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第三章 報復
2 脅し
しおりを挟む「下がれ」
凌牙が軽く片手を上げると、男を取り囲んでいた人狼たちはサッと退いた。まるで蟻の子でも散るみたいだった。本当に素早い動きで、俺は一瞬、そこによく統制のとれた本物の狼たちがいるかのような錯覚に陥った。
凌牙は俺をそこに残したまま、一人でずいと男に近づいた。片手を腰にあてる。
「よお、おっさん。まともに面を見たのは初めてだな」
男はまだ先ほどの暴力と言葉による脅しから立ち直りきれておらず、細かく肩を震わせながらおずおずと凌牙を見上げた。その目がすぐに見ひらかれる。
「あっ。お、お前は──ひいッ!」
すぐにまた例の大男がこちらに迫ってくる素振りを見せたので、男はまた竦み上がった。が、大男は凌牙が片手をさっと上げただけでぴたりと動きを止めた。
「ま、あんたの方じゃ俺の顔を十分知ってるらしいがな。そりゃまあそうか。お前が散々ストーカーしてた奴のそばに、いつもくっついてたんだかんなあ」
男は歯をかちかち慣らして震えている。高熱で悪寒が出ている人みたいな感じだ。おずおずと凌牙を見返す顔に血の気はない。血走って濃い隈にいろどられた目ばかりが、ぎらぎらと光りながらせわしなく動き回る。
「ど、どうするんだ、俺を……。お前ら、こんなことをして──」
「さあな。どうして欲しい?」
凌牙がにっこり笑って腕組みをし、男を見下ろした。
もちろん、俺にはわかっていた。笑っているのは顔の皮だけのことであって、その目の奥には怒りが燃え立っているだろうということが。
「アイデアならいろいろあるんだぜ? なにしろ時間があったかんな。あんたひとりの痕跡をこの世からきれいさっぱり消すことぐらい、俺らには朝飯前だ。どっかの反社会勢力がやるよりも、よっぽどきれいに消してやれんぜ。あんなもん、俺らから見りゃあ杜撰の極みだかんなあ──」
うわ。マジかよ。
なんかもう、体じゅうに鳥肌が立ってるんですけど、俺。
だって怖すぎる。激ヤバなんてもんじゃねえよ。
今の凌牙のしゃべり方も声も、笑みさえ含んでとても優しい。でも俺は知っていた。
本当に機嫌がいいときの凌牙は、こんな猫なで声でしゃべったりしない。今のこれは、腹の底にあるぐらぐら煮たった溶岩をじっと抑え込んでいるだけだ。そんな感じがビンビンと伝わってくる。いつ爆発してもちっともおかしくない。本当にそんなしゃべり方だった。
最初のうち、男は凌牙の表皮だけを見て、ほんのわずか安心しかかったかに見えた。でも、すぐに俺と同じ判断に至ったらしい。全身の震えがどんどんひどくなり、体じゅうから冷たい汗を吹きだしている。汚らしいTシャツの襟のところにできた三角形の汗じみが、どんどん濃い色になって広がっていく。
「とりあえず、事実確認はしておくか。とはいえ、俺らにとっちゃあもう証拠は全部あがってるようなもんなんだが」
言って凌牙が、ずいとまた一歩男に近づいた。
男は「ひっ」と声にならない悲鳴を上げて逃げようとする。が、もちろんそれは無理な相談だ。男の尻の下にある椅子が、ぎぎっと不自然な音を立てるばかり。
「お前、ここんとこずっと勇太をストーカーしてやがったな。名前と住所が分かってからは、夜に家の近くを何度もうろついていやがった」
男は首がどこかに飛んでいきそうなぐらい、ブンブンと横にふりまくった。
「ち、違う! そんなことはしてないっ……です!」
俺からは見えていなかったが、恐らく途中で凌牙の目の殺気が強まったんだろうと思う。男が台詞の途中からいきなり「です・ます」をつけ始めたからだ。
「しまいにゃ壁に、こんな薄汚え落書きもやらかした。ほーら、見えるか?」
言って凌牙は自分のスマホの画面を男に見えるように突き出した。
「これを書き殴ったのはお前だな?」
「ちがっ……」
「おおっと。つまんねえ嘘はつくなよ。言ったはずだ。俺らにはすでに物証があるってよ。嘘をつけばつくほど、あんたの立場は悪くなるぜ」
男の顔が、青白い色からさらにひどくなって紫に変わり、今度は土気色になってきた。大丈夫か? なんかもう、今にも気絶しそうに見えるんだけど。
男は相変わらず必死に首を横に振り、今度は助けを求めるみたいに俺を食い入るように見つめてきた。
「おまっ……いや、あんた……君っ! 違うんだ。これは何かの誤解だ。誤解なんだあっ!」
必死になりすぎるあまり、両の目は飛び出そうになり、口から唾が飛び散っている。こっちまで飛んできそうな勢いだ。
飛び出た目から、だくだくと涙がこぼれ落ちている。涎と鼻水も一緒にだ。もう男の顔はぐちゃぐちゃになっていた。
これはひどい。俺は思わず視線をそらした。
「俺っ、ぼ、僕はなんにもしていないっ。で、電車で君の体に触ってしまったのは、あれは悪かった。悪かったと思ってる。本当だ! か、会社で色々ストレスがあって……借金も溜まってて。で、出来心だったんだ。本当に申し訳なかった。すみません! 申し訳ありません! どうか許してくださいいっ……!」
「うるせえんだよ」
ゴッ、と鈍い音がした。男が「ぐえっ」と蛙が潰されたみたいな声をあげる。
見れば凌牙の片足が、男のすぐ脇の壁を蹴りつけていた。いわゆる「足ドン」っていうやつだ。まあこの場合、全然それっぽい色気はないけど。
普通の足ドンと違うのは、そこに一発で、でっかい穴があいちまっていることだった。
「ひいいっ……」
「いま話をしてんのは俺だ。勇太に命乞いなんかしやがったら貴様、その時点で舌を引っこ抜くぞ」
「うぐっ……」
「それとも手か? 手の方がいいか。俺の勇太のケツを撫でまわしやがった、クソみてえな手だもんな?」
言って凌牙がひょいと手を伸ばすと、そこに麗華さんが完全な無表情で、とすっと大きな斧を握らせた。多分、薪を割ったりするためのやつだ。本来は。
「そんなおいたをやらかすイケナイ手なんざ、もう要らねえよなあ? これから一生。だろ? なあ」
「ひえあああっ!?」
なにが起こるかを予感して、男が椅子ごと跳びあがった。
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