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第五十一椀
「たまご焼きのサンドイッチ」。一緒に博物館へ行きましょう
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歴史ライターのお仕事をしている伊緒さんが、もともとどんな時代やモノに興味があったのか、これまで考えてみたこともなかった。
ぼくももちろん歴史は好きなのだけど、それは坂本龍馬が好き、とか織田信長が好き、といったくらいの淡くささやかなものだ。
小説の設定として幕末史に焦点を当てたことがあるけれど、それはあくまでも取材であって研究ではない。
でも、伊緒さんがしていることは研究だったということにようやく気が付いた。
先日遊びに来てくれた伊緒さんの従姉妹の瑠依さんが、
「伊緒は研究者になるものだと思ってた」
と言ったのが妙に心に引っかかっていたのだ。
本職の研究者がそう言うくらいだから、伊緒さんはぼくの想像など及ばないような学問を積んできたのだろう。
興味がなかったわけではないけど、これまで伊緒さんに学生時代の話を聞いたことはほとんどなかった。
有り体に言えば、自分の知らない彼女の歴史に触れることをためらってしまったのだ。
真剣に歴史学の研鑽を積んだだろう、振り返るとまぶしく感じるような夢や志があっただろう、もちろんいくつか恋もしただろう。
でもぼくは、ぼくと知り合ってからの伊緒さんのことしか見ようとしていなかった。
料理が上手で、歴史が好きで、いつも笑顔のかわいいぼくのお嫁さん。
そんな彼女の像を自分だけのものにして、手放したくなかったのだ。
でももし、伊緒さんにもっと目指すべき何かがあるのだとしたら、ぼくは全力で応援したい。
それにはまず、いまさらでも彼女のことをもっと知りたい。
ぼくらが住んでいる街の総合博物館に伊緒さんを誘ったのは、そんな思いからだった。
ちょうど地域の考古資料に関する特別展をやっていて、見てみたい気持ちもあったのだ。
けっこう立派な博物館なのだけど、これまで伊緒さんと二人で訪れたことはない。
これを機にいろいろと彼女から歴史の話を伺いたい、というのが真の目的だった。
ぼくからの思わぬ申し出に伊緒さんは、
「じゃあ、おべんとうつくるからね!」
と、たいへん喜んでくれた。
その博物館は史跡公園に併設されていて、休日ともなると家族づれでにぎわうのだ。
伊緒さんがおべんとうをつくってくれるなら、半分ピクニックみたいでさぞ楽しいだろう。
博物館に辿り着くと館内には思いのほか多くの人が訪れており、小さな子どもたちの姿も目立つ。
「久しぶりにきたわ。なんだかわくわくする」
伊緒さんがうれしそうに声をひそめる。
「来たことがあったんですか」
「結婚したばかりのころにね。日中ひとりだから」
そんな何気ない言葉に、ぼくは申しわけない気持ちになってしまう。
もし可能なら、働きに出るのではなくて家にいてほしい、そう頼んだのはほかならぬぼくだったから。
特別展のブースはさほど広くはなかったけれど、それでも結構な量の収蔵品が展示されていた。
意外にも石器類が多く、精緻な加工を施された古代の遺物が並ぶさまに、圧倒される思いだ。
専門ではないからと謙遜したけど、伊緒さんは考古学にも詳しかった。
矢尻しか分からなかったぼくに石器の種類や用途を丁寧に説明して、石材ごとの特性まで解説してくれた。
ほかの考古遺物についても、縄文土器の独特の模様や土師器と須恵器の焼成温度の違い等々、それはそれは楽しそうに教えてくれたのだった。
もし学生のときにこんな先生に習っていたら、ぼくもきっと歴史学を志していたに違いない。
伊緒さんの解説つきでたっぷり展示物を見学して、満ち足りた気持ちで館をあとにした。
「伊緒さん、めちゃくちゃおもしろかったです」
「そう、よかった」
史跡公園の明るい森を歩きながら、ぼくたちは石のナイフの美しさや、土器に込められた古代の人の力強さを飽くことなく讃えた。
公園内では、そこかしこで家族づれや恋人達が思い思いにくつろいでいる。
ボールを追いかけて遊ぶ子どもらの姿に、伊緒さんがまぶしそうに目を細めた。
ぼくたちもほどよい木陰に小さなレジャーシートを広げて、腰を落ち着ける。
「見てるだけだったのに、なんかすごくおなかすいちゃった」
伊緒さんがぺろっと舌を出して、バスケット型のおべんとう箱を取り出す。
どじゃーん!とフタを開けると、中には菜の花色も鮮やかなたまごサンドがぎっしり詰まっていた。
「あ!京都式ですか!」
「えへへー。やってみたかったの」
それはたまごの部分がマッシュではなくて、厚いたまご焼きになっているサンドイッチだった。
京都の喫茶店で有名なスタイルらしくて、以前何かのテレビ番組で見て「おいしそう!」と二人で騒いだのだった。
伊緒さんのサンドイッチは、ほおばるとたっぷりのたまごが口の中でぷりぷりと跳ね回る、幸せな味だった。
「すごくおいしいです」
「よかった。お外で食べるのも楽しいね」
小さな口をめいっぱい開けてかぶりついている彼女は、さっき博物館で解説してくれた人とはまるで別人みたいだ。
男はいつだって、こういうギャップに弱い。
「伊緒さんが学生の頃って、どんな研究をされてたんですか」
自分でも意外なくらい自然に、そんな質問が口をついて出た。
もっと早く、素直にこういうことを聞けばよかったのに。
一瞬きょとんとした伊緒さんだったけど、みるみるうちにうれしそうに頬を赤らめた。
「……長くなるよ!オタクの話は!」
少し強く風が吹いて、弾けるように笑った彼女の髪をなびかせた。
聞きたい。
まだ、時間はたっぷりある。
ぼくももちろん歴史は好きなのだけど、それは坂本龍馬が好き、とか織田信長が好き、といったくらいの淡くささやかなものだ。
小説の設定として幕末史に焦点を当てたことがあるけれど、それはあくまでも取材であって研究ではない。
でも、伊緒さんがしていることは研究だったということにようやく気が付いた。
先日遊びに来てくれた伊緒さんの従姉妹の瑠依さんが、
「伊緒は研究者になるものだと思ってた」
と言ったのが妙に心に引っかかっていたのだ。
本職の研究者がそう言うくらいだから、伊緒さんはぼくの想像など及ばないような学問を積んできたのだろう。
興味がなかったわけではないけど、これまで伊緒さんに学生時代の話を聞いたことはほとんどなかった。
有り体に言えば、自分の知らない彼女の歴史に触れることをためらってしまったのだ。
真剣に歴史学の研鑽を積んだだろう、振り返るとまぶしく感じるような夢や志があっただろう、もちろんいくつか恋もしただろう。
でもぼくは、ぼくと知り合ってからの伊緒さんのことしか見ようとしていなかった。
料理が上手で、歴史が好きで、いつも笑顔のかわいいぼくのお嫁さん。
そんな彼女の像を自分だけのものにして、手放したくなかったのだ。
でももし、伊緒さんにもっと目指すべき何かがあるのだとしたら、ぼくは全力で応援したい。
それにはまず、いまさらでも彼女のことをもっと知りたい。
ぼくらが住んでいる街の総合博物館に伊緒さんを誘ったのは、そんな思いからだった。
ちょうど地域の考古資料に関する特別展をやっていて、見てみたい気持ちもあったのだ。
けっこう立派な博物館なのだけど、これまで伊緒さんと二人で訪れたことはない。
これを機にいろいろと彼女から歴史の話を伺いたい、というのが真の目的だった。
ぼくからの思わぬ申し出に伊緒さんは、
「じゃあ、おべんとうつくるからね!」
と、たいへん喜んでくれた。
その博物館は史跡公園に併設されていて、休日ともなると家族づれでにぎわうのだ。
伊緒さんがおべんとうをつくってくれるなら、半分ピクニックみたいでさぞ楽しいだろう。
博物館に辿り着くと館内には思いのほか多くの人が訪れており、小さな子どもたちの姿も目立つ。
「久しぶりにきたわ。なんだかわくわくする」
伊緒さんがうれしそうに声をひそめる。
「来たことがあったんですか」
「結婚したばかりのころにね。日中ひとりだから」
そんな何気ない言葉に、ぼくは申しわけない気持ちになってしまう。
もし可能なら、働きに出るのではなくて家にいてほしい、そう頼んだのはほかならぬぼくだったから。
特別展のブースはさほど広くはなかったけれど、それでも結構な量の収蔵品が展示されていた。
意外にも石器類が多く、精緻な加工を施された古代の遺物が並ぶさまに、圧倒される思いだ。
専門ではないからと謙遜したけど、伊緒さんは考古学にも詳しかった。
矢尻しか分からなかったぼくに石器の種類や用途を丁寧に説明して、石材ごとの特性まで解説してくれた。
ほかの考古遺物についても、縄文土器の独特の模様や土師器と須恵器の焼成温度の違い等々、それはそれは楽しそうに教えてくれたのだった。
もし学生のときにこんな先生に習っていたら、ぼくもきっと歴史学を志していたに違いない。
伊緒さんの解説つきでたっぷり展示物を見学して、満ち足りた気持ちで館をあとにした。
「伊緒さん、めちゃくちゃおもしろかったです」
「そう、よかった」
史跡公園の明るい森を歩きながら、ぼくたちは石のナイフの美しさや、土器に込められた古代の人の力強さを飽くことなく讃えた。
公園内では、そこかしこで家族づれや恋人達が思い思いにくつろいでいる。
ボールを追いかけて遊ぶ子どもらの姿に、伊緒さんがまぶしそうに目を細めた。
ぼくたちもほどよい木陰に小さなレジャーシートを広げて、腰を落ち着ける。
「見てるだけだったのに、なんかすごくおなかすいちゃった」
伊緒さんがぺろっと舌を出して、バスケット型のおべんとう箱を取り出す。
どじゃーん!とフタを開けると、中には菜の花色も鮮やかなたまごサンドがぎっしり詰まっていた。
「あ!京都式ですか!」
「えへへー。やってみたかったの」
それはたまごの部分がマッシュではなくて、厚いたまご焼きになっているサンドイッチだった。
京都の喫茶店で有名なスタイルらしくて、以前何かのテレビ番組で見て「おいしそう!」と二人で騒いだのだった。
伊緒さんのサンドイッチは、ほおばるとたっぷりのたまごが口の中でぷりぷりと跳ね回る、幸せな味だった。
「すごくおいしいです」
「よかった。お外で食べるのも楽しいね」
小さな口をめいっぱい開けてかぶりついている彼女は、さっき博物館で解説してくれた人とはまるで別人みたいだ。
男はいつだって、こういうギャップに弱い。
「伊緒さんが学生の頃って、どんな研究をされてたんですか」
自分でも意外なくらい自然に、そんな質問が口をついて出た。
もっと早く、素直にこういうことを聞けばよかったのに。
一瞬きょとんとした伊緒さんだったけど、みるみるうちにうれしそうに頬を赤らめた。
「……長くなるよ!オタクの話は!」
少し強く風が吹いて、弾けるように笑った彼女の髪をなびかせた。
聞きたい。
まだ、時間はたっぷりある。
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