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第五十二椀
「揚げナスの田楽」。伊緒さんの研究は"精進料理"がキーワード
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まったく思いもかけず、彼から博物館に考古遺物の特別展を見に行こうとのお誘いを受けたのは、わたしにとってものすごくうれしいことでした。
考古学は専門ではありませんでしたが、学生のとき最初に習った概論を思い出し、夢中になってしゃべりながら彼と観覧したものです。
それはわたしにとって、古代の人がつくりだした数々のモノが放つ存在感に畏敬の念を新たにし、歴史を学び始めた頃の新鮮な感動を呼び起こしてくれる体験になりました。
また、学生時代にわたしがどんな研究テーマに取り組んでいたのか、彼に問われて初めて話すのも楽しいことでした。
これまで家庭での会話に歴史の小ネタをはさむことはあっても、研究対象としていたことを話題にはしなかったのです。
なぜ、といわれると困ってしまうのですが、あんまりにもマニアックな話をして彼を白けさせたらどうしようと、怯えていたのかもしれません。
大学で歴史を学ぼうとすると、たいがいは「史学科」という学科を選ぶことになります。
ほかには「文化学科」や「文化財学科」など、大学によってさまざまな名称で歴史を学べる学科を設けています。
それぞれの学科はほとんど「文学部」に含まれていて、わたしが在学していた当時は「史学部」というのはどの大学にもなかったと記憶しています。
ひとくちに歴史学といっても、日本ではそのアプローチは大きく三つの学問分野に分かれています。
古文書などを研究する「文献史学」、遺跡を発掘してモノを調べる「考古学」、伝承や行事を対象とする「民俗学」がそうです。
わたしの大学では史学科にいくつかのコースが設けられ、日本史・東洋史・西洋史・考古学・民俗学などの専攻がありました。
そのなかでわたしが選んだのは「日本文化史」というコースです。
文化史という分野はとても広い意味をもつので一概には言えませんが、
「歴史上のあるテーマに対して文献や伝承、そして遺物の出土事例などを総動員して、文化としての位置付けを考えるもの」
と、わたしの大学では考えていました。
たとえば、このような感じです。
ある地方のお寺で瓜の粕漬けが名物料理として伝わっているとします。
寺伝では奈良時代の創建当時から作られているといいますが、実態はよく分かっていません。
ところが境内で工事を行ったところ、古代にさかのぼる庫裏の跡が発見され、大量の瓜の種が出土しました。
平城京の長屋王邸宅から出土した木簡にも瓜の粕漬けの表記があることから、もしかしたらこのお寺の瓜漬けは言い伝えの通りに奈良時代の奈良漬けを引き継ぐものかもしれない……。
こういった事実を積み重ねて、ではこのお寺は古代の都とどういう関係があったのか、周辺の村々にはどのような影響を与えてきたのか、等々の問題を考えていくことができます。
ざっくりした例ではありますが、こういったスタイルで歴史にアプローチをしていたのです。
なかでもわたしが個人のテーマとして選んだのは、仏教が日本の食文化に与えた影響に関することで、ひらたくいうと「精進料理」の研究です。
歴史も好き、食べることも大好き、そんなわたしが「食文化」に関心をもったのは自然なことだったと思いますが、先に同じ大学で歴史を学んでいた従姉妹の瑠依ちゃんが食文化史を専攻していたことも大きく影響しています。
わたしの興味は、天武朝以来禁止された肉食に対して、あたかもその代わりを務めるかのように発達してきた植物性の食品・食材へと向いていきました。
たとえば大豆を用いたお豆腐とか納豆とか。
特にお豆腐はフリーズドライともいえる加工を施した「高野豆腐」、または「凍み豆腐」として精進料理に欠かせないたんぱく源となったのです。
そんなわけで、わたしは油揚げとか厚揚げなどのお豆腐の加工品にも目がないのでした。
「むう、なるほど……。仏教が日本の食文化に与えた影響ですか……。むーん、これは……壮大なお話ですねえ」
もしかしたら引かれるんじゃないかと心配したのですが、彼は私の話に真剣に耳を傾け、しきりに感心してくれたのでした。
むーん、むーん、と何かを考え込むような状態になってしまったので、こうなるとしばらくこのままになることを知っていたわたしは晩ご飯の支度をすることにしました。
彼がちゃんとわたしの研究内容を聞いてくれたことがうれしく、またせっかく仏教文化の話になったので、今日はとっておきの精進料理をつくります。
じつは大きな大きな「米ナス」が手に入り、さてさてどうしてやろうかと思っていたところだったのです。
おナスは本当に油とよく合う野菜ですので、精進ではメインディッシュを飾る実力派として頼りにされています。
米ナスを縦半分に切って、ヘタはぎりぎりまで丁寧にむいて、どうしても取りきれなかった部分だけ包丁で落とします。
このヘタの真下の実がおいしいので、わたしはいつもできるだけ落とさないようがんばります。
おナスの身には竹串でたくさん穴を開けておき、皮目に沿ってぐるりと一周包丁を入れます。
中身には大きく格子状に切れ目をつけておきますが、もちろんだいたいで構いません。
そしてきちんと水気を拭って、熱した油で両面を揚げ焼きにします。
その間にフライパンを温めて赤味噌とみりん、お砂糖を練り合わせます。
冷凍しておいた柚子皮おろしがあったので、それも入れてしまいましょう。これでタレの完成です。
おナスに火が通ってしんなりしたら、油から引き上げて切り口側に柚子味噌ダレをこんもりと塗りつけます。
このままでもいいのですが、わたしはお味噌がほんのり焦げた感じが好きなので、オーブンの強火にさっとさらして焼き目を付けることにしています。
白ごまをぱらぱらとふりかければ、はい!「揚げナス田楽」のできあがりです。
油で揚げたおナスの実はとろとろで、まるでお肉の脂身のようではありませんか。
と、までは言い過ぎかもしれませんが、甘い味噌ダレとからまってメインのおかずにも十分なインパクトになると思います。
ご飯も進むので、きっと彼も喜んでくれることでしょう。
わたしの研究成果のひとつとして、いまからどじゃーん!と食卓に運びます。
考古学は専門ではありませんでしたが、学生のとき最初に習った概論を思い出し、夢中になってしゃべりながら彼と観覧したものです。
それはわたしにとって、古代の人がつくりだした数々のモノが放つ存在感に畏敬の念を新たにし、歴史を学び始めた頃の新鮮な感動を呼び起こしてくれる体験になりました。
また、学生時代にわたしがどんな研究テーマに取り組んでいたのか、彼に問われて初めて話すのも楽しいことでした。
これまで家庭での会話に歴史の小ネタをはさむことはあっても、研究対象としていたことを話題にはしなかったのです。
なぜ、といわれると困ってしまうのですが、あんまりにもマニアックな話をして彼を白けさせたらどうしようと、怯えていたのかもしれません。
大学で歴史を学ぼうとすると、たいがいは「史学科」という学科を選ぶことになります。
ほかには「文化学科」や「文化財学科」など、大学によってさまざまな名称で歴史を学べる学科を設けています。
それぞれの学科はほとんど「文学部」に含まれていて、わたしが在学していた当時は「史学部」というのはどの大学にもなかったと記憶しています。
ひとくちに歴史学といっても、日本ではそのアプローチは大きく三つの学問分野に分かれています。
古文書などを研究する「文献史学」、遺跡を発掘してモノを調べる「考古学」、伝承や行事を対象とする「民俗学」がそうです。
わたしの大学では史学科にいくつかのコースが設けられ、日本史・東洋史・西洋史・考古学・民俗学などの専攻がありました。
そのなかでわたしが選んだのは「日本文化史」というコースです。
文化史という分野はとても広い意味をもつので一概には言えませんが、
「歴史上のあるテーマに対して文献や伝承、そして遺物の出土事例などを総動員して、文化としての位置付けを考えるもの」
と、わたしの大学では考えていました。
たとえば、このような感じです。
ある地方のお寺で瓜の粕漬けが名物料理として伝わっているとします。
寺伝では奈良時代の創建当時から作られているといいますが、実態はよく分かっていません。
ところが境内で工事を行ったところ、古代にさかのぼる庫裏の跡が発見され、大量の瓜の種が出土しました。
平城京の長屋王邸宅から出土した木簡にも瓜の粕漬けの表記があることから、もしかしたらこのお寺の瓜漬けは言い伝えの通りに奈良時代の奈良漬けを引き継ぐものかもしれない……。
こういった事実を積み重ねて、ではこのお寺は古代の都とどういう関係があったのか、周辺の村々にはどのような影響を与えてきたのか、等々の問題を考えていくことができます。
ざっくりした例ではありますが、こういったスタイルで歴史にアプローチをしていたのです。
なかでもわたしが個人のテーマとして選んだのは、仏教が日本の食文化に与えた影響に関することで、ひらたくいうと「精進料理」の研究です。
歴史も好き、食べることも大好き、そんなわたしが「食文化」に関心をもったのは自然なことだったと思いますが、先に同じ大学で歴史を学んでいた従姉妹の瑠依ちゃんが食文化史を専攻していたことも大きく影響しています。
わたしの興味は、天武朝以来禁止された肉食に対して、あたかもその代わりを務めるかのように発達してきた植物性の食品・食材へと向いていきました。
たとえば大豆を用いたお豆腐とか納豆とか。
特にお豆腐はフリーズドライともいえる加工を施した「高野豆腐」、または「凍み豆腐」として精進料理に欠かせないたんぱく源となったのです。
そんなわけで、わたしは油揚げとか厚揚げなどのお豆腐の加工品にも目がないのでした。
「むう、なるほど……。仏教が日本の食文化に与えた影響ですか……。むーん、これは……壮大なお話ですねえ」
もしかしたら引かれるんじゃないかと心配したのですが、彼は私の話に真剣に耳を傾け、しきりに感心してくれたのでした。
むーん、むーん、と何かを考え込むような状態になってしまったので、こうなるとしばらくこのままになることを知っていたわたしは晩ご飯の支度をすることにしました。
彼がちゃんとわたしの研究内容を聞いてくれたことがうれしく、またせっかく仏教文化の話になったので、今日はとっておきの精進料理をつくります。
じつは大きな大きな「米ナス」が手に入り、さてさてどうしてやろうかと思っていたところだったのです。
おナスは本当に油とよく合う野菜ですので、精進ではメインディッシュを飾る実力派として頼りにされています。
米ナスを縦半分に切って、ヘタはぎりぎりまで丁寧にむいて、どうしても取りきれなかった部分だけ包丁で落とします。
このヘタの真下の実がおいしいので、わたしはいつもできるだけ落とさないようがんばります。
おナスの身には竹串でたくさん穴を開けておき、皮目に沿ってぐるりと一周包丁を入れます。
中身には大きく格子状に切れ目をつけておきますが、もちろんだいたいで構いません。
そしてきちんと水気を拭って、熱した油で両面を揚げ焼きにします。
その間にフライパンを温めて赤味噌とみりん、お砂糖を練り合わせます。
冷凍しておいた柚子皮おろしがあったので、それも入れてしまいましょう。これでタレの完成です。
おナスに火が通ってしんなりしたら、油から引き上げて切り口側に柚子味噌ダレをこんもりと塗りつけます。
このままでもいいのですが、わたしはお味噌がほんのり焦げた感じが好きなので、オーブンの強火にさっとさらして焼き目を付けることにしています。
白ごまをぱらぱらとふりかければ、はい!「揚げナス田楽」のできあがりです。
油で揚げたおナスの実はとろとろで、まるでお肉の脂身のようではありませんか。
と、までは言い過ぎかもしれませんが、甘い味噌ダレとからまってメインのおかずにも十分なインパクトになると思います。
ご飯も進むので、きっと彼も喜んでくれることでしょう。
わたしの研究成果のひとつとして、いまからどじゃーん!と食卓に運びます。
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