲーム告白ものです。
表紙イラストは、かさしま様より描いていただきました!
ムーンライトノベルズでも同時公開。

悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる