8 / 32
第二章 事件
2 警戒
しおりを挟む「いやその。実はさ……」
しょうがないので、正直に全部話した。まあ、隠す意味はねえもんな。
もちろん他の奴に聞かれるわけにはいかねえから、場所は選んだ。いつもの人のいない学校の屋上だ。「いますぐ話せ」ってかなりしつこく言われたけど、朝練まで時間もなかったんで、昼休みまで待ってもらった。
授業中、俺の背中には穴があくんじゃねえかって思うほど、ずっと凌牙の視線がぶっ刺さってきていた。
屋上で昨日の話を聞いているうちに、凌牙の目には見間違いようのない殺気がどんどん溜まっていくのがわかった。
「あの……えっと。まあ落ち着けって、凌牙」
「これが落ち着いてられっかっつの」
グルルル、と狼の唸り声みたいな声で言う。本当に狼が唸ってるみたいだ。いや、だから俺を睨むなっての。剝きだした犬歯もかなり怖いぞ。
「前にも似たようなことがあったよな? こうなる前に」
「あ、うん」
ちょっと前、ひとりで登校したときに電車内で痴漢にあったことを、俺は前に凌牙に話していた。ふん捕まえてブン殴って、そいつがほうほうの体で逃げてったことも。
凌牙は腕組みをし、片手を顎にあてた。
「そうか。もしかしたら同じ奴かもしんねえな」
「えっ。そうなの?」
「いや、これだけじゃわかんねえが。変な逆恨みを買ってる可能性もなきにしもあらずだろ。こういうこともあるかと思って、ここんとこ俺がずっと一緒にいたんじゃねえかよ。そーゆー奴の思考回路はねじ曲がってんのが普通だしよ」
「あー。そういうこと」
そっか。それでこいつ、ずっと登下校のとき、俺と一緒に行動してたんだな。うるさいぐらいに。
「ってお前は。暢気だな!」
片眉を上げて呆れた顔をされたけど、なんか納得いかねえぞ。
「えー。だって俺、別にか弱い女子とかじゃねえし。そりゃキモいけど、見つけりゃまたブン殴って撃退できるしさ。もう顔だって覚えてるし」
そうだ。いっぺん殴ったぐらいなんだから、もちろん顔は覚えてる。とはいえ、印象の薄い男だった。くたびれたスーツ姿の、中年リーマン。どこにでもいるような、冴えない男だったと思う。
「……お前な」
凌牙の目がますます怖くなっていく。
「次も痴漢ごときで済めばいいが、そうとは限んねえだろが」
「え? どういうこったよ」
「逆恨みしてくる奴ってえのは、行動がエスカレートしがちなんだよ。実際、今回は段階が一気に上がってるじゃねえか」
「あー、そりゃそうか」
「一回殴ったって言ったよな。同一人物だった場合、なんかお前に変な恨みを持ってる可能性大だぞ」
「って。迷惑行為をやらかしてんのはあっちだろ? 恨むっておかしくね?」
「ああいう手合いの思考回路は偏りまくってんだって。勝手に被害妄想に陥って、それをどんどんふくらませる。自分がうまくいかねえのは全部周りのせい、相手のせいってことにする。そんなもんだ。お前を特定のターゲットにした時点で、危険度は跳ね上がってると思った方がいい。認識をあらためろ」
「えー。でも、そんじゃどうすればいいってんだよ」
「まあ、俺が隣にいるぶんには問題ねえが」
凌牙の視線が空を向いた。
ああ、そっか。
俺は密かに納得した。
問題は満月の日なんだよな。
◆
その日から、凌牙はこれまで以上に俺にくっついて行動するようになった。
朝は俺の家の前まで迎えに来る。そのまま一緒に登校。同じ車両に乗り、学校までぴったりと同行してくる。帰りも同じ。俺が家の中に入るまで、門扉の前に立っている。ほとんどSPかよっていうレベル。
移動中は、俺と軽口をたたいてにこにこしている風を装いつつ、鋭い視線で周囲に目を走らせている。駅や車内で上背のある凌牙からギロリと睨まれるだけで、周囲の男性客たちはなんとなく顔をこわばらせて距離を置いた。関係のないお客さんには、もはやいい迷惑でしかない。
でも「なにもここまでしなくっても」という俺の訴えは、いつもあっさりと却下された。
「お前は気づいてねえだろうが。いつもうっすらと例の野郎の臭いがする。駅とか電車の中とか、人間が多すぎて特定できねえときに限ってな。遠くからだが、確実に毎日お前を見てるぞ」
「うわー、まじかよー。勘弁しろよー」
喉から平板な声がでた。思わず肩を落としてしまう。
「朝、お前の家まで行くと野郎の臭いが残ってやがる。夜のあいだに近くをうろついてるのは間違いねえぞ。後をつけられて、家も特定されてるってこった。舐めてちゃ危ねえ」
「げげ……それってストーカーってこと? 怖えよう」
男が好きっていう点は俺も責められねえわけだけど、やっぱ変態の痴漢野郎でガチのストーカーっていうのは怖い。家まで特定されてるんじゃ、いつ家族に被害が及ばないとも限らないし。家族に迷惑を掛けるのだけは俺だっていやだ。
「なあ。もう警察に相談したほうがいいんじゃね? 凌牙」
「本来はそうだ。だが、この段階で警察にできることはほとんどねえよ。しかも野郎同士だ。まともに取り合ってもらえるとは思えねえ」
「そ……そうか」
「せめて野郎のザーメン残しておくんだったな。物証になったのによ」
「うわ、それは考えが回んなかった」
だって、とにかく気色悪くてさ。すぐにも洗い落とさずにいられなかったんだもんよ。あんなのべったりくっつけたまま鞄の中に入れておけるか? しかも何時間もさ。鞄全体がイカ臭くなりそうじゃね?
思い出したら、なんかまた胃の辺りがむかむかと気持ち悪くなってきた。
俺の表情に気付いたのか、凌牙はふっと頬を緩ませて、軽く俺の肩を叩いた。
「ま、心配すんな。俺らのネットワークはここの警察よりよっぽど優秀だぜ。この時間帯でこの路線を使って通勤あるいは通学してる野郎は多いが、それでも限定できねえわけじゃねえ。人種、性別、年齢層もある程度は絞れてる。臭いっていう確実な証拠もあることだし」
「ん? お前らのネットワーク……?」
「ここいら一帯は、俺らのテリトリーだ。つまり人狼のな」
「ええっ……」
「ら」ってつくってことは、こいつには仲間がかなりいるってことか。いや、考えてみれば当たり前だけど。
「もっと言えば、お前の家を中心に半径二十キロ圏内は全部俺らが掌握してる。ほかの人外が入ってくることはまずないし、住んでいる人間、出入りしている人間のことも分かってる」
「ま、マジかよっ」
「マジだ。俺らウェアウルフは縄張り意識が強いもんでな。……特に、自分のもんだと認識したもんにちょっかい掛けられたら、ガチ切れする奴が多いぜ。もちろん俺も例外じゃねえ」
「じ、自分のもんって……」
「俺の場合は、まずお前だ」
言うと同時に、ちゅっと頬に軽いキスを落とされた。
「わっ! なな、なにしてんだよっ」
「誰も見てねえ。俺の五感を信じろ」
いや、そこはまあ信じてるけど。帰宅途中の路上でいきなりこんなのされたら、誰だって驚くだろう!
「もちろん、監視カメラそのほかにもひっかかってねえかんな。安心してされとけって」
「されとけって……あのなあ!」
そうこうするうち、あともう少しでうちの門扉が見える場所まできてしまった。この角を曲がれば、もう家だ。
凌牙が先に角を曲がる。その瞬間だった。
凌牙の目がぎらっと光った。口の中で、チッと舌を鳴らす音がする。
「……野郎。舐めた真似を」
「えっ」
驚いて凌牙の視線をたどって、俺は凍りついた。
なんだ、これ。
別にそんなに大きくもない俺の家。門扉の横のコンクリートブロック壁にでかでかと、赤いスプレーで殴り書きがされている。
俺は思わず足もとをふらつかせた。どん、と背中が凌牙の胸に当たる。凌牙の腕ががっしりと俺の肩を掴んで支えてくれた。
『この家の息子はホモです』
『汚ねえホモは消えろ』
『キモい』
『死ね』
『町から出ていけ』──。
殴り書かれた汚らしい文字の羅列が、俺の視界にいっぱいに広がっていた。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

佐竹・鬼の霍乱
つづれ しういち
BL
拙作小説「白き鎧 黒き鎧」の後日談・外伝。ボーイズラブです。
冬のある日、珍しく熱を出して寝込んだ佐竹。放課後、それを見舞う内藤だったが。
佐竹の病気は、どうやら通常のものではなくて…??
本編「白き鎧 黒き鎧」と、「秋暮れて」をご覧のかた向けです。
二人はすでにお付き合いを始めています。
※小説家になろう、カクヨムにても同時更新しております。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪


【完結】初恋は、
は
BL
アンダーグラウンドで活躍している顔良しスタイル良しの天才ラッパー、雅。しかしいつもお決まりの台詞で彼女にフラれてしまっていたのだが、ある日何の気なしに訪れた近くのカフェで、まさかのまさか、一人の男性店員に一目惚れをしてしまうのだった。
ラッパー×カフェ店員の、特に何も起こらないもだもだほっこり話です。
※マークは性表現がありますのでお気をつけください。
2022.10.01に本編完結。
今後はラブラブ恋人編が始まります。
2022.10.29タイトル変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる