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第五章 人と人狼と
4 ひこうき雲
しおりを挟む俺たちはそのまましばらく黙って歩き、やがて大きな流木をみつけて、並んで腰をおろした。
午後の太陽はまぶしくて、遠くの波がきらきらと白い光を跳ね返している。上空は風があるのか、もやっとした薄い雲が動いていくのが見ているだけでもわかった。それを突き抜けるようにして、ひこうき雲がすっぱりと空を切り裂いている。
「……で? どうしたい」
不意に凌牙がそう言って、俺はあいつの横顔を見た。
「ど……どうって」
凌牙の瞳は、相変わらず海を越えた遠い先のほうを見ているみたいに見えた。
「言われたんだろ? 『どうせ先に逝くんだから、凌牙を悲しませてくれるな』とか。『そうなる前に別れてくれ』とか、なんとかよ」
「…………」
「で、お前はどうしたいのよ」
「ど、どうも……こうも」
俺は膝の間の手をもじもじさせてうつむいた。
だって、急にそんなこと訊かれたって。
俺にはすぐにお前に返せる言葉なんて出てきやしない。
だって、ついこの間告白されて、俺も自分の気持ちがやっとわかって。
それで昨日、とうとうそういうことになって。
そうしたらいきなり、頭をブン殴られるみたいなことを言われてさ。
頭の中ぐちゃぐちゃなんだぞ。こんなんで何をどうやって考えりゃいいんだよ。
凌牙はふう、と大きく息をついた。
「言っとくが。俺は別れる気はねえかんな」
「え? 凌牙──」
「お前の意思は尊重する。何よりもだ。でも、俺から『そうしてくれ』とはぜってえ言わねえ」
「で……でも」
「あのなあ。舐めんなっつったろうが。こういう問題があるなんてこたあ分かってた。もう何年も前から、いや人狼と人間が地球上に生まれたときからだ。歴然たる事実なんだ、当前だろうが」
そう言えば、凌牙は俺が小学生のころから俺のことを知ってたって言ってたな。
じゃあもしかして、その頃からずうっと考えつづけてきたってこと?
目だけで訊いた俺の質問に、凌牙はにかっと頷いて応えてくれた。
「でなきゃ告白なんてしねえ。そもそも自分より命の短い奴の人生、めちゃくちゃにする権利なんざ誰にもねえしよ」
「りょ……」
「お前こそ、それでいいのか」
「え、それで……って」
「俺が相手で……本当にかまわねえ?」
一語一語、噛んで含めるような言い方だった。
俺は呆然と凌牙を見ていた。
「俺もお前もオスじゃねえか。お前がもともとストレートだっつうことは知ってんよ。初恋の相手だって、れっきとした女の子だったのも知ってるし」
「ええっ……」
「百歩譲ってもせいぜい『バイ』ってやつだろ、お前は。つまり両方いけるやつ。無理して男を相手にする必要なんざ、これっぽっちもねえはずだろうが」
びっくりした俺の顔を、凌牙はにやりと笑って見返した。
長めの前髪を手ぐしでぐいと後ろへ流す。そんな仕草さえ、男としての色気を放散している。
「だーから。そんじょそこらの年季の入りようじゃねえんだって。『あいつの人生にとって邪魔になるだけなんじゃねえか』『このまま黙って見守ってるだけにしたほうがいいんじゃねえか』──。そんなことなら、いままで山ほど考えてきた。マジで山ほどな」
「…………」
「でも、やっぱ我慢できなかった。ほかの、どっかの女とうまくいくお前を想像するだけで、もう叫び散らかしたくなったりしてよ。……あの頃は、側近のだれかれにえらい迷惑かけちまったわ」
「凌牙……」
きっと、っていうか多分、その中にはあの麗華さんも入っているんじゃないだろうか。みんなはかなり長い間、凌牙を説得しようとしたのに違いない。自分たちの時期リーダーと目されている男が人間の、しかも男なんかに惚れちまって、めちゃくちゃ困ったのに決まっている。
でも、凌牙はそれに応じなかった……たぶん。
「あれこれやって同じ高校にまで入って、部活も一緒にしてよ。お前と友達になれて、一緒に早弁したり、買い食いなんかしたりして。性格や好みなんかももっと細かく分かるようになってよ。でも、そうこうするうち、もしかしたら嫌いになるかもしんねえし、『別に恋人にまでなんなくてもいいか』って思えるかもしんねえ。実際、そう思ったこともあった。一時期はな」
凌牙はときどき腕を組みかえながら訥々と語っている。
「もういっそダチのまんまでもいいじゃねえかって……そう思ったりもしてたんだけどよ。結果そうはなんなかったわけだが。むしろ真逆だ」
「…………」
「知れば知るほど……どんどんお前を好きになった。離れるなんて無理になった。皮膚が、肉がはがれちまう。特にここのな」
凌牙は拳で軽く自分の胸をとんとんと叩いた。
聞いているうちに、俺の胸はどんどん痛みを増している。
もう、なんて言っていいのかもわかんねえ。
(そうか……)
こいつの気持ちって、そのぐらいのもんだったんだ。
俺、もっとずっと軽く考えすぎていたかも。
そりゃ凌牙のことだから、中途半端でいい加減な気持ちじゃねえことぐらいわかってた。いや、わかってるつもりだった。
でも事実は、俺が思っていたよりずっとずっと、重たいものだったんだ。まあこいつは、その「重くなる感じ」はいやだと思ってるんだろうけど。俺の負担にならないために。
「けどな、勇太。これだけは覚えておいてくれ」
「え……?」
「お前がどうしてもって言うなら……『頼むから別れてくれ』って本気で言うなら、俺は身を引く。お前に告白した最初の時から、そんくれえの覚悟はしてる。中にゃいるわな? 『誰かに盗られるぐらいならいっそ』とかなんとかいうヘタレ野郎が。俺はああいうのとは違えから」
「りょうが……」
「お前をどうにかしようなんて、間違ってもしやしねえ。それだけは約束する。そこだけはどうか信じてくれ。……頼む」
「そんな……そんなの。あったりまえだろ!」
凌牙が──俺の凌牙が、そんな愚かな真似をするもんかよ!
「お前が、幸せであればいい。それが最上で、最優先だ。どんな場合でもな。……それ以外のこたあ気にすんな」
「りょ、うが……」
「てめえが幸せになるためなら、ほかのこたあかなぐり捨てろ。お前の選択なら、俺はそれを優先する。なんだったら応援もする。それだけだからよ」
もうダメだった。
さっきからずっとずっと我慢してたもんが、とうとうぼろっと溢れ出た。
途端にぐしゃぐしゃっと頭を撫でられて、俺の帽子は飛んで行った。そのままぐいと抱き寄せられる。
「だっから! 泣くなっつーのよ、バーカ!」
凌牙の明るい笑声が俺を包む。
でも俺は正反対だった。あいつの胸に顔を埋めて、恥ずかしい泣き声が響き渡らないようにするだけで精一杯だったから。
(ごめんね……麗華さん)
俺、好きだ。
凌牙が好き。
もうダメだ。どうしようもない。
いつのまにか、こんなに好きになっちまってた。
もう友達になんて戻れねえ。戻りたくねえ。
いつかこいつを泣かせてしまうことになるってわかってても。
それでも離れたいとは思えない。
俺、凌牙といっしょにいるよ。
この命がいつか終わりを迎える日まで。
だから許して、麗華さん。
本当に本当に、ごめんなさい──。
凌牙が小さく「愛してる」と囁くのと、そっと唇をふさがれたのは同時だった。
俺はされるまま少し口を開いて、ただ黙って目を閉じた。
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