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第二章 事件
5 人狼の寿命
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「見つかったぜ。例の野郎が」
その日の昼休み。いつもの屋上。
凌牙はあっさりそう言って、にやりと俺を見た。
「えっ。ほんとかよ!」
「たりめーだっつの。本気を出した俺らの鼻にかかりゃあ、こんなのは一瞬だぜ」
「で? どんな奴だったの」
持ってきていたパンの山にのばしかかっていた手が止まる。今まさに最高潮に達していた食欲が、急になくなった気がした。
「思ったとおり、普通のリーマン。ただし『もと』がつく」
「もと?」
「最近、自主退職してるみてえだな。どうやらお前のことが原因らしいぜ」
「そ、そうなの……?」
凌牙の話はこうだった。
男はあの路線の駅ちかくの商社に勤めるサラリーマン。ただしいまは過去形だ。
三十八歳、未婚で実家暮らし。やたらとできのいい弟がいて、そっちはバリバリのビジネスマン。
先日の痴漢事件のとき、男はすぐに俺に駅のホームに引きずり出され、ぶん殴られた。だけど運の悪いことに、その現場を何人かの同僚に見られていたらしい。
噂はあっという間に社内に広まった。
『あいつ電車でDKに痴漢したらしいぜ』
『えっマジで? きもっ!』
『ホモなんだってよ』
『相手のDKにすぐに反撃されて、ぼこぼこにされたらしいけど』
『うわ俺どうしよ。今度ふたりで泊まりの出張決まってんのに』
『おーおー、せいぜいケツに気をつけろよ』
つまりこういう、悪意に満ちた噂の嵐が社内を吹き荒れたというわけだ。なんか想像するだにぞっとする。同情する気にはなんねえけどな、さすがに。
男はもともと会社でも目立たない存在で、不器用で暗くてコミュニケーションにも問題があり、仕事のできない奴だったらしい。もちろん彼女も彼氏もいない。
「なんだよ。じゃあ俺は要するに、そいつの仕事上の欲求不満のはけ口にされたってことか」
「痴漢野郎なんて、大体そんなもんだろ。性的に満足するとかなんとかよりも、何より相手を屈服させて憂さ晴らしがしてえだけなんだよ。ま、今回は速攻で返り討ちにされちまったわけで、相手を間違えたってとこだがな」
「はあ……」
思わず溜め息がでた。
これが俺だったから返り討ちにもできたわけだけど、気の弱い女の子だったらどうなっていただろう。怖くて固まっちまって、何もできなかったかもしれない。報復がまず怖くて、声も出せないでいるだろうし。そもそも、そういうおとなしそうな子を狙うらしいしな。
痴漢なんかする奴らってのは、それにつけこんで「本人も喜んでた。だから犯罪じゃない」なんて都合よく解釈しやがるわけだ。SNSなんかでもたまに見るもんな、そういうキモいことを言う卑怯なやつ。
だれが面識もない野郎にいきなり体をさわられて「気持ちよく」なんかなるもんかよ。ま、そういう性癖の人はいるのかもしんねーけども。そういうのはごくごく一部にすぎねえんだし。
俺が脳内であれこれ考えているうちにも、凌牙は話をつづけている。
「で、まあ噂が広がりすぎて会社には居づらくなった。上司からも同僚からも白い目でみられる毎日じゃあ、当然だわな。で、最近辞表を提出して退職。その後は就職活動もせず、ずっと家に引きこもっていやがったらしい」
「で、俺の住所や名前なんかを調べてやがったと?」
「そういうこったな。それやこれや全部まるっと、お前のせいだと思い込んでいやがるはずだ。身勝手なもんよ」
凌牙はちょっと言葉を切った。
俺の表情を窺うような目をして、じっとこっちを見る。
「んで? お前はどうしたい」
「え? どうしたいって」
「だからよ。報復すんなら手を貸すぜ? お前だって最初の痴漢からストーカーに家への迷惑行為もろもろ、山ほどいやな思いをしてきたわけだし。今回は親まで巻き込まれてよ」
「まあ……うん」
「言っとくが、警察はアテになんねえぜ。仲間によれば、まだ野郎の背格好も確定させられねえでいる。防犯カメラの映像がチャチすぎるみてえでな」
「そーなのか。って、なんでそんなことまで知ってんの?」
「そんなもん」と言いながら、凌牙が「くひっ」と喉奥で笑った。「内部に仲間がいるからに決まってんべ?」
「そーなんかよ!」
「そーなんスよ。まっ、ここだけの話にしといてくれや」
凌牙、軽く片目をつぶる。
こういうキザなことをやってもちっとも嫌味になんないのが、凌牙のすごいところだよな。
「ま、俺らはお前らよりずっと年をとるのが遅いからな。ちょいと所属しておいて姿をくらます、なんてことはよくやってる。人間の権力中枢に潜り込んで、情報収集しとくに越したこたぁねえし。どこの人外でもやってんぜ」
「は~、そーなの」
「そーだぜ。って、何回やるんだこのやり取り」
「あ。ごめん」
「ただ、俺らはお前ら人間よりずーっと寿命が長いかんな。あんまり同じところに長くはとどまれねえ。俺のジジイなんて、すでに千年単位で生きてやがるわ。まさに時代の生き証人てやつよ」
「えええっ! マジかよ」
いや、ちょっと待て。
じゃあ凌牙は? お前は本当はいくつなんだよ。
「気になるか」
にやりと凌牙の口角があがって、俺は自分の内面が全部読まれていることを知った。
「ん~。正直、うん」
ちょっと癪に障るけどしょうがない。
凌牙は俺の肩をぐいと抱き寄せ、耳に口を寄せた。途端、なんかぞくんと腹の下のほうに刺激が走る。
「三百年とちょっとだ」
「えっ!」
「人間で言やあ、ちょうど十代半ばぐらいよ」
うっわ。マジかよ。
三百年前ってなに時代だっけ? 江戸時代?
「そういう顔するってわかってたから、あんま言いたくなかったんだよ。気にすんな。精神年齢はたいしてお前と違わねえって。おっさん扱いしたらはっ倒す」
「いや。そんなわけねーだろ……」
俺、思わず頭を抱える。
十七年しか生きてねえ奴と、「三百年選手」が同じでいいわけあるか。
「で? 痴漢野郎はどーすんの」
凌牙がもう一度同じ質問をして、俺はもう一度頭を抱えた。
その日の昼休み。いつもの屋上。
凌牙はあっさりそう言って、にやりと俺を見た。
「えっ。ほんとかよ!」
「たりめーだっつの。本気を出した俺らの鼻にかかりゃあ、こんなのは一瞬だぜ」
「で? どんな奴だったの」
持ってきていたパンの山にのばしかかっていた手が止まる。今まさに最高潮に達していた食欲が、急になくなった気がした。
「思ったとおり、普通のリーマン。ただし『もと』がつく」
「もと?」
「最近、自主退職してるみてえだな。どうやらお前のことが原因らしいぜ」
「そ、そうなの……?」
凌牙の話はこうだった。
男はあの路線の駅ちかくの商社に勤めるサラリーマン。ただしいまは過去形だ。
三十八歳、未婚で実家暮らし。やたらとできのいい弟がいて、そっちはバリバリのビジネスマン。
先日の痴漢事件のとき、男はすぐに俺に駅のホームに引きずり出され、ぶん殴られた。だけど運の悪いことに、その現場を何人かの同僚に見られていたらしい。
噂はあっという間に社内に広まった。
『あいつ電車でDKに痴漢したらしいぜ』
『えっマジで? きもっ!』
『ホモなんだってよ』
『相手のDKにすぐに反撃されて、ぼこぼこにされたらしいけど』
『うわ俺どうしよ。今度ふたりで泊まりの出張決まってんのに』
『おーおー、せいぜいケツに気をつけろよ』
つまりこういう、悪意に満ちた噂の嵐が社内を吹き荒れたというわけだ。なんか想像するだにぞっとする。同情する気にはなんねえけどな、さすがに。
男はもともと会社でも目立たない存在で、不器用で暗くてコミュニケーションにも問題があり、仕事のできない奴だったらしい。もちろん彼女も彼氏もいない。
「なんだよ。じゃあ俺は要するに、そいつの仕事上の欲求不満のはけ口にされたってことか」
「痴漢野郎なんて、大体そんなもんだろ。性的に満足するとかなんとかよりも、何より相手を屈服させて憂さ晴らしがしてえだけなんだよ。ま、今回は速攻で返り討ちにされちまったわけで、相手を間違えたってとこだがな」
「はあ……」
思わず溜め息がでた。
これが俺だったから返り討ちにもできたわけだけど、気の弱い女の子だったらどうなっていただろう。怖くて固まっちまって、何もできなかったかもしれない。報復がまず怖くて、声も出せないでいるだろうし。そもそも、そういうおとなしそうな子を狙うらしいしな。
痴漢なんかする奴らってのは、それにつけこんで「本人も喜んでた。だから犯罪じゃない」なんて都合よく解釈しやがるわけだ。SNSなんかでもたまに見るもんな、そういうキモいことを言う卑怯なやつ。
だれが面識もない野郎にいきなり体をさわられて「気持ちよく」なんかなるもんかよ。ま、そういう性癖の人はいるのかもしんねーけども。そういうのはごくごく一部にすぎねえんだし。
俺が脳内であれこれ考えているうちにも、凌牙は話をつづけている。
「で、まあ噂が広がりすぎて会社には居づらくなった。上司からも同僚からも白い目でみられる毎日じゃあ、当然だわな。で、最近辞表を提出して退職。その後は就職活動もせず、ずっと家に引きこもっていやがったらしい」
「で、俺の住所や名前なんかを調べてやがったと?」
「そういうこったな。それやこれや全部まるっと、お前のせいだと思い込んでいやがるはずだ。身勝手なもんよ」
凌牙はちょっと言葉を切った。
俺の表情を窺うような目をして、じっとこっちを見る。
「んで? お前はどうしたい」
「え? どうしたいって」
「だからよ。報復すんなら手を貸すぜ? お前だって最初の痴漢からストーカーに家への迷惑行為もろもろ、山ほどいやな思いをしてきたわけだし。今回は親まで巻き込まれてよ」
「まあ……うん」
「言っとくが、警察はアテになんねえぜ。仲間によれば、まだ野郎の背格好も確定させられねえでいる。防犯カメラの映像がチャチすぎるみてえでな」
「そーなのか。って、なんでそんなことまで知ってんの?」
「そんなもん」と言いながら、凌牙が「くひっ」と喉奥で笑った。「内部に仲間がいるからに決まってんべ?」
「そーなんかよ!」
「そーなんスよ。まっ、ここだけの話にしといてくれや」
凌牙、軽く片目をつぶる。
こういうキザなことをやってもちっとも嫌味になんないのが、凌牙のすごいところだよな。
「ま、俺らはお前らよりずっと年をとるのが遅いからな。ちょいと所属しておいて姿をくらます、なんてことはよくやってる。人間の権力中枢に潜り込んで、情報収集しとくに越したこたぁねえし。どこの人外でもやってんぜ」
「は~、そーなの」
「そーだぜ。って、何回やるんだこのやり取り」
「あ。ごめん」
「ただ、俺らはお前ら人間よりずーっと寿命が長いかんな。あんまり同じところに長くはとどまれねえ。俺のジジイなんて、すでに千年単位で生きてやがるわ。まさに時代の生き証人てやつよ」
「えええっ! マジかよ」
いや、ちょっと待て。
じゃあ凌牙は? お前は本当はいくつなんだよ。
「気になるか」
にやりと凌牙の口角があがって、俺は自分の内面が全部読まれていることを知った。
「ん~。正直、うん」
ちょっと癪に障るけどしょうがない。
凌牙は俺の肩をぐいと抱き寄せ、耳に口を寄せた。途端、なんかぞくんと腹の下のほうに刺激が走る。
「三百年とちょっとだ」
「えっ!」
「人間で言やあ、ちょうど十代半ばぐらいよ」
うっわ。マジかよ。
三百年前ってなに時代だっけ? 江戸時代?
「そういう顔するってわかってたから、あんま言いたくなかったんだよ。気にすんな。精神年齢はたいしてお前と違わねえって。おっさん扱いしたらはっ倒す」
「いや。そんなわけねーだろ……」
俺、思わず頭を抱える。
十七年しか生きてねえ奴と、「三百年選手」が同じでいいわけあるか。
「で? 痴漢野郎はどーすんの」
凌牙がもう一度同じ質問をして、俺はもう一度頭を抱えた。
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