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第十五章 最後の御留郵便
相剋の太刀
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投げ落とされた少佐の身体が水柱を立て、ほぼ同時に隼人も東堂も眼前の敵を無力化した。
倒れ込んでしまった草介に隼人が駆け寄り、致命傷がないか検める。
「草介! 草介……! 気をしっかり保て!」
必死で声をかける隼人に、草介はうっすらと目を開いた。
「へっ……。どんなもんでぇ……」
「おお、おお、大した男だとも……! 今は喋るな。直に血も止まる」
「死にゃあ……しねえよ……。お由良ちゃん……たち、たの…まぁ……」
海の方を見やる素振りの草介にならい、視線を移す隼人。
いつの間にか甲鉄艦・龍門は明光丸から離れたところを漂っているが、由良乃としのぶ、山本大尉らが制圧に成功したようだ。その証にマストに白旗が揚げられ、こちらに向けて銃や剣を振っているのが見える。
代わりに明光丸に密着していたのは、東堂の乗艦・摩尼だった。
「わかった草介。安心せよ。まずは止血を……」
隼人がそう言いかけたとき、背にぞわりと悪寒のようなものが走った。
振り返ると、そこには積年の宿敵が佇んでいる。
船の上にはもはや戦える者は他にいない。皆が傷付き、あるいは命を絶たれ、草介も意識を失っていた。
「片倉」
銀髪のところどころを血で染めた東堂靫衛が、静かに声をかけた。
「地図を、渡してもらおうか」
その表情からは、いかなる感情も読み取れない。
こけた頬に往年の面影はなく、その眼に宿るものが信念なのか妄執なのか、もはや隼人にも判別はつかなかった。
「もう……諦めぬか、東堂」
一瞬絶句した隼人は、やっとそれだけを呻くように口にした。
だが、東堂は軽く首を横に振る。その仕草に、ようやく悲しみのようなものだけが垣間見えた。
「そうはいかぬ。私のけじめだ」
「無意味だ。お前はもう、逃れることはできぬのだ」
「わかっているさ片倉。もはやここで何をしても、もう歴史には何らの影響も与えられんだろう。だが……年寄りがここで二人、最後に斬り合うのも悪くはない」
「東堂――!」
隼人の悲痛な声に東堂は少し微笑み、軍服のボタンを外して内隠しから何かを取り出した。
革で覆われた、薄い箱のようなものだ。
「この煙草入れが私を二度救った。一度はお前に雑賀の崎で胸を突かれた時。もう一度は、函館戦争で榎本武揚の従兵だった征士郎に刺された時」
煙草入れに穿たれた切っ先の跡を指でなぞると、東堂はそれを海へと投げ捨てた。
隼人はゆっくりと立ち上がり、宿敵に正対する。
「……わかった、東堂。では俺も――いや、儂も、儂のけじめをつけよう」
そう言って同じく内隠しから、一通の書状を取り出した。
古びてくたくたになった大時代なそれには、はっきりと「上」の文字が。
「上意でござる」
朗々と、隼人が宣した。
「はっ、これはこれは……。もしや幕末に私が脱藩した時の追討令、上意討ちかな。律義なことだ」
どこか楽しそうに東堂が口元を綻ばせる。
だが隼人はかぶりを振った。
「いいや、違うぞ東堂。紀伊殿のご上意はお前の追討ではなかった。生きて捕らえて、思うところを述べさせよと仰せだったのだ。これは儂の、最後の御留郵便。東堂靫衛――御覚悟」
はらりと書状を広げて、隼人が風に放った。
それが海へと吹き流された直後、二人は同時に袈裟懸けに斬り合った。
斜めの軌道から真正面で撃ち合わさった刃金同士が、ヂリッと火花を散らした。
達人同士の剣戟は、時に舞いであるかのように洗練された美を醸し出す。
二人が全身全霊を込めて斬り結ぶ太刀が発する火花は、命が燃える光だった。
強い――。なんと強いのだろう。
隼人は目の前の男の太刀ゆきに、もはや畏敬の念すら覚える。
こんな男と、お前は対峙したのだな――“まき”。
ふいに、とうの昔に死んだ妻を思い出した。
気が強く、いつも元気で明るい女だった。
一際強く速く、隼人の太刀が走った。
だが東堂の鉄壁は揺るがず、何時の間にか隼人は船べりを背にして追い込まれていた。
「見事だ片倉。が――、私には届かぬ!」
二人は同時に、右手一本で刺突を繰り出した。
が、あろうことかその切っ先は互いの鍔に受け留められ、中空で絡み合う蛇のような姿で静止した。
完全な均衡と思われた二振りの刀は、力の行き場を求めて微細に振動している。
貫け――!!
隼人の脳裡に時ならぬ声が木霊し、その直後、切っ先が東堂の鍔を突き通した。
「おおぉぉぉぉっ!!」
隼人の突きが、そのまま東堂の上胸を貫いた。
だが同時に、東堂の剣もまた隼人の肩口を深々と穿っている。
東堂は、ゆっくりとその場に膝をついた。
そして隼人も、頽れるようにして船べりの向こうへと落ちていった。
倒れ込んでしまった草介に隼人が駆け寄り、致命傷がないか検める。
「草介! 草介……! 気をしっかり保て!」
必死で声をかける隼人に、草介はうっすらと目を開いた。
「へっ……。どんなもんでぇ……」
「おお、おお、大した男だとも……! 今は喋るな。直に血も止まる」
「死にゃあ……しねえよ……。お由良ちゃん……たち、たの…まぁ……」
海の方を見やる素振りの草介にならい、視線を移す隼人。
いつの間にか甲鉄艦・龍門は明光丸から離れたところを漂っているが、由良乃としのぶ、山本大尉らが制圧に成功したようだ。その証にマストに白旗が揚げられ、こちらに向けて銃や剣を振っているのが見える。
代わりに明光丸に密着していたのは、東堂の乗艦・摩尼だった。
「わかった草介。安心せよ。まずは止血を……」
隼人がそう言いかけたとき、背にぞわりと悪寒のようなものが走った。
振り返ると、そこには積年の宿敵が佇んでいる。
船の上にはもはや戦える者は他にいない。皆が傷付き、あるいは命を絶たれ、草介も意識を失っていた。
「片倉」
銀髪のところどころを血で染めた東堂靫衛が、静かに声をかけた。
「地図を、渡してもらおうか」
その表情からは、いかなる感情も読み取れない。
こけた頬に往年の面影はなく、その眼に宿るものが信念なのか妄執なのか、もはや隼人にも判別はつかなかった。
「もう……諦めぬか、東堂」
一瞬絶句した隼人は、やっとそれだけを呻くように口にした。
だが、東堂は軽く首を横に振る。その仕草に、ようやく悲しみのようなものだけが垣間見えた。
「そうはいかぬ。私のけじめだ」
「無意味だ。お前はもう、逃れることはできぬのだ」
「わかっているさ片倉。もはやここで何をしても、もう歴史には何らの影響も与えられんだろう。だが……年寄りがここで二人、最後に斬り合うのも悪くはない」
「東堂――!」
隼人の悲痛な声に東堂は少し微笑み、軍服のボタンを外して内隠しから何かを取り出した。
革で覆われた、薄い箱のようなものだ。
「この煙草入れが私を二度救った。一度はお前に雑賀の崎で胸を突かれた時。もう一度は、函館戦争で榎本武揚の従兵だった征士郎に刺された時」
煙草入れに穿たれた切っ先の跡を指でなぞると、東堂はそれを海へと投げ捨てた。
隼人はゆっくりと立ち上がり、宿敵に正対する。
「……わかった、東堂。では俺も――いや、儂も、儂のけじめをつけよう」
そう言って同じく内隠しから、一通の書状を取り出した。
古びてくたくたになった大時代なそれには、はっきりと「上」の文字が。
「上意でござる」
朗々と、隼人が宣した。
「はっ、これはこれは……。もしや幕末に私が脱藩した時の追討令、上意討ちかな。律義なことだ」
どこか楽しそうに東堂が口元を綻ばせる。
だが隼人はかぶりを振った。
「いいや、違うぞ東堂。紀伊殿のご上意はお前の追討ではなかった。生きて捕らえて、思うところを述べさせよと仰せだったのだ。これは儂の、最後の御留郵便。東堂靫衛――御覚悟」
はらりと書状を広げて、隼人が風に放った。
それが海へと吹き流された直後、二人は同時に袈裟懸けに斬り合った。
斜めの軌道から真正面で撃ち合わさった刃金同士が、ヂリッと火花を散らした。
達人同士の剣戟は、時に舞いであるかのように洗練された美を醸し出す。
二人が全身全霊を込めて斬り結ぶ太刀が発する火花は、命が燃える光だった。
強い――。なんと強いのだろう。
隼人は目の前の男の太刀ゆきに、もはや畏敬の念すら覚える。
こんな男と、お前は対峙したのだな――“まき”。
ふいに、とうの昔に死んだ妻を思い出した。
気が強く、いつも元気で明るい女だった。
一際強く速く、隼人の太刀が走った。
だが東堂の鉄壁は揺るがず、何時の間にか隼人は船べりを背にして追い込まれていた。
「見事だ片倉。が――、私には届かぬ!」
二人は同時に、右手一本で刺突を繰り出した。
が、あろうことかその切っ先は互いの鍔に受け留められ、中空で絡み合う蛇のような姿で静止した。
完全な均衡と思われた二振りの刀は、力の行き場を求めて微細に振動している。
貫け――!!
隼人の脳裡に時ならぬ声が木霊し、その直後、切っ先が東堂の鍔を突き通した。
「おおぉぉぉぉっ!!」
隼人の突きが、そのまま東堂の上胸を貫いた。
だが同時に、東堂の剣もまた隼人の肩口を深々と穿っている。
東堂は、ゆっくりとその場に膝をついた。
そして隼人も、頽れるようにして船べりの向こうへと落ちていった。
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