上 下
3 / 37
第一章 二人きりの惑星

2 距離

しおりを挟む

 それは、ある日の夕食時のことだった。
 「ちょっと聞いてくれ」と言われてカトラリーを持つ手を止めた少年は、男が淡々と言ったことをすぐには理解できなかった。

「えっ。パパ……?」
 耳に入った男の言葉を何度も頭の中で反芻してから、少年はやっとのことでかすれた声を絞りだした。
「どうして? どうして大きくなったら、パパといっしょに寝ちゃいけないの……?」
 そう言っているうちに、もう唇だけでなく、かたかたと体じゅうが震えだしている。喉のところがぎゅうっと締まって、余計に声が出なくなる。
「どうして、お風呂もいっしょじゃいけないの……?」

 少年は、男と眠る夜が大好きだった。ドームを囲んでいるあの豊かな森に入れば、冷たくてきれいな水がいっぱいの泉やら、お湯の湧き出る素敵な温泉などがある。男に連れられてそこに行くのも、変化の少ないこの惑星の生活の中で、少年にとっての大きな楽しみのひとつだった。
 だからその時はいつになく、必死になって食い下がった。もうスプーンなんてそこらに放り出して立ち上がり、男の服の裾にとりついて叫ぶ。

「やだ。ぼく、ぜったいにやだ。パパといっしょに寝る。いっしょにお風呂に入る。ひとりでなんて、ぜったいにやだ……!」

 男はそれまで見たこともないようなしかめっ面になり、しばらく黙って少年を見下ろしていた。多分、困っていたのだと思う。
 だから少年は、遂にいてしまったのだ。
「パパ……。ぼくのことがキライになったの?」と。
 言っている途中から、もうぶわっと目の中からあの熱いものが湧きだして、男の顔は見えなくなった。少年は、何を言っているか分からなくならないようにと、飛び出しそうになる嗚咽を堪えるだけで精一杯だ。
 ぐっと奥歯に力をこめると、かえって両目からはどうしようもなく、熱い雫がこぼれ落ちた。
「……バカなことを言うな」
 男の声は、いつもと違ってひどく弱々しく聞こえた。
「もともと、そういうものなんだ。むしろ、お前が赤ん坊の頃から、きちんとそうしておくべきだった」
 男の声にはその言葉通り、たくさんの後悔がにじんでいた。
「そんな──」
 少年は拳をにぎりしめた。
 ぐらぐらとお腹の底から、今まで感じたことのないものがせり上がってきた。

 言ってはいけない。
 ほんとうはこんなこと、言ってはいけない。わかっていた。
 わかっていたけれど、少年はどうしてもその言葉が止められなかった。
 だから、噛みしめた歯の間からそれを表に出してしまった。

「だったらぼく、大きくなんてならないよ」
「なに……?」

 男は目を見開いた。
 驚いた様子で、少年の表情を窺っている。
 少年の心臓が、今にも口から飛び出てしまいそうなほどばくばくとうるさかった。
 そして、一度堰を切ってしまった言葉は、あとは呆気ないぐらいにつるつると少年の口から流れ出てしまった。

「もうぜったい、大きくならない。ごはんを食べないと大きくなれないんでしょ? 前に、パパそう言ったよね。ぼくが『ソダチザカリ』だから、パパよりいろんなものを食べなきゃダメなんだって」
「いや、それは」
「だったら食べない! ぼく、もうごはんなんて食べないよ……!」
 少年は、男の言葉など構わずに大声で叫んだ。
「だったらいいでしょ? パパといっしょにいてもいいでしょ……?」
「フラン──」
 だから、と言って、少年はさらに男の服をぎゅっと握った。
「ぜったい、ぜったいに大きくなんかならないもん……!」

 次の瞬間。
 部屋に乾いた音が響き渡った。
 男の手が、自分の頬を張った音だった。そう気づいた時には、少年はもう吹っ飛ばされ、どすんと床に尻もちをついていた。少し遅れて、張られた頬がじいんと痺れる。

「あ……」

 思わずそこに手をやって、少年は体を硬直させた。何が起こったのか分からなかった。やがて、かたかたと全身が震え始める。
 男は呆然としたように、自分の手と少年とを見比べていた。まるで自分の手が、自分の意思とは関係なく勝手なことをしてしまったと言わんばかりに。

「あ……、うあ……」

 引きつった声帯が、歪み切った音を出した。
 そこからはもう、とても我慢などできなかった。

「うわあああっ、ああああああ……!」

 少年はただもうその場でへたりこんで、大声でわあわあ泣きわめいた。
 まるで、小さな赤子に戻ってしまったかのように。止めようと思うのに、どうしても声が止められなかった。
 男はしばらく困ったように、視線を床に落としていた。が、やがてついと立ち上がり、扉のあたりまで行って一度足を止めた。
 背中をこちらに向けたまま、小さく「すまん」という声が聞こえた。

「そういう決まりなんだ。……わかったな。フラン」

 結局、男はそれだけ言って、こちらを一度も見ないまま足早に出て行った。
 少年はもう、ただ泣いた。
 冷たい床にぺたりと座って、ただただひとりで泣き続けた。

 バカ。
 パパの大バカ、大きらい。

 もちろん、事実はその反対だった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

年上の恋人は優しい上司

木野葉ゆる
BL
小さな賃貸専門の不動産屋さんに勤める俺の恋人は、年上で優しい上司。 仕事のこととか、日常のこととか、デートのこととか、日記代わりに綴るSS連作。 基本は受け視点(一人称)です。 一日一花BL企画 参加作品も含まれています。 表紙は松下リサ様(@risa_m1012)に描いて頂きました!!ありがとうございます!!!! 完結済みにいたしました。 6月13日、同人誌を発売しました。

星のオーファン《外伝》~蜜月~

るなかふぇ
BL
拙作「星のオーファン」の後日談。 政務に忙殺されるアルファ(タカアキラ)は、臣下らの勧めでようやくベータとふたりきりの「蜜月(ハネムーン)」に出かけることに。 そこはあの惑星オッドアイだった。 もう単純に、二人でいちゃいちゃしてるだけかと思われます。 怒らない人だけ読んでくだされば(笑)。 ※無断転載は許可しておりません。 ※ムーンライトノベルズにも掲載しております。

早く惚れてよ、怖がりナツ

ぱんなこった。
BL
幼少期のトラウマのせいで男性が怖くて苦手な男子高校生1年の那月(なつ)16歳。女友達はいるものの、男子と上手く話す事すらできず、ずっと周りに煙たがられていた。 このままではダメだと、高校でこそ克服しようと思いつつも何度も玉砕してしまう。 そしてある日、そんな那月をからかってきた同級生達に襲われそうになった時、偶然3年生の彩世(いろせ)がやってくる。 一見、真面目で大人しそうな彩世は、那月を助けてくれて… 那月は初めて、男子…それも先輩とまともに言葉を交わす。 ツンデレ溺愛先輩×男が怖い年下後輩 《表紙はフリーイラスト@oekakimikasuke様のものをお借りしました》

いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜

きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員 Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。 そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。 初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。 甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。 第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。 ※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり) ※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り 初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。

23時のプール 2

貴船きよの
BL
あらすじ 『23時のプール』の続編。 高級マンションの最上階にあるプールでの、恋人同士になった市守和哉と蓮見涼介の甘い時間。

佐竹・鬼の霍乱

つづれ しういち
BL
拙作小説「白き鎧 黒き鎧」の後日談・外伝。ボーイズラブです。 冬のある日、珍しく熱を出して寝込んだ佐竹。放課後、それを見舞う内藤だったが。 佐竹の病気は、どうやら通常のものではなくて…?? 本編「白き鎧 黒き鎧」と、「秋暮れて」をご覧のかた向けです。 二人はすでにお付き合いを始めています。 ※小説家になろう、カクヨムにても同時更新しております。

相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~

柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】 人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。 その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。 完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。 ところがある日。 篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。 「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」 一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。 いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。 合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...