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第二章 来訪者たち
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しおりを挟むそれからしばらく、アジュールはフランを抱かなかった。
いつも通りに起床して食事をし、いつも通りに普段の仕事をこなし、夜になれば各自の部屋で眠るだけ。
食事のときなどにフランが例の件について水を向けても、彼はほとんど話に付き合ってもくれなかった。ひどく嫌そうな顔になって鋭くこちらを睨みつけ、黙って席を立ってしまう。
彼がこの件で傷ついているのは間違いなかった。
(……でもさ)
フランはどこにも持っていきようのない不満を覚えて口を尖らせた。
この件では、きっと自分の方が傷ついているはずなのに。だってアジュールは、生まれてくる人間の赤ちゃんのことにはあまり興味がなさそうだった。むしろできるだけ長くフランとあの行為をして、二人きりでいたがっているようだったのに。
それなのに、いかにも「傷ついた」なんて顔をして自分と向き合うことから逃げるだなんて。それはなんだか、とても卑怯なことのような気がした。
ついでながら、この惑星に飛んできた宇宙船には自分たち以外の「アジュールとフラン」の卵も多数積み込まれている。それは今でも、一種の保険としてドームの奥底で保存されていた。つまり、最初のふたりが万が一「失敗」したとしても、すぐに次のふたりを生み出せばいいように設計されているわけだ。
しかしAIの説明によれば、残念ながらそれら残りの「アジュールとフラン」たちにも自分たちと同様の異常が見つかったのだという。
つまり、今後の展開は相当絶望的になったということだった。
◆
「まってよ! アジュール」
ある日、フランはやっぱり似たような経緯で席を立って出て行ってしまったアジュールを、遂に憤然と追いかけた。
今ではもう、お互い人間で言う十七、八歳ぐらいの体格にはなっている。声もすっかり低くなり、全身をしなやかな若い筋肉が包んでいた。単純に腕力のことだけを言うならば、アジュールとフランとは互角だった。
息を切らせて廊下の先で追いつき、その肩を後ろから掴むと、案の定、兄はぎろりとこちらを睨んできた。
「なんだよ。放せ」
「イヤだよ。放したら、また逃げちゃうんでしょ。アジュール」
「……別に、逃げてなんかいない」
「嘘つけ!」
いつもより強い口調で言い放ったら、アジュールはカッとしたように片手を上げた。ぶたれるかと思って一瞬目をつぶったが、予想された衝撃はいつまでたっても落ちてこなかった。この兄は、たまにこうやってフランをぶつことがあるのだが。
恐るおそる目を開けて、フランはじっと兄を見た。
「なんだよ。ぶたないの?」
「うるさい」
兄の声には、あきらかな苛立ちが滲んでいた。
「気持ちは分かるよ。僕だってとってもつらいもの。これからのこと、めちゃくちゃ楽しみにしてたんだもの……。でも、しょうがないでしょ? 別に、これは誰のせいでもないんだし」
そうだ。もはや「運がなかったんだ」と諦めるしかないではないか。
「そういうことじゃない」
唸るようにそう言って、アジュールはわずかに目をそらした。
「そういうことじゃないって、どういうこと?」
逃げられないように彼の服の裾を掴んだまま、フランは彼に詰めよった。
アジュールが口の中で舌打ちをする音がする。腕組みをし、なにもない壁をじっと睨みつけるようにしている。
「お前は、なんとも思わないのか」
「だからさ。僕だって嫌だったよ。僕らにもう……」
言いかけて、途中であふれそうになったものをぐっと堪えた。その分、フランの声は少し歪んだ。
「もう、赤ちゃんが生めない……なんて」
「だから! そういうことじゃない、と言ってるんだ」
突然アジュールが叫んで、驚いて口をつぐむ。
兄の目には、明らかな焦燥が見えた。
「お前、聞いてなかったのか。お前と俺とで子供ができない場合、AIは俺たちにどうしろと言った? ただ諦めて、この星で死んでいけとは言わなかっただろう」
「ん? ……ああ。そうだったね」
アジュールが目を見開いた。その瞳は明らかに驚いている。
「そうだったねって……お前、それでいいのか?」
「え? いや、別にいいとは言ってないけど」
そうだった。
実はあの時、AIは自分たちにとある別の「使命」について話したのだ。
つまり、この二人で人類を生み出せない場合。自分たちは、できるだけ「ほかの相手」を見つけてあの行為に準じることをしなくてはならない。
要するに、たとえ相手が人類からはかけ離れた生き物だったのだとしても、その遺伝情報を受け取って子供を生む。自分たちには、本物の人類にはなかったそうした機能が付与されているからだ。
そうしてしまえば、生まれてくるのは純粋な「人類」とは言えない生き物になってしまうかもしれない。だからこれは最後の手段だ。背に腹は替えられないから。
自分たちの使命は、たとえどんなことをしようとも、人類の命をつないでいくことなのだ。
もちろん、こんなのは天文学的な偶然が重ならなければそうそう起こる事態ではない。こんな惑星に、ある程度自分たちの相手として役立ちそうな生き物が落ちてくるのを延々と待つ。そんなのは、ほとんど夢物語みたいな話だった。
ただ、救いがひとつあるのだとすれば。
それは自分たちが、普通の人間よりはずっと寿命の長い生き物であることだった。自分たちなら、たとえ数百年ほどの時間だったとしても、ここでその「奇跡」を待つことができる。
もしできなければ、またそれは次の世代の「アジュールとフラン」にお願いするしかないだろう。そうして最後の「アジュールとフラン」がこの地を去るまで、最後まで希望を失わずにこの惑星で生きていくしかないのだ。
自分たちは、ただそのためにのみ生み出された存在なのだから。
「フラン。お前は、それでいいのか」
気が付くと、両肩をすごい力で掴みこまれて壁に押し付けられ、真正面から睨みつけられていた。
「俺以外の奴に抱かれて……それでもいいのか」
「…………」
なにも言えなかった。
いや、何が言えただろう。
(だってこれは……『使命』なんだよ)
自分がどう思っていようが。
アジュールがどう思おうが。
このことを抜きにして、自分たちの存在に意味はないのだ。
兄の目が、ぎらぎらと不穏な色を帯びて自分を睨みつけている。
それを悲しく見つめ返しながら、フランは小さくため息をこぼした。
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