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第一章 親友の正体は
2 異変
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その日、俺は凌牙の家をたずねた。
二年生になってはじめて進路希望のプリントが配られたんだけど、それを届けてやってくれと担任から頼まれたんだ。わりと期限が厳しいみたいで。
あいつと親しくなってからは時々遊びに行っていたから、すでに家の場所は知っていた。まあそうでなきゃ、いくら友達だからと言っても、担任も勝手に住所を教えたりはできないもんな。
最初、学校帰りに「寄ってくか?」と凌牙に連れていかれた時は、俺もちょっと驚いたもんだ。
凌牙の家は、とある古ぼけたワンルームマンションだった。
ワンルーム? そう、ワンルームだ。
つまり凌牙は、家族と暮らしているわけじゃなかった。
今日は部活が終わってからだったので、空はもうだいぶ暗くなりかかっている。東の空には煌々ときれいな満月が輝いていた。
俺はなんとなくマンションの前をしばらく右へ左へと往復してから、遂に中へ入った。凌牙と一緒に来るのとは違って、高校生がひとりで入るにはなんとなく敷居が高い感じがしたからだ。
ここはオートロックの建物じゃなくて、そのまま部屋の前まで行けるような古いタイプのマンションだった。
「ちょっと不用心じゃね?」って前に訊いたら、凌牙はふははっと笑ったもんだ。
「女のひとり暮らしじゃあるまいし。俺がそんなヤワな野郎に見えるか? よしんば強盗が入ったところで、秒で返り討ちよ。そんなことより、家賃が安いほうがなんぼか大事ってもんだわ」なんて言ってさ。
扉の前でもしばらく躊躇った挙げ句、俺はやっとドアホンのボタンを押した。ちょっと間の抜けた音がビーッと部屋の中に鳴り響いたのが、外からでもちゃんとわかった。
返事はなかった。
俺は何度かボタンを押してさらにちょっと待ち、扉にそうっと耳を寄せて中の様子をうかがってみた。
──ガサッ。
(ん?)
いま、何か物音がしたぞ。なにかが落ちるみたいな音だ。あと、なんかみしみしと床を踏みしめるような音も。
「凌牙、いるの? 俺だよ、勇太」
言ってみたけど、返事はない。
「えっとさ。担任から進路の書類を預ってきてんだけど。熱とかあるんなら、無理に出てこなくてもいいぜ。この、ポストのとこに入れておくから」
スクールバッグから茶封筒を取り出して、扉の脇にある小さなポストへそのまま差し入れる。差し入れ口は小さ目だけど、なんとかぐちゃっとならずに入れられた。担任に頼まれた書類以外にも、今日の授業のノートのコピーとか、宿題のメモなんかも入れてある。ああ、俺ってめっちゃ友達がいがあるよなあ。
「その……大丈夫か? 熱、高いの? なんか買ってこようか。風邪薬とか」
耳をぴたりとドアにくっつけて反応を待つ。
と、なにか鋭いものがドアの内側をガリガリと引っ掻いたような音がした。と同時に、ドスンと何かが床に落ちたような音。
俺は驚いて耳を離した。
「え、凌牙? 凌牙だよな。大丈夫!?」
なんかまずいことになってないだろうな。倒れたりとか?
ここに来て家族らしい人に会ったこともないし、凌牙はひとり暮らしなんだろうし。もしかしたら熱が高いのかもしれない。体調もだいぶ悪いのかも。ひとりじゃ動けなくなってるのかも。
そんなとき、家にひとりぼっちじゃ心細いんじゃないだろうか。誰かに看病して欲しいとまでは思わなくても、なにか手助けが必要かもしれないし。
と、その時だった。
「シンパイ……すんな。カエレ」
「え? 凌牙……?」
なんだか変な声だった。確かに凌牙ではあるみたいだったけど、とても本人とは思えないぐらいくぐもった、がさがさした声だ。いつもの張りと深みのある凌牙の声とは似ても似つかない。しかも、言葉と言葉の間に犬が唸るときみたいな「ぐるるる」という音が混ざっている。
どういうことだ。
これ、かなり具合が悪いんじゃ?
「大丈夫かよっ。やばいんじゃね? なあ、病院行く? 救急車よぶ? なんだったら俺、ついていくしさ」
「いいっ、カラ。カエレ……!」
「だってお前、なんか変だぞ。声だってそんな枯れっ枯れで──」
「ウルオオオオウッ!」
「どわあっ!?」
突然、本当に狂暴な狼の咆哮みたいなもんが聞こえて、俺はドアから飛び退った。
なんなんだ。一体なにが起こってる……?
「りょ、凌牙──」
もしかして、今この中でめちゃくちゃまずいことでも起こってるとか?
まさかとは思うけど、なんか犯罪にでも巻き込まれてるんじゃ。
俺はドアをばしばし叩いた。
「凌牙っ! ほんとに大丈夫か?」
「グウ、グルワアアアッ!」
激しくハアハアいう息の音と、獣としか思えない声が続く。俺はもう胸がばくばくいってて、その場でおろおろしていた。
どうしよう。警察、呼んだほうがいいんだろうか。
慌てて尻のポケットを探り、スマホを取り出す。でも、あやうく取り落としそうになったところでいきなりそれがブブッと鳴った。
「え……?」
メッセージ。送り主は凌牙。
慌ててメッセージを開くと、ずらずらっとこんな文面が目に飛び込んできた。
『心配いらねえ。もう帰れ』
『明日、説明するからよ』
『あと、書類ありがとな』
「凌牙……」
俺は唇をかみしめた。ドアに口を寄せてきく。
「これ、ほんとだな? 本当に帰って大丈夫なんだな……?」
返事はもう聞こえなかった。その代わり、ぴろんとまたメッセージが来た。
『ほんとだって。マジ大丈夫』
『だから帰れ。ありがとな』
それでもやっぱり、ドアの中からはハアハアいう激しい呼吸音が聞こえてくる。
俺はその場で散々迷った。多分、一、二分ぐらい。
でも凌牙が「もういい、帰れ」としつこくメッセージ送ってきて山のようになってきたもんだから、とうとう諦めた。
最後は後ろ髪をひかれるみたいな気持ちで、俺はゆっくりとその場を離れた。
二年生になってはじめて進路希望のプリントが配られたんだけど、それを届けてやってくれと担任から頼まれたんだ。わりと期限が厳しいみたいで。
あいつと親しくなってからは時々遊びに行っていたから、すでに家の場所は知っていた。まあそうでなきゃ、いくら友達だからと言っても、担任も勝手に住所を教えたりはできないもんな。
最初、学校帰りに「寄ってくか?」と凌牙に連れていかれた時は、俺もちょっと驚いたもんだ。
凌牙の家は、とある古ぼけたワンルームマンションだった。
ワンルーム? そう、ワンルームだ。
つまり凌牙は、家族と暮らしているわけじゃなかった。
今日は部活が終わってからだったので、空はもうだいぶ暗くなりかかっている。東の空には煌々ときれいな満月が輝いていた。
俺はなんとなくマンションの前をしばらく右へ左へと往復してから、遂に中へ入った。凌牙と一緒に来るのとは違って、高校生がひとりで入るにはなんとなく敷居が高い感じがしたからだ。
ここはオートロックの建物じゃなくて、そのまま部屋の前まで行けるような古いタイプのマンションだった。
「ちょっと不用心じゃね?」って前に訊いたら、凌牙はふははっと笑ったもんだ。
「女のひとり暮らしじゃあるまいし。俺がそんなヤワな野郎に見えるか? よしんば強盗が入ったところで、秒で返り討ちよ。そんなことより、家賃が安いほうがなんぼか大事ってもんだわ」なんて言ってさ。
扉の前でもしばらく躊躇った挙げ句、俺はやっとドアホンのボタンを押した。ちょっと間の抜けた音がビーッと部屋の中に鳴り響いたのが、外からでもちゃんとわかった。
返事はなかった。
俺は何度かボタンを押してさらにちょっと待ち、扉にそうっと耳を寄せて中の様子をうかがってみた。
──ガサッ。
(ん?)
いま、何か物音がしたぞ。なにかが落ちるみたいな音だ。あと、なんかみしみしと床を踏みしめるような音も。
「凌牙、いるの? 俺だよ、勇太」
言ってみたけど、返事はない。
「えっとさ。担任から進路の書類を預ってきてんだけど。熱とかあるんなら、無理に出てこなくてもいいぜ。この、ポストのとこに入れておくから」
スクールバッグから茶封筒を取り出して、扉の脇にある小さなポストへそのまま差し入れる。差し入れ口は小さ目だけど、なんとかぐちゃっとならずに入れられた。担任に頼まれた書類以外にも、今日の授業のノートのコピーとか、宿題のメモなんかも入れてある。ああ、俺ってめっちゃ友達がいがあるよなあ。
「その……大丈夫か? 熱、高いの? なんか買ってこようか。風邪薬とか」
耳をぴたりとドアにくっつけて反応を待つ。
と、なにか鋭いものがドアの内側をガリガリと引っ掻いたような音がした。と同時に、ドスンと何かが床に落ちたような音。
俺は驚いて耳を離した。
「え、凌牙? 凌牙だよな。大丈夫!?」
なんかまずいことになってないだろうな。倒れたりとか?
ここに来て家族らしい人に会ったこともないし、凌牙はひとり暮らしなんだろうし。もしかしたら熱が高いのかもしれない。体調もだいぶ悪いのかも。ひとりじゃ動けなくなってるのかも。
そんなとき、家にひとりぼっちじゃ心細いんじゃないだろうか。誰かに看病して欲しいとまでは思わなくても、なにか手助けが必要かもしれないし。
と、その時だった。
「シンパイ……すんな。カエレ」
「え? 凌牙……?」
なんだか変な声だった。確かに凌牙ではあるみたいだったけど、とても本人とは思えないぐらいくぐもった、がさがさした声だ。いつもの張りと深みのある凌牙の声とは似ても似つかない。しかも、言葉と言葉の間に犬が唸るときみたいな「ぐるるる」という音が混ざっている。
どういうことだ。
これ、かなり具合が悪いんじゃ?
「大丈夫かよっ。やばいんじゃね? なあ、病院行く? 救急車よぶ? なんだったら俺、ついていくしさ」
「いいっ、カラ。カエレ……!」
「だってお前、なんか変だぞ。声だってそんな枯れっ枯れで──」
「ウルオオオオウッ!」
「どわあっ!?」
突然、本当に狂暴な狼の咆哮みたいなもんが聞こえて、俺はドアから飛び退った。
なんなんだ。一体なにが起こってる……?
「りょ、凌牙──」
もしかして、今この中でめちゃくちゃまずいことでも起こってるとか?
まさかとは思うけど、なんか犯罪にでも巻き込まれてるんじゃ。
俺はドアをばしばし叩いた。
「凌牙っ! ほんとに大丈夫か?」
「グウ、グルワアアアッ!」
激しくハアハアいう息の音と、獣としか思えない声が続く。俺はもう胸がばくばくいってて、その場でおろおろしていた。
どうしよう。警察、呼んだほうがいいんだろうか。
慌てて尻のポケットを探り、スマホを取り出す。でも、あやうく取り落としそうになったところでいきなりそれがブブッと鳴った。
「え……?」
メッセージ。送り主は凌牙。
慌ててメッセージを開くと、ずらずらっとこんな文面が目に飛び込んできた。
『心配いらねえ。もう帰れ』
『明日、説明するからよ』
『あと、書類ありがとな』
「凌牙……」
俺は唇をかみしめた。ドアに口を寄せてきく。
「これ、ほんとだな? 本当に帰って大丈夫なんだな……?」
返事はもう聞こえなかった。その代わり、ぴろんとまたメッセージが来た。
『ほんとだって。マジ大丈夫』
『だから帰れ。ありがとな』
それでもやっぱり、ドアの中からはハアハアいう激しい呼吸音が聞こえてくる。
俺はその場で散々迷った。多分、一、二分ぐらい。
でも凌牙が「もういい、帰れ」としつこくメッセージ送ってきて山のようになってきたもんだから、とうとう諦めた。
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