SAND PLANET《外伝》~忘れられた惑星(ほし)~

るなかふぇ

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第一章 二人きりの惑星

1 男と少年

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 ものごころがついた頃から、少年はその男とずっと二人きりだった。
 どうしてなのかは、よく知らない。
 男の横顔は美しかった。夜空に浮かぶ月みたいに透明な銀髪と、森の泉の水みたいな青い青い瞳。男は少年に、自分のことを「パパ」と呼ばせた。

 少し大きくなるまでは、少年はその広い森の中に、ぽつんとひとつだけ存在するあのドームの中で、男の手によって育てられた。
 とは言っても、ドームには小さな子供を育てるためのシステムが十分に整っている。食事の準備や衣類そのほかの洗濯、身の回りの清掃など、基本的なことについては、そのシステムがかなりの部分を負担してくれていた。
 だからと言って、男にとって子育ての苦労が皆無だったなどということは決してなかったようだけれども。

 男は少年を「フラン」と呼んだ。
 基本的に、彼は少年を甘やかしたりはしなかった。食事のマナーであるとか普段の言葉遣いだとか、立ち居振る舞いなどにも相当に口うるさい。さらに、こと「しっかり勉強しろ」という台詞に至っては、耳にタコができるほど聞かされてきた。

 食事といえば、ちょっと不思議なことはあった。
 男は基本、野菜や果物など植物由来の食品しか口にしない。それなのに、なぜか少年の食事トレーの上には肉や魚、乳製品といったものがさまざまに載せられていた。

 いつも「好き嫌いはするな」と口を酸っぱくして言うくせに。
 自分は嫌いなものは食べないんだ。
 パパはずるい。勝手すぎる。

 そのことに気付いて以降、少年はそんな風に思っていた。
 それで一度、とうとう訊いてみたことがある。もちろん叱られないように、丁寧な言葉を使って、そっと顔色をうかがいながらだ。それでもきっと怒るだろうし、気分を害してしまうだろうと思っていた。
 が、反応は意外なものだった。怒るかと思った男は、やや困ったように眉をひそめてこう言っただけだったのだ。

『そういうことじゃない。俺とお前は違うんだ。お前は育ちざかりなんだから』と。
『きちんと食べておかなくては、ちゃんと大きくなれないんだぞ』と。

 男は、なぜかひどく悲しそうに見えた。
 そしてそれはただ叱られるよりも、ずっと少年の胸にこたえた。
 だから少年は、それから一度もそのことを男に訊ねたことはない。

 少年はごく小さいうちから知育訓練室インテレクチュアル・トレーニング・ルームのプログラムを使って決まった時間に学習していた。簡単な文字を覚えるところから、まずは計算。動植物や地質に関する知識。そして、ここに至るまでの「人類」に関する歴史。
 学ばなければならないことは多岐にわたり、幼い少年にとってはなかなか大変な仕事だった。だが、それを少しでも怠けることは、男によって厳に禁じられていた。
 少年自身、勉強は嫌いではなかったし、たぶん不得意なほうでもなかった。自分の知らなかったことを知るのは純粋に面白かったし、なにより自分がどういう存在なのかを知るというのは、純粋に自分にとって重要なことだった。
 男は決して褒め上手ではなかったが、少年なりに何かで成果を出した時には賞賛を惜しむ様子はなかった。「よくやったな。さすがはフランだ」と言われ、頭をぐりぐり撫でられるとき、少年の心には羽が生え、ふわふわとそこいらを飛びまわった。

 ただ、ごく幼い頃にほんの少しさぼってしまったことはある。とはいえ本当に、ほんの小さな頃のことだ。
 ドームを囲んでいる森の中には、きれいで面白い虫や鳥、動物などが色々いる。少年はそうした生き物たちや、気温が上がったり下がったりするごとに色や形が変わっていく花や木の葉をじっと見るのが好きだった。昆虫が幼虫からさなぎになり、やがて羽根の生えた成虫になるところなど、日がな一日観察していても飽きなかった。
 そういう子供だったものだから、その日はやっぱり何かに夢中になってしまい、ついつい決められた学習時間のことを忘れてしまっただけのことだ。

 けれど、そんなときには男は決まって、少年が一日の中でもっとも楽しみにしているおやつの時間を彼から取り上げてしまうのだった。
 もちろん、少年は泣きわめいた。男の膝にとりすがり、必死で「許して」と「ごめんなさい」を言い続けた。が、男は頑としてそういう自分の教育方針を曲げなかった。「約束は約束だ」と言ったきり、ひとつも譲歩する様子はなかった。

『勉強は、別に俺のためにするんじゃない。すべて、お前のためにあるものだ』

 それが、そんなときの男の決まり文句だった。
 だから恐らく、躾は厳しい方だったろう。
 「恐らく」と言うのはつまり、少年もほかのだれかについて詳しいわけではないからだ。なにしろこの惑星には、少年と男のほかにはだれもいなかったのだから。

 少年はさほど反抗的でもなく、決してやんちゃな方ではなかった。けれど、それでもちょっと目に余る悪戯をしてしまった時などは、男から容赦なくお尻を叩かれた。
 間違っても、大の男の力でめいっぱいに叩かれたわけではない。あとでひどくお尻が腫れるなんてことはなかった。だけれども、男にぺしぺしと小さなお尻を叩かれると、少年は大抵、大泣きをした。そして必死で「ごめんなさい、もうしません」「パパ、ゆるして」と言い続けた。
 とは言え本気で反省していることが伝わりさえすれば、男もそれ以上しつこく少年を責め続けることはなかった。ほかのことでも同様で、基本的に、いつまでも自分の怒りをひきずって幼い少年に当たるなどということはまずなかった。
 男はしばしば、この惑星全体を管理するAIとともにドームや周囲の環境の整備の仕事をしていた。何かのことで不具合が生じ、仕事がうまくはかどらなくて苛立っているような場合でも、決して少年に理不尽な怒りをぶつけることはなかった。

 だから、少年は知っていた。
 どんなに男が自分に厳しくするとしても、それは決して自分を嫌っているからではないのだということを。
 むしろ、事実はその逆なのだということを。
 その証拠に、男は少年がなにか怖い夢でも見て彼のベッドにもぐりこんできても、決して邪険に追い払ったりはしなかった。むしろ優しく抱きしめて、大きな手で背中をさすってくれるのだった。

 本当は、ある程度大きくなってからは「自分の部屋でひとりで休むように」と言われていた。けれども、少年は特に怖い夢を見たわけでもない夜でも、上掛けの毛布をひきずって、ときどき男の部屋へ向かった。
 男はいつも「しょうがないな」と呆れたように言いながらも、最終的には少年を抱いて眠ってくれた。もっと小さかったころに、よくやってくれていたように。
 男とは違う色をした髪や、貧弱な背中をその大きな手で撫でられているだけで、少年はいつも、すとんと眠りに落ちるのだった。

 ほんとうは、一人でなんて寝たくなかった。
 男の腰のあたりまで背が伸びて、「もう大きくなったんだから、今夜からはひとりで寝ろ」と、さらに「今後は風呂も一緒には入らない」と言われた時も、少年はひどく泣いて、必死に抵抗したものだ。

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