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第一章 転生
2 皇帝ストゥルト
しおりを挟む少年たちから二十馬身ぶんほど離れた場所に貴族たちのための天幕が張られている。そこからさらに上の赤い絨毯の敷かれた場所に、皇帝が座るための玉座が据えられている。先に皇帝の近衛隊がその前に勢ぞろいして玉座に向かって頭を下げた。
その最前列にいる、長いマントを流した鎧姿の男に、自然に目が吸い寄せられた。
(シンケルス……)
現在この帝国で、皇帝の最側近ともいえる人物。皇帝付きの近衛隊隊長シンケルス。
文武にすぐれ、馬術、剣術、弓術のどれをとっても並び立つ者とていない。頭のほうも明敏なうえ、謙虚で清廉潔白な人柄でも知られていて、臣民らの人望も篤い。近衛隊隊長の着る銀色の鎧に紺のマントを流した姿は「威風堂々」という形容がそのままあてはまるようである。
今は兜を脱いで片手に持っているため、短めに刈りこんだ黒髪がここからでもよく見えた。雄々しく彫りの深い顔立ち。鋭い灰色の眼差しにはつねに叡智の光がやどると巷の人々はほめそやす。
実際、下々の者らの所にいって援助の手をさしのべたり、路上で生活する孤児の子どもらが暴漢らに襲われるのを救ったりといった話のたねの尽きぬ男だ。
実は自分が皇帝であったときには「あれやこれやといい人づらをしやがって。どうせ人気とりだろう、鬱陶しい」などと片腹痛く思わぬでもなかった。ゆえに基本的に関心はなかったのだが。
このたびの戦争では、またもや何か大きな武勲を上げたのであろうか。三十そこそこという年齢で、この短期間に下級兵士からそこまでの地位にのぼりつめた者は、百五十年に及ぶ帝国の歴史の中でも決して多くはないという。この近衛隊の隊長になったのも、先般の戦争時に敵の裏をかく素晴らしい策を献じたことが理由だったはずだ。
シンケルスは一度だけ鋭い瞳で奴隷たち一同をじろりと睨めつけるようにしたが、それ以外はいっさいの表情を殺した顔で、きりりと直立不動の姿勢をとった。その目の奥に、男の心情はいっさい読み取れない。この男、基本的にいつも無表情なのである。
そうこうするうち、遂に奥から侍従らをしたがえて、のしのしと巨体を揺らしながら宝石の塊が現れた。
(……なんだ? あれは)
そう、それはまさに宝石のかたまりに見えた。
額といい首といい指といい、つけられる場所にはありとあらゆる部位に宝石の輝きを纏っている。金糸と銀糸にいろどられた重厚な赤いマントと上質な上着もまた、陽の光にきらきらと輝いていた。
輝かしい衣装に埋もれるように、色のよくないぶくぶくと太った顔が見える。頭には黄金の冠を戴いており、たっぷりとした腹や太腿の肉を豪奢な布たちがどうにか包み込んでいた。
これらのことをちらりと目を走らせて認識しただけだったが、少年は愕然としていた。
(なんなのだ、あの無様な生き物は──)
いかにも大儀そうに上半身を右に左にと揺らしながら、この国の皇帝がのたのたと自分の玉座に近づいていく。
あれが自分か。
他人の目から見た自分は、あのように醜怪な容貌であったのか?
ただ太っているばかりではない。その目には聡明な光の欠片もなく、肌はぶつぶつと醜い吹き出物だらけである。遠目にも、ぎとぎとと脂ぎって見えるのは自分の視力のせいではあるまい。
隣に立つのがあの雄々しくも見栄えのするシンケルスであるだけに、その差が余計に歴然と人々の目に焼き付くようだ。なんという情けない姿であることか。
(いや。そんなはずはない……!)
乳母だって母だって、幼い頃から自分のことは「玉のように美しく、子猫のようにお可愛らしい」と言ってくれていたではないか。毎日、もう聞き飽きるほどに。
言い訳をするわけではないが、あのようにぶくぶくと太ってしまったのは、おいしい食べ物が毎日食べきれないほどふんだんにあって、残すのは惜しいと思ってしまったからでもあるし──
(それにしても)
いま、あの皇帝の頭の中にはいったいだれがいるのであろう。
自分自身がここにこうしているからには、あれには他の人間の心が宿っていると考えるのが自然ではないのだろうか。だとしたらいったいだれが?
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