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第三章 見知らぬ惑星(ほし)で
3 ドーナツ
しおりを挟む香ばしくて、とても美味そうな匂い。嗅いでいるだけで、口の中にどっとつばが溜まってきてしまう。
「え、あの……これって」
困惑していると、小さな少年はにかっと笑った。そうして、その丸いものを二つに割った。片方をぱくりと自分の口に入れ、頬を膨らませてもきゅもきゅと動かしながら、もう片方をこちらに突き出してくる。
「あの……いいの? 食べても」
少年が「うんうんうん」と言わんばかりに首を上下に振っている。そしてまた、太陽みたいな笑顔でにこっと笑った。本当に輝くようだ。それはいかにも元気で優しくて、表裏のない笑顔に見えた。
少年はありがたくそれを受け取り、恐るおそる口に入れてみた。
(うわっ……!)
「甘い……おいしいっ!」
なんだろう、これは。こんなおいしいもの、食べたことがない。「ほっぺたが落ちる」なんて言い方があるらしいけれど、まさにそんな感じだった。
もちろんあのドームの中でも甘いものがないわけではなかったけれど。でも、こんなのは初めてだった。
夢中になってあっというまに食べてしまってから目を上げたら、少年は「そうだろ、うまいだろ」と言わんばかりに腰に手をあててふんぞり返っている。日に焼けた頬がつやつや光り、灰色の目はにこにこ笑っていた。
「〇〇〇、フラン〇〇、〇〇〇」
「えっ……?」
突然その名前が聞こえて、少年はぴたりと動きを止めた。
「ちょっと待って。いま君、『フラン』って言った……?」
意味が全部わかっているとは思えないのだが、少年はまたこくこくと頷いた。それから自分の胸に手を当ててこう言った。
「〇〇、セディ。セ、ディ」
恐らく、彼の名前なのだろう。
「フラン〇〇、ヴォルフ〇〇、〇〇〇」
そう言って、今度はぐいとこちらの手首を掴み、引っ張りはじめる。どこかへ連れて行こうとするようだ。
「え、あの……どこに行くの? フランって、まさか──」
少年は戸惑いながらも、そのまま小さな少年セディに手をひかれ、田舎道を歩き始めた。
◆
セディと名乗ったその子に引っ張られるまま、少年はその村の中を通り過ぎた。行き会う人々が不思議そうにこちらを見るが、セディは意に介さぬふうで適当に挨拶などしながらどんどん歩いて行く。
人々の様子は、いかにも質素な感じがした。派手な衣服を着ている者はだれもいない。しかし、みな愛想がよく、にこやかにセディ少年に声を掛けている。
先ほどの小屋から五百ヤルド(約五百メートル)ほども歩いたところで、少年はやっと止まった。小屋のあった場所とは違うが、ここも村はずれにあたるようだ。
そこは、先ほどの小屋よりはいくぶんマシに見える家だった。基礎は石を組んで土で固めてあるようだ。その上に、赤褐色の煉瓦が積み上げられて壁になっている。近隣の住宅も、大体似たような感じに見えた。
セディは無造作にその扉を開くと、ぱっと中へ飛び込んでいった。少年は取り残されて、しばし呆然となる。家の中から、「フランパパ」と叫んでいる少年の声が聞こえてきた。
(フランパパ……)
次第しだいに、胸がどきどき言い始める。
まさかとは思うけれど、もしかしてここにあの人が住んでいるのだろうか……?
(……あ)
戻ってきたセディの後ろから慌てて出てきた人を見て、少年はかちんと固まった。
「あ……あなた、は」
蜂蜜色の柔らかそうな髪。優しげに目尻のたれた翡翠の瞳。
間違いなかった。
それは、あの男とともにあの画像に映りこんでいた人だった。
腕には、まだ生まれたばかりぐらいに見える小さな赤ん坊を抱えている。その赤ん坊もまた、金色の髪と翡翠の瞳を持っていた。
男の人は、そのきれいな目をこぼれそうなぐらいに見開いて、無言でじっと少年の顔を見つめている。少年と同じで、すっかり驚いて声も出なくなっているようだ。
やがて、とうとうこんな掠れた声が聞こえた。
「君……ア、アジュールの……?」
聞き間違いではなかった。その言語はまぎれもなく、少年と男が使っているのと同じものだった。
「フランパパ。〇〇〇、〇〇〇〇?」
隣でぱっと顔を明るくして、セディが何かを言いまくっている。「やっぱり知り合い?」とでも言っているのだろう。
少年はもう、必死で首を縦に振るしかできなかった。男の人の顔もセディの姿も、あっという間にぼうっとぼやけて見えなくなっていく。
「うあ……、ああ、ふわあああああっ……!」
両目と喉から、涙と嗚咽がいっぺんに噴き出してしまう。まるで赤ん坊みたいだと自分でも思った。でも、止めることができなかった。
と、優しくて大きな手が、さっと背中に回ってきて、そっと家の中に引き入れられるのを感じた。それでも泣き止むことはできなかった。
男の人は、抱いていた赤ん坊をセディに預けると、両手で一度、しっかりと少年を抱きしめてくれた。何度も何度も、その手が髪を撫でてくれる。
「ごめんね。ごめんね……」
男の人もひどく泣いていて、そんな言葉をずっと囁いている。
彼の手はとても温かかった。そして、柑橘系の果物が発するような、とてもいい匂いがしていた。
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