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第二十六椀
レトロな「手羽先チューリップ」。からあげ?ザンギ?の方言問題
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鶏のからあげが大好きで、一人暮らしのときにお弁当を買うとしたら、まずもってからあげ弁当を手に取っていた。
いろいろなお店や各コンビニによってちょっとずつ内容は違うのだけど、おおむね副菜は申し訳程度にしか入っていない。
なかには「ごはん、からあげ、以上」といった硬派で潔いからあげ弁当もあった。
いずれも味付けはしっかり過ぎるほどしっかりしていて、念入りにマヨネーズなんか添えられたりしていることもある。
若かったこともあるし、食事に対してぞんざいだったこともあるけれど、当時のぼくはそんなからあげ弁当を冷たいままでも平気で食べていた。
今思うとさぞや身体によくないのだろう。
伊緒さんとお付き合いを始めた頃、たまたまそんな一人暮らしの荒れた様子を見つかって、たいへん叱られた。
まあ、それがきっかけになってちょっとずつご飯を作ってくれるようになり、やがてお嫁さんになってもらったので、ぼくはひそかにからあげ弁当に感謝している。
さて、ある休日の夕ご飯前。
コタツに丸まってついウトウトしていると、そっと伊緒さんがやってくる気配がした。
台所が小さいので、彼女はしばしばリビングでお料理の下ごしらえをする。
豆のすじを取ったり、フライの衣をつけたり、まるまる一個の白菜を切り分けたり。
ことんことんと天板に道具を置いて、やがてなにかの作業を始めたようだ。
夢うつつで気持ちよくその様子に耳を澄ませていたのだけど、
ぎゅむっ。
めこっ。
ぺきょっ。
と、不可思議な音が聞こえてくる。
世の中にはふしぎなことがたくさんあるので、まあそんな音のする下ごしらえもあろうかい、と寝ぼけた頭で思っていた。
が、だんだん意識がはっきりしてくるにしたがって、「めこっ、てなんだ」「ぺきょっ、てなんだ」とすごーく気になりだして、むっくりと身を起こした。
「あ!クマさん起きた!」
伊緒さんがニコニコしながら、さらに「めこっ、」と音を立てる。
その手元に目をやると、おお、なんと!
細い骨の先にまん丸いお肉がくっついているものが、お行儀よく並んでいる。
なんだっけ、これなんだっけ?
ああ、そうだ!
子どもの頃に商店街のお肉屋さんでみたやつだ。
「そう、手羽先チューリップだよ!」
伊緒さんがドヤァ!と胸を張る。
むちゃくちゃ懐かしい。
昔はよく目にしたけど、そういえばいつの間にかとんと見かけなくなってしまった。
チューリップいずこへ。
しかし、おいしいけれど骨が2本並行していてちょっと食べにくい手羽先を、あんなステキな形にしてしまうなんて。
きっと才能ある職人さんでも10年は修行しなくては作れないのだろうと、幼いぼくは勝手にそう思って戦慄していた。
それをいま目の前で自分のお嫁さんがこしらえてくれている。
ひれ伏したくなる衝動をとりあえず置いといて、作業を続ける彼女の動きを観察した。
「手羽先がとっても安かったから、買いだめしちゃった」
そう言いながら山盛りになった手羽先をひとつ手に取り、羽先を上にしてまな板に立てた。
羽の先を指でつまんで関節を逆方向に「ぎゅむっ、」と曲げてググッと下へと力を加えると「めこっ、」と骨が飛び出してきた。
そのまま肉を下に脱がすように押し下げ、骨の一本をくるんと回すと「ぺきょっ、」ときれいに取れてしまった。
羽先を持ったまま皮を裏にするようにしてもう一方の骨の片側に肉を寄せ、まーるく形を整えて残った羽先をカットしたらできあがり。
ぼくは思わず、コタツから立ち上がって拍手喝采をおくった。
「ブラボー!」
伊緒さんは演奏を終えたピアニストのように優雅なお辞儀をし、手羽先をもうひとつ「めこっ、」といわせた。
この音だったんですネ。
ぼくはすっかり興奮してしまい、その場で伊緒さんに弟子入りして手羽先チューリップの作り方を教わった。
ぎゅむっ、めこっ、ぺきょっ、の3ステップで思いのほか簡単にできあがり、気をよくしたぼくらはスピードアップして、山盛りの手羽先をみんなチューリップにしてやった。
「これで晃くんの好きな、ザン……からあげしてあげるね」
まって。伊緒さん。いま「ザン」って言いかけましたよね。
こふん、こふん、と不自然な咳払いをしながら、伊緒さんが台所へと移動していく。
ザンってなんぞや、と思いつつも気持ちはすでにからあげのことに移ってしまい、「めこっ、めこっ、」と手羽先チューリップ素振りをしているうちに忘れてしまった。
しばらくすると驟雨のようで、乾いた花火のようで、万雷の拍手のような、わくわくする揚げ物の音が聞こえてきた。
ぼくは伊緒さんが揚げ物をつくってくれるときの、この音が好きだ。
よく聞いていると、同じ油の音でも段階によって実に豊かな表情がある。
食材を投入した直後の少しくぐもったような音。油が沸き立つ泡はぶくぶくと大きく、やや緩慢な動きなのだろう。
でも温度が高まるにつれて、音の間隔が加速度的に短くなっていく。
小さな無数の泡が激しく沸き立って、高く軽快な破裂音を間断なく立てるようになる。
音がやむのは、油から揚げダネを引き上げたということだ。
香ばしくいい匂いが漂ってきて、思わず喉がなってしまう。
ほどなく伊緒さんが大きなお皿を抱えて台所から出てきた。
「どじゃーん!手羽先チューリップのザ…らあげだよ!」
ザらあげっつった。いま絶対ザらあげっつった。
でもそれについて突っ込む間もなく、食卓に据えられたお皿の中身に釘付けになる。
こんがりときつね色に揚がった手羽先は、ところどころまだしゅわしゅわと油が爆ぜており、まことに挑発的なビジュアルだ。
「さあ!熱いうちにめしあがれ」
伊緒さんのすすめにしたがって、いただきますの挨拶ももどかしく、細い骨を持ち手にしてチューリップ部分にかぶりついた。
かりっ、とからあげの醍醐味たる歯ざわりのすぐあとに、香ばしい醤油とスパイシーなにんにくの風味が押し寄せて来る。
そして、普通のからあげだと外側の鶏皮がパリッと感を担当するのだけど、皮を中に巻き込んだ手羽先チューリップは一味違った。
ジューシーなお肉に包まれて蒸し焼きのようになった皮のコラーゲンが、むっちりと舌の上を跳ね回る。
さらには骨がスティックの代わりになって食べやすく、最後の一口ではぽるん、と軟骨まできれいにとれてコリコリの食感で楽しませてくれる。
めちゃくちゃおいしい。
「味付けはお醤油にお酒、しょうがとにんにくのすりおろし。甘みにはほんのちょっぴり、みりんを入れるの。多すぎるとコゲやすくなっちゃうけど。あとはたっぷり片栗粉をまぶして、からりと揚げるだけ!」
伊緒さんがいつものように、味の説明をしてくれる。
ほんのり風味を添えていた甘さはみりんのものだったんだ。
お砂糖ほど強くなく、お醤油と鶏肉の旨みを巧みに取り持っている感じだ。
それはそうと、さっきからずっと気になっていたことを伊緒さんにたずねてみよう。
「あの、伊緒さん。さっき、からあげって言う前に"ザン"って言いかけてたのは……」
伊緒さんは小さく「ぎくっ」とつぶやいて、観念したふうに語りだした。
いわく、彼女の地元ではからあげのことをなぜか「ザンギ」と呼ぶのだという。
中国語で揚げ鶏を指す「炸鶏(ザァジー)」が語源という説もあるが、とにかく鶏のからあげといえばザンギとしか呼んでいなかったそうだ。
ザンギがてっきり標準語だと思っていた
伊緒さんは、こちらに来てからそれが通じなくてちょっと恥ずかしい思いをしたのだという。
でも、慣れ親しんだ呼び方を急に変えるのは難しく、ついつい「ザ…らあげ」になるとのことだった。
伊緒さんのお話を聞いて、方言萌えのぼくは激しく心を揺さぶられた。
ええやん!めちゃめちゃかわいいやん!
ぼくはザンギを家庭内共通語リストに追加すること、方言が恥ずかしいわけないこと、ぼくもこっちに来てからお腹を「ぽんぽん」と言って幼児に笑われたこと等を熱く語った。
とうとう伊緒さんも笑いだし、
「したっけ、もうザンギでいいねー」
と、かわいらしく訛ってくれた。
ぼくもそのうち、「ザらあげ」と呼ぶようになるのだろう。
いろいろなお店や各コンビニによってちょっとずつ内容は違うのだけど、おおむね副菜は申し訳程度にしか入っていない。
なかには「ごはん、からあげ、以上」といった硬派で潔いからあげ弁当もあった。
いずれも味付けはしっかり過ぎるほどしっかりしていて、念入りにマヨネーズなんか添えられたりしていることもある。
若かったこともあるし、食事に対してぞんざいだったこともあるけれど、当時のぼくはそんなからあげ弁当を冷たいままでも平気で食べていた。
今思うとさぞや身体によくないのだろう。
伊緒さんとお付き合いを始めた頃、たまたまそんな一人暮らしの荒れた様子を見つかって、たいへん叱られた。
まあ、それがきっかけになってちょっとずつご飯を作ってくれるようになり、やがてお嫁さんになってもらったので、ぼくはひそかにからあげ弁当に感謝している。
さて、ある休日の夕ご飯前。
コタツに丸まってついウトウトしていると、そっと伊緒さんがやってくる気配がした。
台所が小さいので、彼女はしばしばリビングでお料理の下ごしらえをする。
豆のすじを取ったり、フライの衣をつけたり、まるまる一個の白菜を切り分けたり。
ことんことんと天板に道具を置いて、やがてなにかの作業を始めたようだ。
夢うつつで気持ちよくその様子に耳を澄ませていたのだけど、
ぎゅむっ。
めこっ。
ぺきょっ。
と、不可思議な音が聞こえてくる。
世の中にはふしぎなことがたくさんあるので、まあそんな音のする下ごしらえもあろうかい、と寝ぼけた頭で思っていた。
が、だんだん意識がはっきりしてくるにしたがって、「めこっ、てなんだ」「ぺきょっ、てなんだ」とすごーく気になりだして、むっくりと身を起こした。
「あ!クマさん起きた!」
伊緒さんがニコニコしながら、さらに「めこっ、」と音を立てる。
その手元に目をやると、おお、なんと!
細い骨の先にまん丸いお肉がくっついているものが、お行儀よく並んでいる。
なんだっけ、これなんだっけ?
ああ、そうだ!
子どもの頃に商店街のお肉屋さんでみたやつだ。
「そう、手羽先チューリップだよ!」
伊緒さんがドヤァ!と胸を張る。
むちゃくちゃ懐かしい。
昔はよく目にしたけど、そういえばいつの間にかとんと見かけなくなってしまった。
チューリップいずこへ。
しかし、おいしいけれど骨が2本並行していてちょっと食べにくい手羽先を、あんなステキな形にしてしまうなんて。
きっと才能ある職人さんでも10年は修行しなくては作れないのだろうと、幼いぼくは勝手にそう思って戦慄していた。
それをいま目の前で自分のお嫁さんがこしらえてくれている。
ひれ伏したくなる衝動をとりあえず置いといて、作業を続ける彼女の動きを観察した。
「手羽先がとっても安かったから、買いだめしちゃった」
そう言いながら山盛りになった手羽先をひとつ手に取り、羽先を上にしてまな板に立てた。
羽の先を指でつまんで関節を逆方向に「ぎゅむっ、」と曲げてググッと下へと力を加えると「めこっ、」と骨が飛び出してきた。
そのまま肉を下に脱がすように押し下げ、骨の一本をくるんと回すと「ぺきょっ、」ときれいに取れてしまった。
羽先を持ったまま皮を裏にするようにしてもう一方の骨の片側に肉を寄せ、まーるく形を整えて残った羽先をカットしたらできあがり。
ぼくは思わず、コタツから立ち上がって拍手喝采をおくった。
「ブラボー!」
伊緒さんは演奏を終えたピアニストのように優雅なお辞儀をし、手羽先をもうひとつ「めこっ、」といわせた。
この音だったんですネ。
ぼくはすっかり興奮してしまい、その場で伊緒さんに弟子入りして手羽先チューリップの作り方を教わった。
ぎゅむっ、めこっ、ぺきょっ、の3ステップで思いのほか簡単にできあがり、気をよくしたぼくらはスピードアップして、山盛りの手羽先をみんなチューリップにしてやった。
「これで晃くんの好きな、ザン……からあげしてあげるね」
まって。伊緒さん。いま「ザン」って言いかけましたよね。
こふん、こふん、と不自然な咳払いをしながら、伊緒さんが台所へと移動していく。
ザンってなんぞや、と思いつつも気持ちはすでにからあげのことに移ってしまい、「めこっ、めこっ、」と手羽先チューリップ素振りをしているうちに忘れてしまった。
しばらくすると驟雨のようで、乾いた花火のようで、万雷の拍手のような、わくわくする揚げ物の音が聞こえてきた。
ぼくは伊緒さんが揚げ物をつくってくれるときの、この音が好きだ。
よく聞いていると、同じ油の音でも段階によって実に豊かな表情がある。
食材を投入した直後の少しくぐもったような音。油が沸き立つ泡はぶくぶくと大きく、やや緩慢な動きなのだろう。
でも温度が高まるにつれて、音の間隔が加速度的に短くなっていく。
小さな無数の泡が激しく沸き立って、高く軽快な破裂音を間断なく立てるようになる。
音がやむのは、油から揚げダネを引き上げたということだ。
香ばしくいい匂いが漂ってきて、思わず喉がなってしまう。
ほどなく伊緒さんが大きなお皿を抱えて台所から出てきた。
「どじゃーん!手羽先チューリップのザ…らあげだよ!」
ザらあげっつった。いま絶対ザらあげっつった。
でもそれについて突っ込む間もなく、食卓に据えられたお皿の中身に釘付けになる。
こんがりときつね色に揚がった手羽先は、ところどころまだしゅわしゅわと油が爆ぜており、まことに挑発的なビジュアルだ。
「さあ!熱いうちにめしあがれ」
伊緒さんのすすめにしたがって、いただきますの挨拶ももどかしく、細い骨を持ち手にしてチューリップ部分にかぶりついた。
かりっ、とからあげの醍醐味たる歯ざわりのすぐあとに、香ばしい醤油とスパイシーなにんにくの風味が押し寄せて来る。
そして、普通のからあげだと外側の鶏皮がパリッと感を担当するのだけど、皮を中に巻き込んだ手羽先チューリップは一味違った。
ジューシーなお肉に包まれて蒸し焼きのようになった皮のコラーゲンが、むっちりと舌の上を跳ね回る。
さらには骨がスティックの代わりになって食べやすく、最後の一口ではぽるん、と軟骨まできれいにとれてコリコリの食感で楽しませてくれる。
めちゃくちゃおいしい。
「味付けはお醤油にお酒、しょうがとにんにくのすりおろし。甘みにはほんのちょっぴり、みりんを入れるの。多すぎるとコゲやすくなっちゃうけど。あとはたっぷり片栗粉をまぶして、からりと揚げるだけ!」
伊緒さんがいつものように、味の説明をしてくれる。
ほんのり風味を添えていた甘さはみりんのものだったんだ。
お砂糖ほど強くなく、お醤油と鶏肉の旨みを巧みに取り持っている感じだ。
それはそうと、さっきからずっと気になっていたことを伊緒さんにたずねてみよう。
「あの、伊緒さん。さっき、からあげって言う前に"ザン"って言いかけてたのは……」
伊緒さんは小さく「ぎくっ」とつぶやいて、観念したふうに語りだした。
いわく、彼女の地元ではからあげのことをなぜか「ザンギ」と呼ぶのだという。
中国語で揚げ鶏を指す「炸鶏(ザァジー)」が語源という説もあるが、とにかく鶏のからあげといえばザンギとしか呼んでいなかったそうだ。
ザンギがてっきり標準語だと思っていた
伊緒さんは、こちらに来てからそれが通じなくてちょっと恥ずかしい思いをしたのだという。
でも、慣れ親しんだ呼び方を急に変えるのは難しく、ついつい「ザ…らあげ」になるとのことだった。
伊緒さんのお話を聞いて、方言萌えのぼくは激しく心を揺さぶられた。
ええやん!めちゃめちゃかわいいやん!
ぼくはザンギを家庭内共通語リストに追加すること、方言が恥ずかしいわけないこと、ぼくもこっちに来てからお腹を「ぽんぽん」と言って幼児に笑われたこと等を熱く語った。
とうとう伊緒さんも笑いだし、
「したっけ、もうザンギでいいねー」
と、かわいらしく訛ってくれた。
ぼくもそのうち、「ザらあげ」と呼ぶようになるのだろう。
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