7 / 32
第二章 事件
1 受難
しおりを挟む事件のはじまりは、かなり不快な出来事だった。
その日、俺は珍しくひとりで下校するために電車に乗っていた。いつもなら凌牙が途中まではくっついてくるわけなんだけど、満月になる日だけはそうはいかない。予告どおり、あいつは部活を休んでいた。
授業には一応出ていても、部活までやっていると平気で夜になってしまう。満月は出るのが早いし、早めに帰らないと何かとヤバいわけだ。
うちのサッカー部には朝練だけじゃなくて遅練もある。通常の練習が終わってから、もう少し練習してグラウンドの整備なんかもやってから帰るわけだ。基本的には下級生が中心だし、希望者だけってことになっている。
でも、凌牙みたいな天才プレーヤーならともかく、レギュラー入りするかしないかの瀬戸際にいる俺みたいなモブ部員は、二年生でも参加するのが普通だった。さすがに後片付けは一年に任せるけどな。
高校近くから自宅の最寄り駅まではたったの三駅しかない。
けど、それでも出るときには出るし、遭うときには遭う。
つまり、痴漢野郎にだ。
前回も、たしかこの時間帯のこの車両だった。ちょうど満員になる時間帯で、客同士が一日の仕事や学校で疲れた顔を首にのっけて、イヤだけどしかたなく互いの体を密着させて揺られている。
今回は直接ケツを触られたわけじゃなく、俺は電車を降りてからはじめて異変に気付いた。
「うっわ。なんだこれ」
制服のスラックスの尻のところが、べっとりと何かで汚れている。その上、ジャケットの裾がざっくりとカッターか何かで切り裂かれていた。
「マジかよ。最悪……!」
白濁した液体の正体に気付いたときは、正直吐き気がした。つまりそれは、男が下半身から出す不届きな液体だったんだ。
俺は駅のトイレに駆け込み、個室でジャージに穿きかえた。スラックスはできるだけティッシュやハンカチできれいにし、洗面台でごしごし洗ってしっかり絞った。本当はすぐにもまるっと洗濯機に放り込みたかったけど、今はどうしようもない。仕方なく、スラックスは丸めて鞄につっこみ、下半身だけジャージのマヌケな姿でそのまま帰った。
この場にもし凌牙がいたら、こうなる前に速攻で相手に気付いてとっつかまえ、ボッコボコにしていたはずだ。今日がたまたま満月の日で、痴漢野郎は命拾いをしたわけだ。
「くそっ……ムカつく!」
ムカムカしながら帰宅して、全部洗濯機にブチ込んで回し始める。明日すぐに穿かなくちゃならないから、乾燥機もかけなきゃな。
(けどこれ、黙ってたほうがいいのかな)
つまり、凌牙に。別に現行犯でなくっても、あいつの鼻ならあっという間に犯人なんてわかっちまうかも。凌牙が本気で怒ったとこなんて見たことねえけど、間違いなく激ギレしそうだし。むしろ、犯人の命の方が心配になってくんだけど。
(ん~。でもまあ、死なねえ程度にボコるぐらいは許されるんじゃね?)
と、俺の中の悪魔が囁く。
いやいや。ダメダメ。凌牙が本気出したら、それは多分もう犯罪になっちまう。
半殺しで済めばいいけど、相手は命の危険まであるかもだし。
実は昨日の晩、俺からの告白のあと、凌牙は俺にキス以上のことはしなかった。
感極まったみたいに強く抱きしめて、「ちゃんと鍵、掛けとけよ」と言って笑って、最後にもう一回、めちゃくちゃ優しいキスをしてから帰っていった。
「お前のことは、ちゃんと大事にするつもりだからよ」なんて、ちょっとキザな台詞を残して。
嬉しかったけど、俺はなんとなく残念なようなもったいないような、そんな変な気持ちになった。そうしてあいつの逆三角形をした広い背中を見送った。
(でも、いずれは……するんだよな?)
考えただけで、ちょっと頭の中がぽわぽわする。
こういうの、「思考がお花畑」とか言うのかな。でも、残念ながらここまで誰ともおつきあいしたこともねえ俺のことだ。そっち方面の知識がほとんどねえから、色々不安な気持ちのほうがまさってしまう。
俺、ほんとに凌牙とそんなことできんのかな……?
帰りの電車の中であれこれとそんなことを考えて、ちょっとぼんやりしていたのもいけなかったのかも知れない。
次はこんな失態は犯さないように気をつけなくちゃな。
凌牙のことも心配だ。あいつには気づかれないように、なんとかうまく立ち回らなきゃな、うん。
◆
「勇太。なんだその変な臭いは」
翌日、朝の開口一番。
駅前で俺を待っていた凌牙は、俺を見るなり顔色を変えた。
案の定っていうか残念にもっていうか、昨日のあれこれを速攻で見破られたわけだ。というか、嗅ぎ分けられた。
「くっせえ野郎のザーメンの臭いがする。お前のじゃねえ」
要するに、俺の努力はすべて水の泡になったわけだ。
その時点でもう凌牙のこめかみには、ビキキッと血管が浮き出ている。目の奥にギラギラした光が浮かんでいる。明らかに殺気だ。うわあ、怖え。本当に野生の狼そのものの憤怒の目だ。
「昨日なにがあった。全部話せ」
「うわー。マジかよ。服も体も、昨日めちゃくちゃ洗ったのになあ……」
自分の腕やシャツをくんくん嗅いでみるけど、うちのボディソープと柔軟剤の匂い以外はわからなかった。さすがは人狼の鼻。侮れねえ。
ちなみにジャケットは、おふくろが昨夜「まったくもう! 忙しいのに何してくれんのよ!」ってぶうぶう言いながらも繕ってくれた。今ではほとんど分からない。
「ちゃんとすぐ駅員に報告しとかなきゃダメよ!」って言われたから、今日は帰りに駅の窓口に寄る予定だ。
けどその前に、俺には報告すべき相手がいたらしい。
「いいから話せ。誰にやられた」
凌牙は俺の鼻先まで詰め寄って、今にも胸元を掴みあげんばかりだ。
いや待て。俺が責められてるみたいなの、なんか納得いかねえぞ。
俺は被害者なんですけど?
「いやその。実はさ……」
しょうがないので、正直に全部話した。まあ、隠す意味はねえもんな。
0
お気に入りに追加
13
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

佐竹・鬼の霍乱
つづれ しういち
BL
拙作小説「白き鎧 黒き鎧」の後日談・外伝。ボーイズラブです。
冬のある日、珍しく熱を出して寝込んだ佐竹。放課後、それを見舞う内藤だったが。
佐竹の病気は、どうやら通常のものではなくて…??
本編「白き鎧 黒き鎧」と、「秋暮れて」をご覧のかた向けです。
二人はすでにお付き合いを始めています。
※小説家になろう、カクヨムにても同時更新しております。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ハルとアキ
花町 シュガー
BL
『嗚呼、秘密よ。どうかもう少しだけ一緒に居させて……』
双子の兄、ハルの婚約者がどんな奴かを探るため、ハルのふりをして学園に入学するアキ。
しかし、その婚約者はとんでもない奴だった!?
「あんたにならハルをまかせてもいいかなって、そう思えたんだ。
だから、さよならが来るその時までは……偽りでいい。
〝俺〟を愛してーー
どうか気づいて。お願い、気づかないで」
----------------------------------------
【目次】
・本編(アキ編)〈俺様 × 訳あり〉
・各キャラクターの今後について
・中編(イロハ編)〈包容力 × 元気〉
・リクエスト編
・番外編
・中編(ハル編)〈ヤンデレ × ツンデレ〉
・番外編
----------------------------------------
*表紙絵:たまみたま様(@l0x0lm69) *
※ 笑いあり友情あり甘々ありの、切なめです。
※心理描写を大切に書いてます。
※イラスト・コメントお気軽にどうぞ♪


【完結】初恋は、
は
BL
アンダーグラウンドで活躍している顔良しスタイル良しの天才ラッパー、雅。しかしいつもお決まりの台詞で彼女にフラれてしまっていたのだが、ある日何の気なしに訪れた近くのカフェで、まさかのまさか、一人の男性店員に一目惚れをしてしまうのだった。
ラッパー×カフェ店員の、特に何も起こらないもだもだほっこり話です。
※マークは性表現がありますのでお気をつけください。
2022.10.01に本編完結。
今後はラブラブ恋人編が始まります。
2022.10.29タイトル変更しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる