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『深紅の魔女レディ・モナルダとお姫様』
第2話「役目」
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謁見室をペトロスが出ていき、近衛兵たちが会釈をしてから扉を閉めた。部屋には女王と貴賓である魔女の二人だけ。
先に口を開いたのはモナルダだった。
「しばらく会わないうちに老けたな、フロランス?」
ちくりと胸に刺さって、フロランスはがっかりと肩をすくめた。
「手厳しいわね。でもその通りよ。長女が生まれてから二十年も経ったもの。私だって、出来る事なら貴女のように美しいままでいたいものだわ」
魔女は、その力が次の世代に引き継がれるまで歳をとらない。どこまでも若く、そして美しい。初代の魔女が作った祝福でもあり、呪いでもあった。
だが、それはそれとして人々は不老不死を好むものだ。たとえばモナルダが忌々しいものだと思っても、多くが彼女を羨んだのも事実である。
「見目が若くとも心は年老いるものさ、フロランス。こっちは百年ほど長生きしてる。先代は酒に溺れたロクデナシだったがね」
先代魔女であり、モナルダの母親はひどいものだ。男をとっかえひっかえして、自分の好き放題に生きたその口で愛を語り、さっさと魔女の証でもある魔導書を受け継がせたのだから。
その母親に比べてモナルダ・フロールマンは特に伴侶を持つ事もなく、百三十年を生きている。歴代の魔女とは違い、愛とやらにはうんざりした。自分の母親が如何にみすぼらしい娼婦のようだったかを見て、聞きたくもないのに塞いでも聞こえてくる夢見がちな愛の物語を真実のように語られたから。
「ま、私の身の上話はどうでもいい。頼みたいというのは?」
「ああ、そう。それなのよ。運んでほしいものがあって」
「……そんなものは商人にでも頼めば良いだろう。私をなんだと」
「運んでほしいのは人間よ。それも、宝石のように大切な」
チッ、と舌を鳴らす魔女を見てもフロランスは顔色ひとつ変えない。
「まさか死体でも運べと言い出すんじゃないだろうな?」
「いいえ。そんなとんでもない事は流石に魔女でも任せないわよ」
「だったらなんだ、内容によっては断らせてもらうが」
フロランスが首をゆっくり横に振った。
「あなたに断る権利があると思っているの?」
「……叫んでどうにかしようというのなら」
パチンと指を鳴らすと、指先にふわっと紫煙が舞った。
「このあたりの音は掻き消える。他の誰にも聞こえない。生憎と、他人に都合よく利用される人生はこりごりなものでね」
「本当に用意がいいわね……。魔女というのは恐ろしいわ」
ごもっとも、とモナルダも自身がとても恐ろしいと思う。普通の人間にはない力。やろうと思えば完全犯罪だって出来てしまう。それをやらないのは魔導書の持ち主である魔女が、ロクデナシと呼んだ先代を含めて誰も悪意を持たなかったからだ。自分の人生とは乖離した、深く沈んではならない沼である、と。
だが、多くの人々──特に上流階級の者たち──は、その力を使いたがるもので、彼女は社会的な影響の少ない仕事であれば、彼らから依頼を受ける事を生業としていた。彼女を利用しようという人間は後を絶たず、フロランスもまた、そのひとりとして『いくらの金を積んででも頼みたい』と考えている。
それが、モナルダは実のところ気に入らないのだが。
「まあいいよ、次はないってだけだ。話してみろ、お前の頼み」
「……ふう。ありがとう、貴女だけが頼りなのよ。なにしろ連れて行ってほしいのは、私の娘だから」
「は? いやいや、ちょっと待て。誰を運ぶって?」
思わず聞き返す。フロランスからはハッキリとした答えが返された。
「レティシア。私の末娘を連れて王都を出てほしいの。隣国のリベルモントで大きな別荘を譲ってもらってね。ちょっと遠いけれど、貴女なら大丈夫よね」
「問題はない。問題はないが、問題がある」
頭が混乱しそうな返事だったが、実際そうなのだ。連れて行こうと思えば連れて行ける。おそらく、どんなに優れた騎士の護衛をつけたとしても、モナルダより確実で安全に連れて行ける人間はいない。
だからといって王族の人間を連れて隣国まで送り届けるのは、あまりに大きな仕事が過ぎる。何か起きてからでは遅い。
「今回ばかりは断らせてもらうぞ、フロランス」
「待って、話を最後まで────」
「馬鹿なのか。なぜ最後まで聞く必要がある」
遮ってまでモナルダが断るのも当然だ。フロランスもぐっと言葉を呑む。
「世間知らずはガキの頃だけで十分だろう。お前が頼もうとしている仕事が、ベビーシッターみたいに楽なものだったらどれだけ良かったか……」
「でも難しくはないはずでしょう?」
言われると、いいえとは言えない。
「なぜレティシアをリベルモントへ送る。出来が悪いからか」
一瞬、眉がぴくっと動く。それから大きなため息を吐いて天上を仰いだ。
「ペトロスから聞いたのね。まあ、近いかしら。正確に言えば、あの子のためと言った方がいいわね。これでも親としての役目を果たすつもりなの」
長女と次女は、末娘のレティシアを出来の悪い妹として嫌っていた。事あるごとに嫌がらせをするのは歳を重ねれば徐々に増え、看過できないところまできた。だからフロランスは、それならリベルモントに送ろうと言う。
元々王位を継ぐのは長女か次女であるから国に留まり続ける理由はない。リベルモントの別荘で静かに暮らせる環境を与えて、少しでも幸福な人生を送らせてあげたい。その言葉に、モナルダは明らかな違和感を受け取った。
「そうか。愛情を欠片も注いで来ず、もっと早くからどうにかできたのに、ずっと見逃してきたのだから、気まぐれに手を差し伸べてやるという話だな」
「言い方は好きじゃないけれど、そう取ってくれてもいいわ。私なりに愛情は注いできたつもりよ。区別はつけずに良い服も与えてきた。欲しいものは出来るだけ手に入れてあげたのだから、普通の親として十分でしょう」
不愉快。そのひと言に尽きる話を聞かされて、モナルダは呆れて物も言えなくなった。これ以上は何を話したところで平行線を辿るのだろう、と。
「わかった、良いだろう。まずはレティシアを此処へ呼んでくれ、話がしたい」
先に口を開いたのはモナルダだった。
「しばらく会わないうちに老けたな、フロランス?」
ちくりと胸に刺さって、フロランスはがっかりと肩をすくめた。
「手厳しいわね。でもその通りよ。長女が生まれてから二十年も経ったもの。私だって、出来る事なら貴女のように美しいままでいたいものだわ」
魔女は、その力が次の世代に引き継がれるまで歳をとらない。どこまでも若く、そして美しい。初代の魔女が作った祝福でもあり、呪いでもあった。
だが、それはそれとして人々は不老不死を好むものだ。たとえばモナルダが忌々しいものだと思っても、多くが彼女を羨んだのも事実である。
「見目が若くとも心は年老いるものさ、フロランス。こっちは百年ほど長生きしてる。先代は酒に溺れたロクデナシだったがね」
先代魔女であり、モナルダの母親はひどいものだ。男をとっかえひっかえして、自分の好き放題に生きたその口で愛を語り、さっさと魔女の証でもある魔導書を受け継がせたのだから。
その母親に比べてモナルダ・フロールマンは特に伴侶を持つ事もなく、百三十年を生きている。歴代の魔女とは違い、愛とやらにはうんざりした。自分の母親が如何にみすぼらしい娼婦のようだったかを見て、聞きたくもないのに塞いでも聞こえてくる夢見がちな愛の物語を真実のように語られたから。
「ま、私の身の上話はどうでもいい。頼みたいというのは?」
「ああ、そう。それなのよ。運んでほしいものがあって」
「……そんなものは商人にでも頼めば良いだろう。私をなんだと」
「運んでほしいのは人間よ。それも、宝石のように大切な」
チッ、と舌を鳴らす魔女を見てもフロランスは顔色ひとつ変えない。
「まさか死体でも運べと言い出すんじゃないだろうな?」
「いいえ。そんなとんでもない事は流石に魔女でも任せないわよ」
「だったらなんだ、内容によっては断らせてもらうが」
フロランスが首をゆっくり横に振った。
「あなたに断る権利があると思っているの?」
「……叫んでどうにかしようというのなら」
パチンと指を鳴らすと、指先にふわっと紫煙が舞った。
「このあたりの音は掻き消える。他の誰にも聞こえない。生憎と、他人に都合よく利用される人生はこりごりなものでね」
「本当に用意がいいわね……。魔女というのは恐ろしいわ」
ごもっとも、とモナルダも自身がとても恐ろしいと思う。普通の人間にはない力。やろうと思えば完全犯罪だって出来てしまう。それをやらないのは魔導書の持ち主である魔女が、ロクデナシと呼んだ先代を含めて誰も悪意を持たなかったからだ。自分の人生とは乖離した、深く沈んではならない沼である、と。
だが、多くの人々──特に上流階級の者たち──は、その力を使いたがるもので、彼女は社会的な影響の少ない仕事であれば、彼らから依頼を受ける事を生業としていた。彼女を利用しようという人間は後を絶たず、フロランスもまた、そのひとりとして『いくらの金を積んででも頼みたい』と考えている。
それが、モナルダは実のところ気に入らないのだが。
「まあいいよ、次はないってだけだ。話してみろ、お前の頼み」
「……ふう。ありがとう、貴女だけが頼りなのよ。なにしろ連れて行ってほしいのは、私の娘だから」
「は? いやいや、ちょっと待て。誰を運ぶって?」
思わず聞き返す。フロランスからはハッキリとした答えが返された。
「レティシア。私の末娘を連れて王都を出てほしいの。隣国のリベルモントで大きな別荘を譲ってもらってね。ちょっと遠いけれど、貴女なら大丈夫よね」
「問題はない。問題はないが、問題がある」
頭が混乱しそうな返事だったが、実際そうなのだ。連れて行こうと思えば連れて行ける。おそらく、どんなに優れた騎士の護衛をつけたとしても、モナルダより確実で安全に連れて行ける人間はいない。
だからといって王族の人間を連れて隣国まで送り届けるのは、あまりに大きな仕事が過ぎる。何か起きてからでは遅い。
「今回ばかりは断らせてもらうぞ、フロランス」
「待って、話を最後まで────」
「馬鹿なのか。なぜ最後まで聞く必要がある」
遮ってまでモナルダが断るのも当然だ。フロランスもぐっと言葉を呑む。
「世間知らずはガキの頃だけで十分だろう。お前が頼もうとしている仕事が、ベビーシッターみたいに楽なものだったらどれだけ良かったか……」
「でも難しくはないはずでしょう?」
言われると、いいえとは言えない。
「なぜレティシアをリベルモントへ送る。出来が悪いからか」
一瞬、眉がぴくっと動く。それから大きなため息を吐いて天上を仰いだ。
「ペトロスから聞いたのね。まあ、近いかしら。正確に言えば、あの子のためと言った方がいいわね。これでも親としての役目を果たすつもりなの」
長女と次女は、末娘のレティシアを出来の悪い妹として嫌っていた。事あるごとに嫌がらせをするのは歳を重ねれば徐々に増え、看過できないところまできた。だからフロランスは、それならリベルモントに送ろうと言う。
元々王位を継ぐのは長女か次女であるから国に留まり続ける理由はない。リベルモントの別荘で静かに暮らせる環境を与えて、少しでも幸福な人生を送らせてあげたい。その言葉に、モナルダは明らかな違和感を受け取った。
「そうか。愛情を欠片も注いで来ず、もっと早くからどうにかできたのに、ずっと見逃してきたのだから、気まぐれに手を差し伸べてやるという話だな」
「言い方は好きじゃないけれど、そう取ってくれてもいいわ。私なりに愛情は注いできたつもりよ。区別はつけずに良い服も与えてきた。欲しいものは出来るだけ手に入れてあげたのだから、普通の親として十分でしょう」
不愉快。そのひと言に尽きる話を聞かされて、モナルダは呆れて物も言えなくなった。これ以上は何を話したところで平行線を辿るのだろう、と。
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