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第二章 惑星(ほし)にひとりで
3 抱擁
しおりを挟むそこからは、少年の作業は孤独なものではなくなった。
少年は《胎》のある部屋へ自分の寝具や机などを持ち込んで、そこで生活するようになった。「いつでもパパのそばにいたいから」というのがその理由だ。
少年はそこで日々の勉強をし、作業の内容について男に指示をあおいだり相談に乗ってもらったりした。食事もそこに持ってきて食べ、夜にはそこで眠る。
勉強は本来、あの「知育訓練室」で行うものだった。けれども、AIとつながっていて空中に開くことのできる小さな四角い画面を使えば、ここで行うことも不可能ではない。少年は毎日楽しく勉強し、その内容についてときどき男に質問したりもした。
それでようやく、二人には平穏な日々が戻ってきたかに思われた。が、男の回復にはまだまだ多くの時間が必要だった。
少年が観察していると、どうやら頭部と首、胸のあたりまで来たところで、両腕の再生を優先させているようだ。まずは骨が現れて、その周囲を筋肉組織や神経や血管にあたるものがうねうねと取り巻き、少しずつ長くなっていく。最終的にはそこに表皮が現れて産毛が見えるようになってきた。
(もうすぐ。もうすぐ……!)
少年はどきどきしていた。
実は彼には、男の両腕が完全に治療を終えたら、ずっとずっとやってみたいことがあったのだ。
男の手が少年のよく知る男らしく筋張ったものになり、太い指先に爪が現れたのを確認した日、少年は思わず「やった、やった!」と小躍りした。
男は手をゆっくりと開いてみたり閉じてみたりしながら、《胎》のまわりで踊りまわる少年を見て小さく苦笑していた。
と、少年は急に足を止めると、ぺたっと筒の表面にはりついて男を見上げた。
「ねえ……パパ」
《ん? なんだ》
「あの、お願いが……あるんだけど」
その頃にはもう、男の体は腹部あたりまで再生が済んでいた。そのため機械を通した奇妙な声ではなく、もとどおりの男の声がスピーカーから聞こえるようになっている。
少年は、《胎》の前でしばらくもじもじした。かあっと耳のあたりが熱くなる。
「あの、ぼく……そこへ行きたい。行っちゃだめ……? パパ」
《なんだって?》
「ちょっとだけなら《胎》の作動を停止させても大丈夫なんでしょう? だったらぼく、そこに行きたいっ……!」
少年はぎゅっと目をつぶって、必死に言い募る。
男はしばらく、驚いたように少年を見返していた。
《それは、まあ……構わんが。しかし、せいぜい三分というところだぞ》
男によれば、だれかがこの《胎》で治療を受けている間に他の者が入り込むのにはリスクがあるのだそうだ。あちこち欠損してしまった体を再構築しているわけなので、稼働中に他の有機物が入り込んだ場合、《胎》はそれをちょうどいい「材料」とみなし、羊水によって溶かしにかかってくるかもしれないのだという。
《だが、それ以上稼働を止めると、《胎》の負担が大きくなりすぎる。お前の身にも危険が及ぶだろうからな》
「うん。わかってる……!」
少年は男の了承を得て大喜びした。
そして期日を約束すると、いそいそと準備にとりかかった。
◆
それから数日の間をあけ、いよいよその日がやってきた。
少年は約束の時間のだいぶ前から《胎》の上部ハッチを開き、そのそばでどきどきしながら衣服を脱いで待っていた。この中に入るときには、できるだけ余計なものを持ち込まないことが原則なのだ。つまり、裸であることが基本である。
少年はもちろん、《胎》に入るのは初めてだった。目を閉じて、何度か大きな深呼吸をくり返す。実はこれを想定して、少年は少し前から森の泉で何度も泳ぎ、できるだけ素早く深く潜れるようにと練習を重ねていた。だが、それでもいざとなると緊張しないわけにはいかなかった。
そうこうするうち、やがてAIが宣言した。
《《胎》の機能停止を開始します。停止時間は三分です》
少年はぐっと顔をあげた。
《ブザーでお知らせは致しますが、時間までには必ずお戻りください。どうぞお気をつけて》
「うん。ありがとう」
言うなり、少年は足から素早く緑の液体の中に滑り込んだ。
顔までとぷりと浸かるとすぐに、羊水が鼻や口に入り込んでくる。
この中では、普段肺呼吸をしている者でも羊水によって酸素を供給してもらう必要がある。羊水が肺を満たすまで、最初は少しだけ苦しい時間があるが、慣れればどうということもない。呼吸ができるようになると、すぐに少年は泳ぎだした。
液体は、本物の水よりも粘度が高くて、ひどく重く感じられた。
両手両足でそれを力いっぱい、ぐんと押しのけて底を目指す。
ぼんやりと光る緑の幕の向こうに、大好きなあの人が両手を開いて待ってくれていた。
少年はまっすぐにその中へ飛び込んでいく。
待ちかねていたように、大きな腕が背中をしっかりと抱きしめてくれる。少年も無我夢中でその人の首にしがみついた。
(パパ、パパ、パパ……!)
少年の目から滲みだしたものが、羊水の中に溶けていく。
男の手が少年の髪を撫で、背中をさすり、頬を包み込んでくれる。
泣きながら目を開けると、目の前に男の顔があった。澄んだ湖みたいな瞳がまっすぐに自分の目を覗きこんでいる。
その顔が少しずつ近寄ってくるのを感じて、少年はごく自然に目を閉じた。
が、少年のあては少し外れた。
男の唇は少年の額に一度触れ、次に頬に軽く触れてきたのみだった。その後はただ、両腕で抱きしめられるだけだ。
少年のお腹の底が、なんともいえずもやもやと波立った。まるで水の中に葡萄の果汁でも混ぜ込んだように、じわじわと不快な気持ちがあふれだす。
そんなのでは足りない。全然足りない。
少年は、それでもしばらくは様子をうかがった。が、男がそれ以上何かを仕掛けてくる様子がないのを見て取って、遂に業を煮やした。
(もう……!)
時間はないのだ。
許されているのは、たった三分。ごちゃごちゃ言っている暇などない。
少年はとうとう、両手で男の顔をきゅっとはさみこんだ。
男の瞳が、驚いたようにこちらを見る。
(パパ……ちがうよ)
べつに、イヤだったわけじゃない。
あの時は、あまりにもすべてが突然すぎた。急に自分の知らない行為にまで及ばれそうになって、思わず腰が引けてしまっただけのこと。
あなたをイヤだなんて、思わない。
そんなこと思うわけがない。
それだけは、絶対にないから。
(──だから)
少年はきゅっと唇を噛みしめると、覚悟を決めた。
そうして目をつぶり、男のそこに自分の唇を押し当てた。が、すぐにぱっと離し、そっと目を開けて反応をうかがう。男は大きく目を瞠り、こちらを凝視していた。
少年は必死で口角を上げてみせた。けれど、すでにひどく泣いているせいで、それはちっともうまくいかなかった。頬がひきつって、作れたのはせいぜいが泣き笑いの顔だっただろう。それでも懸命に頬を引き上げつづけた。
蒼い氷のような男の瞳に、不思議な光がまたたいている。
やがて、後頭部に掛かった男の手に力がこもり、引き寄せられて、今度は男の方からもう一度、唇に触れられた。
少年の唇を柔らかい肉が割りひろげて、舌に絡まってくる。少年は男の愛撫を素直に受けた。男の首をしっかり抱きしめ、自分からそこに吸いついていく。
互いの唇を求め合い、何度も舌を絡めあう。
胸から上だけしかない男と少年は、緑の液体の中で抱きあったまま、ゆったりと回りつづけた。
(パパ……パパ)
わずか三分のその時間。
少年は泣きながら、ひたすらに男の愛撫を受けつづけた。
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