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第二章 呪詛
1 くちづけ
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翌朝。
男は早朝から少年を叩き起こした。
昨夜のあれこれのためにろくに眠れず、それでもようやくとろとろと眠りかけたかどうかという頃合いだった。少年の頭はまだ霞がかかったようにぼんやりとしている。結局あのあと、少年は半泣きのまま自分で自分を慰めたのだ。
目を開けようと思うのに、まぶたがしっかりとくっついていてなかなか開けることができない。それでもどうにか薄目を開けてみると、外はすでに明るくなりかけているようだった。
「しっかり目を覚ませ。すぐに女官どもがやってくる。ちゃんと『演技』をしろよ」
「え、演技……?」
なんのことかと考える暇もなかった。部屋の外に人の気配がしたと思ったら、少年の体はぐいと男の腕のなかに引き込まれたのだ。
「ふぎゃっ」と叫びかかった口を、男の大きな手がぐいと塞ぐ。
「両腕を俺の首に回せ」
「う、うん」
おそるおそる言われた通りにしたら、そのまま前から抱きしめられた。顔が男の胸にぐっとくっつけられる。目の前で、あのペンギンのペンダントが揺れている。
(あ……)
少年の胸がまたとくとくとやかましくなり始めた。寝床の中で、はじめてそれらしい扱いを受けたからだろうか。優しい手に触れられていることが、どぎまぎするのにうきうきするのだ。
自分は、なんだかずっと変だ。
と、入り口の外から声がかかり、刺繍かざりのある仕切り布が開かれた。
数名の女官たちが衣服や手水用の盥などをもってしずしずと現れる。みな女の着る裾の長い衣姿だ。一般の兵士だったらこんな者たちはつかないが、さすがに近衛隊長ともなると待遇が違うのだろう。
女官たちのいちばん前にいるのは、やたらと姿勢のいい中年の女だった。
「おはようございます、シンケルス様」
「ああ、おはよう」
男はそしらぬ顔をして少年を抱きしめたまま、普段どおりの声で返事をした。
「ゆるりとお休みになれましたか。朝のお支度に参りました」
「ああ。手数をかける」
言って男はようやく上体を起こした。少年はどうしたらよいのかわからず、ただ男の首にしがみついたまま、まごまごしているだけだ。
男は少年の頭を引き寄せ、額に軽く唇をあてた。ちゅ、と微かな音がする。
(ひえっ!?)
少年はびっくりして固まった。
なんだ、いまされたことは。まさかくちづけ……? まさか!
男の手が少年の髪の中に指をさしいれ、さわさわと撫でる感触。それから、肩のあたりまである髪の端をゆるやかに玩ぶ。それもまた、ひどく優しい手つきだった。
目の前でうごめく男の指先を見ているだけで、少年の耳に血が集まってくる感覚があった。男はしまいに、その髪の先にもくちづけをおとしてから女官を見た。
「こやつのこともよろしく頼む。昨夜は少々無理をさせた。余計な仕事はさせぬように。今日はこの部屋でゆるりと休ませてやってくれ。外には出さぬようにな」
「承りましてございます」
「食事もしっかりさせてくれよ」
「はい、間違いなく。では閣下はこちらへ。お着替えのお手伝いをいたします」
「ああ」
男は少年を残したまま、するりと寝台から抜け出した。いままでそこにあったぬくもりが去っていって、少年は急に胸のなかにひゅうと風が吹いたような心地になった。
もうどこかへ行ってしまうのか。ひとりで置いていかれたら、いったいどうしたらいいというのか。
だって、言ったではないか。「事態がわかるまでは俺のそばを離れるな」と。
いや、頭ではわかっているのだ。彼は近衛隊の隊長だ。日がな一日こうして性奴隷の少年と寝床の中にいるわけにはいかない。
上掛けを胸のところまで引き上げておどおどしている少年のことを、男はもはや一顧だにしなかった。夜着である長衣を脱がされ、近衛隊長としての装束に着替えさせられながらも、ずっとこちらに背を向けたままである。
少年の不安はどんどん大きくなっていく。心細くてたまらない。なんだか泣き出してしまいそうな気持ちになってくる。
「朝餉はいかがいたしましょう」
「俺はいつもどおり、部下らととる。この者にはここで食べさせるがよい。くれぐれも外には出すな。特に、他の者の目のないところで男どもとの同席などは避けるように。例外はドゥビウムのみだ」
「承りましてございます」
年嵩の女が目だけで後ろの若い女に指示をすると、女は一礼して引き下がっていった。
最後にいつもの紺地の長いマントを肩に掛けると、男は一瞬だけこちらを見た。
明らかに「おとなしくしていろよ」とその目が言っている。少年はしかたなく、こてんと首を折ることで返事をした。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※衣であるキトン(キトーン)は、ここではイオニア式を採用しております。
男は早朝から少年を叩き起こした。
昨夜のあれこれのためにろくに眠れず、それでもようやくとろとろと眠りかけたかどうかという頃合いだった。少年の頭はまだ霞がかかったようにぼんやりとしている。結局あのあと、少年は半泣きのまま自分で自分を慰めたのだ。
目を開けようと思うのに、まぶたがしっかりとくっついていてなかなか開けることができない。それでもどうにか薄目を開けてみると、外はすでに明るくなりかけているようだった。
「しっかり目を覚ませ。すぐに女官どもがやってくる。ちゃんと『演技』をしろよ」
「え、演技……?」
なんのことかと考える暇もなかった。部屋の外に人の気配がしたと思ったら、少年の体はぐいと男の腕のなかに引き込まれたのだ。
「ふぎゃっ」と叫びかかった口を、男の大きな手がぐいと塞ぐ。
「両腕を俺の首に回せ」
「う、うん」
おそるおそる言われた通りにしたら、そのまま前から抱きしめられた。顔が男の胸にぐっとくっつけられる。目の前で、あのペンギンのペンダントが揺れている。
(あ……)
少年の胸がまたとくとくとやかましくなり始めた。寝床の中で、はじめてそれらしい扱いを受けたからだろうか。優しい手に触れられていることが、どぎまぎするのにうきうきするのだ。
自分は、なんだかずっと変だ。
と、入り口の外から声がかかり、刺繍かざりのある仕切り布が開かれた。
数名の女官たちが衣服や手水用の盥などをもってしずしずと現れる。みな女の着る裾の長い衣姿だ。一般の兵士だったらこんな者たちはつかないが、さすがに近衛隊長ともなると待遇が違うのだろう。
女官たちのいちばん前にいるのは、やたらと姿勢のいい中年の女だった。
「おはようございます、シンケルス様」
「ああ、おはよう」
男はそしらぬ顔をして少年を抱きしめたまま、普段どおりの声で返事をした。
「ゆるりとお休みになれましたか。朝のお支度に参りました」
「ああ。手数をかける」
言って男はようやく上体を起こした。少年はどうしたらよいのかわからず、ただ男の首にしがみついたまま、まごまごしているだけだ。
男は少年の頭を引き寄せ、額に軽く唇をあてた。ちゅ、と微かな音がする。
(ひえっ!?)
少年はびっくりして固まった。
なんだ、いまされたことは。まさかくちづけ……? まさか!
男の手が少年の髪の中に指をさしいれ、さわさわと撫でる感触。それから、肩のあたりまである髪の端をゆるやかに玩ぶ。それもまた、ひどく優しい手つきだった。
目の前でうごめく男の指先を見ているだけで、少年の耳に血が集まってくる感覚があった。男はしまいに、その髪の先にもくちづけをおとしてから女官を見た。
「こやつのこともよろしく頼む。昨夜は少々無理をさせた。余計な仕事はさせぬように。今日はこの部屋でゆるりと休ませてやってくれ。外には出さぬようにな」
「承りましてございます」
「食事もしっかりさせてくれよ」
「はい、間違いなく。では閣下はこちらへ。お着替えのお手伝いをいたします」
「ああ」
男は少年を残したまま、するりと寝台から抜け出した。いままでそこにあったぬくもりが去っていって、少年は急に胸のなかにひゅうと風が吹いたような心地になった。
もうどこかへ行ってしまうのか。ひとりで置いていかれたら、いったいどうしたらいいというのか。
だって、言ったではないか。「事態がわかるまでは俺のそばを離れるな」と。
いや、頭ではわかっているのだ。彼は近衛隊の隊長だ。日がな一日こうして性奴隷の少年と寝床の中にいるわけにはいかない。
上掛けを胸のところまで引き上げておどおどしている少年のことを、男はもはや一顧だにしなかった。夜着である長衣を脱がされ、近衛隊長としての装束に着替えさせられながらも、ずっとこちらに背を向けたままである。
少年の不安はどんどん大きくなっていく。心細くてたまらない。なんだか泣き出してしまいそうな気持ちになってくる。
「朝餉はいかがいたしましょう」
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「承りましてございます」
年嵩の女が目だけで後ろの若い女に指示をすると、女は一礼して引き下がっていった。
最後にいつもの紺地の長いマントを肩に掛けると、男は一瞬だけこちらを見た。
明らかに「おとなしくしていろよ」とその目が言っている。少年はしかたなく、こてんと首を折ることで返事をした。
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※衣であるキトン(キトーン)は、ここではイオニア式を採用しております。
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